おー、さかなー
国境を越えるまでは徒歩だ。その先は聖都まで乗合馬車を乗り継いで行ける。時間的朝イチで宮殿近く、こぢんまりと佇む異邦人保護局で局長にマヤへ取り次ぎを頼み、程なく面会は叶った。宮殿で彼女は笑顔を見せるが公務で忙しいらしく、要件だけ聞くとまた来ると言い残し足早に去っていった。保護局(職員達はホウホと略していた)で確認していたがオスカル空尉やテララの三人は出かけていて数日は戻らないそうだ。自分の用は済んだので聖都の観光でもしようと宮殿前から博物館への乗り合い馬車に乗る。するりと隣に若い女性が座った。
「あの、ヒコザ様」
「人違いです」
「えっ」
「冗談です。局の方?」
女性は金属製のカードを示しながら控えめに自己紹介する。
「いえ、総務局のプリモア ハリハルと申します。本日のお供をお許し下さい」
「頼まれたの?」
「いいえ。必要と感じましたので」
「そう。退屈だと思うけどそれで良ければどうぞ」
「ありがとうございます」
恐らくマヤとは違う勢力の監視だ、とヒコザは感じた。局内でも選ばれたエージェントなのだろうが、今ひとつ殺気が無いと言うか、凛とした表情の割に、のほほんとした空気がちぐはぐな女性だった。
総務局は誰の傘下なのだろう。四人の皇帝当番はマヤがレヴナント、他はレイス、ゴースト、スペクターと呼ばれていた。この内特に注意すべきはスペクターで、マヤははっきり危険な人物と言っていた。もちろんもっと政治的な派閥に加え宗教的な派閥もある。聖都を失って推進力を失ったミレニアに代わり台頭してきた諸外国、更には敵対勢力デイスカーのスパイの線も無くはない。
この女性の目的を問い詰めたいが、まさか口を割るとは思えない。幸い足には自信がある。危険であれば逃げることにしよう。
後ろを見ると地味だが大型の馬車が等間隔で付いて来る。刺客か護衛か分からないが、ハリハル嬢は頑なにそちらを見ないので、護衛と考えて良いだろう。でなければ応援を呼ぶ筈だ。
馬車の料金を支払い博物館前停留所で降りると荘厳な巨大神殿の如き建築物に圧倒される。ランダラン博物館だ。テララでは見ることの無い様式の巨大な石造りのホールで、それぞれ五階建ての翼棟を従えている。この立派な建築物を拝めただけでも本日の収穫として満足できるとヒコザは感じた。
中に入ってから気付いたが建物は左右だけでなく奥方向にも拡張されており、生物、海洋、歴史、文化財、絵画等様々な案内が出ていた。ヒコザは目当ての文化、工芸の前に刀剣をチェックすることにした。
刀剣は海洋館を抜けた先らしい。
海洋館は殆どが骨格標本だった。あまり詳しくはないがテララでは絶滅した種のクジラやシャチがこちら世界ではまだ生存しているようだ。その他鳥類や甲殻類も多くの種類が生き残っており大変興味深い。逆にテララの赤道近くに存在していた魚類等はこちらに生息していない。氷に覆われ死せる大陸の生物を保護したのがこの世界なのだから、そうなのだろう。
僅かにある水槽には小さな魚達がその小さな銀鱗を精一杯閃かしていた。
棟は別だが刀剣は歴史館監修のようだ。刀剣には必ず所有者の詳細が記されており、どんな偉人が所持していたのか事細かく解説されていた。
長さや重量は記載されていたが魔法が掛かっているかどうかは明記されて居なかった。恐らくそのような剣はメジャーでは無いのだろう。これは予想通りだったが、作者や製法、研師名、製作年度、材料やその出処、折り返し数、熱処理、刃先の角度、柄の材質の記述もなく、結局は単なる美術品鑑賞になってしまったのは残念だった。それでもテララとは比較にならない程長い歴史を持つ世界の何千年にも渡る武器の変遷を目にすることが出来、その点では参考になった。
「ヒコザ様は刀剣にご興味が有るのですか?」
しまった。うっかり刀剣の輝きに心奪われハリハル嬢を放置していた。適当に解説でもしておくべきだったか。
しかし味方かどうか分からない人物に魔法剣を探していますとは言えないので、無難な返事をする。
「ええ、剣も少し使いますから」
「それでしたら良い鍛冶師をご紹介しましょうか」
「いえ、持っているので大丈夫ですよ。実はこの所全く抜いてなくて。こうしているのは鍛錬の再開を自分に促す為、と言う事にしておいて下さい」
「素晴らしいお考えです」
だらしない感じを醸そうとしたら大失敗した。有ると思います!ないね!
とはいえ、釣り竿の如くバックパックに括り付けたマイソード、折角マヤが大根漬けと共に実家から持ってきてくれたのに精霊村でも出番無し(大ハンマー使用)、先日のデイスカー出張でも戦闘では使わず(素手で対処)、あまつさえ床に置いて平和アピールしただけ(交渉で解決)という、剣鬼、もとい剣士ガゾルに知れたら冷たい目で見られそうな状態だ。まぁじいやんは優しいからそんな事にはならないが、我ながら戦士のカテゴリーに属すとは思えない、残念なストーリーとなっている。まぁあれだ、平和が一番だね!
出番が無かったのでここで解説しておくが、ヒコザの剣は最初に転移してきた幼少時にガゾルに貰ったもの。子供用ではなく、なかなか上等な諸刃の直刀で刃は厚く広い。諸刃だが実は片側は刃が付いていない。刃で敵の剣を受けると欠けるので、本当に切る時だけ剣を返すのが白石砦流だ。鞘は象牙張りで、革巻きの柄に小振りな鍔、真鍮の柄頭。博物館にも似た細工の剣が展示されていたが、どうも二百年程前に流行った拵えのようだ。
それにしてもハリハル嬢。やたら淑やかで品が良く、同伴者として申し分ない。
本当に唯の案内役だったら良かったのに、と思わずに居られない。
と、突然その表情が固くこわばる。視線を追うと大ホールの最奥に設えた特別展示台の前に人集りが形成されつつあった。その中心人物は老齢の男性職員に食って掛かる若い長身の男性だった。
「このエンドラ様が自分の剣を使って何がまずいんだ!早く寄越せ。いや返せ!」
「ですからこれは展示用の模造品でして。形も大きさも伝え聞いたものを再現しただけの」
「ははぁ、金か。教会への寄進って事にすれば良いだろう」
「そういう問題ではございません」
ハリハル嬢は眉を寄せヒコザに視線を投げる。
なるほど知り合いか。
「あれは誰の?」
「スペクターです」
騒いでいるのはスペクターが擁立しているエンドラ候補らしい。
呼び捨てなのでハリハル嬢はスペクターの派閥ではないようで一安心。さて、こんな騒動は官庁的にまずいのだろう。ハリハル嬢の心配は取り除かねばなるまい。
ヒコザは取り巻きを割って入った。
「あー。通りすがりの魔道士ですが、ちょっとよろしいかな」
「なんだお前」
「エンドラ様といえば固有魔法重力操作がお得意とお聞きしています。その複製も僅かながら特性を再現しているようで。我々凡人には持ち上げることすら叶いません。そこで如何です、エンドラ様としてこう、ばしっと」
「持ち上げれば良いのか。そんなこと言われずとも」
男は展示台に上がると剣を掴む。
「どうだ俺様がエンドラだとこれで証明…」
「出来ませんね」
男が渾身の力を込めて持ち上げようとするが剣は微動だにしない。
重力操作で展示台が床を突き破らない程度に模造刀の重量を増したヒコザが老齢の職員に片目をつむって見せる。意を汲んだ職員はゆっくりと語るようにエンドラを名乗る男に告げた。
「エンドラ様でないならお引取りを」
「ちっ」
男は台から飛び降りると足早に立ち去った。
物陰から刺すような視線を投げていたハリハル嬢の護衛達が散ってゆく。確認しただけで九人も居た。出番を伺っていたのだろう。ご苦労様。しかしゴツい男達だ。総務局って何をする部署なのだろう。
老職員の謝意を丁重に受けるとヒコザ達は早めの昼食を取ることにして退散した。
聖都は首都の割に広々していたから、立ち並ぶ店舗もゆったりとした佇まいが多かった。
ハリハル嬢の表情を見ながら感じの良いカフェを選ぶ。
護衛達から見えるように窓際の席にした。メニューを開くと窓の外から強い視線を感じた。若い女性と男が二人。立ち止まってこちらを見ている。髪の中にいるチトセの解析を待たずとも解る、い、たー、と女性の口が動き、足早に店に入るとこちらへ向かってきた。男性二人は外で待機しているから、彼らも護衛だろうか。
女性はテーブルの脇へ立つとヒコザに同席の許可を求めた。
ハリハル嬢は我関せずの姿勢を取るが、ちょっと意地悪な笑みが見えた気がした。拒否はしないので取り敢えず座ってもらう。女性は軽くオコな感じでハリハル嬢の横へ座った。
「お初にお目に掛かります、ヒコザ様。皇帝当番の一人、サンチー カナンです」
凄い肩書が出てきた。なにこれどっきり?
「初めまして」
「本日の同道、私が務めるつもりで居りましたが、この女に先を越されまして、今ようやく追いついた所です」
「あ、それはご足労をお掛けしました」
「いえとんでもない。全てはこの女が悪いのです」
「私悪くない」
「ぷーりーもーあー。抜け駆けは無しって決めたよね?ね?」
「マヤは良いって言ってた」
「んもう!あいつこの子に甘いのよ」
「えーと、お昼はこれからで?」
大根漬けはテララではたくわんの事です。
たくわん?たくあん?
その人が名乗らなければ魔道士かどうかは普通分かりません。
なので市井には魔道士が紛れている可能性があります。
戦闘型でなければ危険は無いのであまり重視されていません。
例えば人を騙すタイプの魔法が有ったとしても、この世界ではごく一般の方相手でもほぼ百%レジストされてしまう上、何か悪い魔法を使おうとした事がバレてしまい、警備に突き出されてしまいます。
魔法の悪用は重罪なのです。




