ただひたすらに、打つべし!
ジェガンの家は丘の上のちょっとしたお屋敷で、ジェガンとその妻、両親、それに使用人が数人と、王都から連れてきた弟子が三人居た。
ヒコザは屋敷の近くに借家を借り、師事の間通うことにした。他の弟子たちは住み込みだった。
ジェガンは弟子に給料を払っているとのことで、生活費はどうにかなるらしい。
普通逆なのではと思ったが、呼ばれた時刻に屋敷の離れに入るとその理由がわかった。
そこは宝飾品の工房で、アルタイルという男が仕切っていた。
「お前がヒコザか。工場に勤めていたそうだが、ここは手加工が主だ。指先の感覚でモノを作るんだ」
「はい、宜しくご指導願います」
「まずは指輪の作り方を見てもらう。エネット! こいつに最初から見せてやれ」
エネットと呼ばれたのはここでは唯一の女性で、ちょっとムッとした感じの若い女性だった。
彼女はいかにも興味なさげに自己紹介を済ませるとさっさと作業に入る。
「これ、銀ね。笹吹きって言う状態」
「はい」
「粉でも棒でも溶けづらいから粒にしてあるの。この小さいお皿にこの白い粉をちょっと入れて、銀を入れて、溶かす。量は適当」
エネットは器用に吹子を操ると小型の炉で素焼きの皿を炙り、銀を溶かす。水滴状になると木の割り箸で赤熱した銀から浮いたゴミを手早く取り除くと、手慣れた様子で小さな型に流し込む。
「で、出来たこの小さいインゴットを叩いて指輪にするの」
ヒコザがびっくりするくらい強く金床で棒状に延ばすエネット。続けて炉に戻り、軽く炙る。
「で、曲げるわけ」
「はぁ」
「やればわかるから」
「はい」
ヤットコで曲げ、余りを切り取り、ハンマーで叩いて形を整えると、ロウ付けして指輪の原型になった。
「あとは削る」
エネットが小一時間削るときれいな指輪が完成した。
テララの指輪は型に入れて鋳造する筈だが、昔はこうやって一つずつ鍛造していたのかもしれない。
工房には職人として雇われた者が数名と、魔法使いの弟子が三人とも居た。エネットも弟子の一人だった。
彼らはヒコザが自分の席で四苦八苦していると、代るがわるやってきては手助けしてくれた。
職人達は自信を持って腕前を披露していたが、弟子たちは今ひとつ集中していないようだった。
弟子の一人、ロジャースは指輪より実戦に興味があるとはっきり言っていた。
「俺は強くなりたいんだ。師匠みたいに宮廷に召し抱えられるくらいにね。ここの指輪は魔力付与で有名だから、覚えて損はないんだけど、戦いの助けにはならない」
「あれって指輪単体で魔法効果が持続するのかい? すると別次元に繋がりっぱなしに」
「何だい? 次元って。ああ、魔力の源から永遠に力を引き出すわけじゃない。込めた魔力以上の働きはしないよ」
「へぇ、それだと物質に、ええと、魔力を貯めることができる、ってことだね。それはそれで凄いと思う」
「理屈ではね。でもさ、例えばちょっとラッキーだとして、それって体感出来ないだろ」
「まあね」
「一回だけ焚き火に火が着けられるとか、微妙すぎる。密林で迷った時方角がわかるのは、便利では有るんだけど」
「直接戦いの役には立たない、って事だね」
「そうさ」
「でもそれがあれば戦場で有利だ」
「それはそうだが」
ヒコザは一日に一本ずつ銀の指輪を仕上げていった。
毎日少しずつ径と幅を変えて、箱に並べていった。
時々アルタイルが来て箱の新作をまじまじと見ては、径を測り、ちょっと首を傾げながらもヒコザの肩をぽんと叩き、幾つか持ち去った。
ヒコザは何の指示も受けていなかったので、箱の充実を図り、職人達の手を借りながらレパートリーを増やしていった。
いつの頃からか新作が根こそぎ持ち去られる様になり、アルタイルは直々に石留めの彫金を教えてきた。
こちらの世界でも流通している宝石の種類は殆ど同じだが、商材にダイヤモンドは無く、最も硬い宝石はルビーだった。
宝石も貴金属も、仕入れ値ではそれほど高く無かったので、ヒコザはアルタイルに断り、自費で材料を購入し時間外に作成して、幾つかを記念として手元に置いた。
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とある休日、ヒコザがゆっくりと寝坊をしていると、下宿のドアをノックする者がいた。
ドア前が見えるように置いてある鏡を確認すると、そこには見たことの有る女性が立っていた。
貨幣ほどの小さな鏡を目ざとく見つけ、横ピースしている。この世界で横ピースを知っている人間は四人しか居ない。ヒコザは小さくため息をついて扉の防犯を解除し、渋々開ける。
「ヒコザ! 元気?」
「久しぶりだなマヤ。お仕事はいいのか?」
「ええ、その報告も兼ねて。入っても?」
「ああ」
マヤは朝食用だろうか、買ってきた調理パンをテーブルに広げ、勝手に台所へ向かい茶を沸かした。
まだ眠気が晴れていないヒコザはぼんやり椅子に座る。そういえばじいやんと、オスカルと、ワンダと、エンティの知り合いと、ついでに聖都のマヤへ滞在先を手紙で知らせておいたのだった、と思い返す。
「はいお茶。パン食べて。おいしそうだったの」
「おう、ありがとな」
しばらく無言で食べる二人。
「ジェガン師はどう?」
「直接はまだ何も教わっていない。マヤは彼を知っているのか?」
「うちとは関わりがないけど、話ではとても優秀だったそうよ」
「ほう」
「武勇が高いのよ。有視界戦に強くて、魔獣討伐の戦績が評価されているわ」
「確かに見るからに強そうだ。で、そっちは?」
「ん、ガゾル様と奥様にお会いしてきたよ」
「なぬ」
「あなたをよろしくされちゃいました」
「そ、そうか」
「おみやげ」
マヤが小ぶりの壺を差し出す。
「これは我が家の大根漬けではないか。でかしたぞマヤ君」
「お礼は奥様にね。それとオスカルさんともお会いしてきたわ」
「何? よく会えたな。砦の戦士が匿っている筈だが」
「あなたの名前を出したもの。意外に有名人ね」
「そんな事は無いと思うが。何を話してきたんだ」
「当局に所在を知らせればそれ以上関知しないと伝えたわ」
「ああ、それはありがたい。随分と譲歩してくれたんだな」
「あと、人を付けたわ。弟子として」
「監視が付いちゃだめだろう」
「あのね、当局の思惑と外れそうなら監視が必要だけど、そういう感じじゃないのよね彼女。むしろあっちの知識を広めて欲しいくらい。だから帝国から学者を付けたの」
「どんな人?」
「二十三歳の独身女性で、魔術院の年度主席だったから優秀よ。砦の出身だから適任ね」
「腕前は?」
「接着の魔法が使えるけど、対人戦の経験は無し」
「オスカルの言うことは聞くんだな?」
「ええ。もちろん自分の主張はするけど、オスカルさんは彼女の上司にクレームを付けることができるわ」
「いいだろう。自分も戻ったら一度会うようにする。で、ティファラの足取りは掴めそうか?」
「あの町から離れた後、三人の長身の男たちと合流したところまではわかったんだけど、それ以降の痕跡がまるで無くて」
「長身? ということはやはり」
「ええ、デイスカー人は皆背が高いわ」
「他国のスパイか。危なかったな。僕に毒を盛ったのも彼らだろう。深追いしなくて正解だったわけだ。僕らはもちろん、当局でもプロのスパイ相手では骨が折れるんじゃないかな。オスカルが動かないなら、今出来る事は無いな」
「それで、あの指輪は?」
マヤは棚に飾ってあるヒコザの宝飾品が気になるようだ。
「僕が作ったものだ。魔法の付与はされていない。練習作だ」
「見ても良い?」
「ああ、気に入ったものがあれば持っていっていいぞ」
マヤも女の子らしくキラキラした物が好きなようだ。彼女の収入は知らないが、一般人の比ではなかろう。駆け出しの、しかも銀製品に興味を持つとは思えなかったので、気楽に言ってしまった。
「これが欲しい」
「ん? ああ、こんな地味なのが良いのか。一応これはよく出来たほうだ」
「どっち向きなのかな?」
「自分で見て正しい向きに着けるんだ」
渡されたのでヒコザはマヤに着けてあげた。
やたらと照れるので妙な気がしたが、右の薬指だから問題ないだろう。
そのまま話をして昼を作り、また少し話してからマヤは帰っていった。
+++
「えええ!」
週明け、工房に職人達の悲鳴が上がる。特に大きいのがエネットだ。
「ヒコザ、女の子に指輪を上げたの?」
「ああ、欲しがったから」
「しかも着けてあげたの?」
「ああ、でも右の薬指だぞ」
「ななな! なー!! もしかして、知らない?」
「何を」
「そ!れ!は! プロポーズだぁ!」
「は?」
純銀の指輪を皆さんは見た事が無いと思います。
作成法は本編の通りですが、現在ではほぼ失伝されています。
純銀自体は硬度も低く傷が付き易いので指輪には向かないのですが、鍛造で作ると金属が締まり、良いものが出来ます。本物はメッキをしない為傷も取りやすく金属アレルギーも銀がダメという方も少ないので良い選択肢かと存じます。
尚普通にロウ付けするとロウに含まれた鉛でアレルギーが出る可能性が有るのでお気を付けください。
現代において銀の指輪は鋳造品です。コストが低く誰にでも作れるのが特徴です。
これはスターリングシルバーと呼ばれる鋳型に向いた合金で作られています。
型からポンと取り出しただけでとても硬く、傷が付きづらいのですがハンマーで叩くと割れてしまいます。色も黄色くそのままでは使えないのでメッキされています。
筆者は銀歯の被せ物を集めて指輪を作ろうとした事が有ります。
量的に足りないので銀を足し、インゴットまでは出来ました。
上記スターリングシルバーより弾力があり凄い靭性を感じたのですが、しばらく叩いていたら割れてしまいました。残念。




