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剣聖と踊れ

 ヒコザは虚勢を張るのが精一杯だった。

 対峙して初めて分かった。理解した。種の器を超えるとはどういう事なのかを。


 なるほど、これが剣聖。


 セルベリオス・ミレニア。


 先代ミレニア領主。最強の戦闘種族ミレニアンの頂点。


 それは即座に異界へ吹き飛ばしてしまいたいほど危険を感じる存在であった。

 老人から放たれる圧力は空間を占め、それでいてそれ自体の存在を否定する。敵の間合いに在ると己の肌が過剰な警告を発する。まだ声も届くかどうかと言う距離にも関わらず、ヒコザの心は、次の呼吸で眼前に現れる剣先を恐れていた。


 引けない。もう引けないのだ。ヒコザは全力で風を纏わせた剣を構え、裏庭のまだ荒れていない位置まで移動し場を整えた。さあ、名もなき戦士の力、見せてやろうじゃないか。

 吊られて老人も通路から裏庭へ姿を表す。漆黒の闇から現れた白髪の偉丈夫は片刃の長剣をすらりと抜き放ち正眼に構える。この世界の戦士は筋力が軒並み高いので一般に武器は片手で握るのだが、彼は珍しく諸把(もろは)の構えだった。テララの剣術に非常に似ているが違った点も在る。テララの剣術は右手と左手を拳一つ離して柄を握るがこちら世界ではほぼ着いていた。実はこの方が取り回しが良いのでヒコザもそうしていて、ちょっとしたアイデンティティであったのだが。武器も剣術にそっくり。黒鞘と鮫皮に革巻きの柄。気付きたく無かったがマヤの持つ斬鉄剣覇王と同じ拵えだ。もしあれも斬鉄剣だとしたら、もうこれ以上無く最悪な状況だ。マヤが言うには、斬鉄剣とは触れるものすべてを斬る魔法の剣ではなく、剣士の最高の打撃に応える靭力を持つ、唯の頑丈な剣なのだそうだ。その情報は何の慰めにもならなかったが、少々冷静さを取り戻した気もするのでその点は感謝である。


 さて。

 この手合は後の先(ごのせん)を極めし者だ。まともに打ち合っては勝てっこない。後の先の上を行く疾速の剣で押し通る他無いだろう。剣気を見せてはならぬ。剣筋を悟らせてはならぬ。ヒコザは眼前に対峙しながらも精一杯気配を消した。剣を右肩に担ぐ形で上段に構え、柄で相手から刃を隠す。この視線。この敵は右目が効き目だ。ゆっくり右へ回り込み、敵の(やいば)に身を隠す。すり足は重心を隠すのに有効だが土の上では良くない。粘るような歩法で自らの位置をすい、すい、とずらす。抜き足差し足、飴坊(あめんぼ)切歩(きっぽ)で忍び足。其処に在るよで其処に無い。すい、すい。この世界に来て初めて使う技。あと半歩で間合いに入る。老人が息を吸った瞬間短く踏み込み最速の斬撃を放った。視界にちらりとガス灯の灯りが見えたが、その後の記憶は無い。



 +++



 腹部への激しい痛みと共に目覚め、ついで敗北感に襲われた。自室だった。

 首を回すだけで痛みが走る。剣聖に自分の剣は届かなかった。残念だ。しかし自分はまだ生きている。幸運だった、としよう。

 ベッドの脇にはマヤが座っていた。彼女は短く会話した後おでこにキスをしてから医者を呼びに行った。


 翌日自室に先日の襲撃者と剣聖が連れ立って訪れた。

 一瞬警戒したが今日は殺気が感じられなかった。そもそも剣聖とマヤは祖父と孫の関係の筈だ。物騒な事にはなるまい。ヒコザは手にした軍用拳銃をそっと元の場所に隠した。

 襲撃者の彼は菓子折りをマヤに渡しながら改めてチャンドラ・エウロスと名乗った。

 名前を聞いて少し驚いた。聞くと彼はスペクター、つまりチャンドニ・エウロスの弟だった。


「先日の無礼を許して欲しい」


 しかしヒコザには謝られる覚えがないのでそう伝えた。そして襲われる覚えもないとも。

 彼は謝罪を重ねながら出奔(しゅっぽん)中の自分に政治的派閥は無縁であると明確に宣言し、師匠である剣聖からヒコザに勝てたら天位を貰えると、戦闘に臨んだ理由を説明した。お互いの性格から戦いに至らない可能性が高く、仕方なく挑発的な言動を伴ったが私怨は無いという。しかしヒコザを下して天位とは、見込み違いにも程がある。剣聖の弟子なんて言う超の付く実力者に挑まれた平凡な戦士としては大変な迷惑だが、実直そうな彼の態度には好感が持てた。剣士の称号はヒコザ達戦士にとって憧れであり雲の上の存在だ。欲しい気持ちは良く分かる。彼には精進し、次の機会にはぜひ皆伝を受けて欲しい。但し自分とは関係の無い所で。


「繰り返すがなんとも思っていないので謝る必要は無い。もし必要ならその謝罪はしかと受け取った。こちらも剣聖をおびき出すためとは言え失礼な態度を取ってしまった。許して欲しい。貴殿とは今後友人としてお付き合い願えれば此の上無いのだがどうか」


 チャンドラは少年のような笑顔を見せると右手を差し出して来たので握手して和解となった。

 はて、この世界に握手の習慣は無い。今日のためにわざわざテララの文化を調べてきたのだろうか。ヒコザはそっと彼の評価を一段階上げた。


 マヤの入れた茶を飲み干し、二人は去った。

 帰り掛けに剣聖は腰の大小の内、短い方の片刃剣を外し無言でヒコザに渡していった。


「なんだろう、これ」


 拵えは地味だがどう見ても脇差しである。いや、それは分かる。その意味に心当たりがない。

 脇で控えていたマヤに剣を手渡す。


「手土産にしては物騒ね」


 マヤは手早く検めると、良いものだから貰っておけばと言った。


 なるほど、多くは語らないか。

 ヒコザの剣を使い物にならなくしてくれた詫びだろうか。

 そうだ、剣はどうなったのだろう。

 マヤに見せて貰うとヒコザの剣は数か所に渡り切断されかけていた。気に入っていたのだが修復は不可能だろう。残念だが自分に腕がなかった。これをくれたじいやんに謝まらねば。

 ヒコザはマヤに今後の予定を告げて回復のため眠りについた。

ヒコザはちゃっかり宮殿で騎士団の訓練に混ざっており、その際に剣聖とその弟子を目にしています。

盾の使い方はここで習っています。ちょっと覗いてパっと隠れるんですが、これ案外知られていません。


日本の剣術でも両手を揃えて構える流派、というかそんな構えになる場合というのは存在し、実のところ怒られたりはしません。日本刀は左手をメインに振りますが、技によっては右手に残る場合もありますから、その辺の感じです。

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