飛行器
昼過ぎ、と言っても日の昇らない国では、ぼんやり明るい時間帯の事だが、一人の小ざっぱりした身なりの女性が、とある工場の前で足を止めた。
「すみません、どなたかいらっしゃいますか」
照明の落とされた工場には誰もおらず、停止した工作機械が延々と低い唸りを上げているだけだ。
昼休みが報告より長い。当局の下調べが甘かったようだ。彼女はまるで悪い予感を押さえつけるように、飾り履きの剣の柄頭に手を置いた。
彼女がもう一度声を上げようとすると脇の扉が開き、一人の工員が現れた。
「はい、いらっしゃい?」
「あの、こちらに新しい鋼の加工方法が有るって聞いたんですが、お話を伺えますか?」
「ええと、失礼ですがどちら様で」
「産業庁振興課のマヤ・ミレニアです」
言いながら彼女は細かい文字が書かれた小さなプレートを掲げた。工員はちらと見ると無言で元の扉へ戻って行った。
彼女は工場の中をしげしげと見渡した。妙なカバーが追加されているものもあるが、市販されている工作機械ばかりだ。だが先月、この工場でありえない程少ない工数で加工を成し得たのは、保護局の調べで分かっている。間違いなく、ここにはオーバーテクノロジーが有る。そしてその発生源を突き止め、もし異邦のものであれば当局の保護下に置かねばならない。
脇の扉が開く。小柄で壮年の男性が現れ、妙に明るい表情で話し始めた。
「ええと、鋼の加工に興味があるんだって? 役所ってどこでそんなものを」
マヤは彼の話を聞いていなかった。正確には違う音を聞きつけたのだ。奥で重い扉が閉まる音。
彼女は壮年の男性を押しのけ彼が現れた扉を開け放った。そこは狭い事務所で、奥の扉には先程の工員ともう一人大柄な作業員が腕を組んで立ちはだかっていた。その表情には荒事も覚悟の決心が溢れていた。
彼女は踵を返し路地へ戻ると、裏通りへ向かって走った。通りしなにちらと見ると、壁の一部が大型機械の搬入用に開くようになっているのが分かった。取っ手も何も無い壁だから、保護局には扉としての情報が無かったのだ。だが裏手に回ったのは正解だった。逃亡者は大通りを選ばない。黒っぽい服の青年が三軒向こうの角に消えるのが見えた。革のバッグを背負いスケッチブックのような板を持っている。良い目印だ。
全力で走る。マヤの脚力で石畳が幾つか割れた気がするが、構っていられなかった。低い姿勢で彼の消えた角に走りこむ。居ない。
左右とも大きな工場の外壁で、隠れる場所は無い。側溝に異常は無い。戦闘種族のマヤより足が速いとは考え辛い。一般人が自力で屋根に上がれるのか? 微かな風切り音に気づいて見上げる。
「あっ!待って!」
彼女はつい声を上げてしまった。彼は先の細った長い板に乗り、空中に浮いていた。先程手にしていた板を展開したようだ。
投げつけるのに手頃な石ころは見当たらなかった。工場員のきれい好きには呆れるわね、と小さく眉をひそめながら、彼女は勢いを付けると壁を蹴って屋根に上がり、短い助走で空中の彼に向かって跳んだ。
「あんた!あり得ないんだからっ」
伸ばした指は届かなかった。
+++
落下したマヤが紡績工場の屋根に大穴を開けている間に彼は姿を消してしまったので、仕方なく彼女は彼の工場に戻った。
「ちょっと。どういうことなの」
鼻息も荒く壮年の男性を問い詰める。
「何の事だ」
「彼がヒコザね?何で逃げたのよ」
「さあな」
「私、役所から来たって言っただけじゃない」
「何も知らんよ」
「あのね、お願い、彼を連れ戻して」
彼女の真剣な眼差しに負け、男性は小さな溜息をついた。
「いいかいお嬢さん。俺は奴が野垂れ死なない程度に面倒を見てきたが、それ以前の事は何も知らないんだよ」
「やっぱり。彼はいつからここにいるの?」
「半年ほど前だ。ふらふらっと現れてしばらくでいいから雇ってくれと」
「それで?」
「奴は図面が読めた。ここの機械を見ただけで使えるようになった。不慣れだが理屈が分かっていたんだ。だから上に住まわせて給料をやった」
「彼は戻ってくると思う?」
「知らんよ。さっき礼を言われてしまったからな。今までありがとう、とさ」
「なんてこと。戻って来るんでしょう?」
「それがあり得ないのはお嬢さん、あんたのほうが分かっているんじゃないのかね」
「そうね。ねぇ、彼は言葉をきちんと話した?」
「あ、ああ、普通だったよ」
「嘘ね。でもありがとう。これだけは言っておくけど、私、彼を悪いようにはしないわ。さて、後で保護局の査察があるから、彼の物には手を付けないで」
「何っ?保護局って、あの、異邦人狩りの...」
「評判悪いのね」
「そうか、さっきのでかい音はあんたかい」
「あ、あはは?」
確かに迷惑な存在では有ったとマヤは反省した。
通常異邦人保護局のエージェントが単独で出動することはありません。
異邦人がどんな戦闘力を持って居るのか分からない為です。
今回のヒコザを対象とした案件では、通常の審査の上特殊案件の報を受けた保護局は宮殿に報告、一時移管の形で宮殿預かりになっています。
この特殊案件は軍隊どころか近衛や騎士団、私設軍までもの使用を制限されており、ごく少数の人員で巫女本人が事にあたる決まりとなっています。腕には覚えが有るので今回は身軽に一人で来ました。ガッチリした護衛を引き連れた署員も奇妙ですからね。
巫女の権限は大きく、あらゆる省庁の身分を幾らでも纏う事が出来ます。
因みに保護局の事務服はテララ風に言い換えると紺のブレザーにグレーチェックのスカートです。貴族家の者はそこへ飾り履きの剣を下げます。




