SFにおけるバーチャルリアリティの考察
【Enter】
――――……ン、アァーー、テステス。聞こえますかぁ?
【Yes/No】
……Yes
――――おっ、良かった。じゃあ始めるね!
このビデオを観てくださり、誠にありがとうございます! 我々のいる時代は、あなたから見るといわゆる“未来”です!
劇的な進歩により、我々は未来から過去に物質を転送できる技術を会得したのです。すごいでしょう?
ただ、これもまだ開発段階。物質といっても、現在そちらへ送ることが出来るのはこういった動画や文書だけ。そちらがなんらかの災害に見舞われてしまった際、物資を送れるようにしたいのですが、先は遠そうです。
十五年以内に完成させないと。……我々は歴史を知っているので…………。
ゆえに、人体……生物も無理です。リスクが大きいですしね。――そこで生まれたのが、あなたもご存知でしょう? VRシステムです!
そちらの時代では、VRはまだゲーム内限定であると調査済みです。その空間であれば現実のものを仮想に反映することが可能。その逆も然り。
我々のいる世界ではゲームだけにとどまらず、社会そのものがVRになりつつあります。これなら“現代は”どんな災害にも強くなれるんです。過去となってしまうと……ダメですねぇ。転送システムを一分一秒でも早く完成させなくては。
ただ、あなたたちの未来に心配はいらないということです。このVRシステムのおかげでね。技術の進歩に終わりはない!
――……で、問題が生じまして。過去の方々のお力を借りたいのです。これがこのビデオを送った理由です。
……近年、とある病気が流行っておりまして。それを我々はVRS――「バーチャルリアリティ症候群」と名付けました。その名の通り、VRに関する病気です。感染症ではありません。「流行っている」というのは、感染しない病気であるにも関わらず、発症人数が異様に多いことを指しています。
要は、現実から仮想へ逃げ込み、出てこなかったり。本来仮想であるはずが現実に出現してしまったり。
一言で言うと、「仮想か現実かわからなくなっている」状態なのです。
由々しき事態です。
仮想を現実に、現実を仮想に、がこのシステムの特長ですがなんでも許されるという訳ではありません。
例えば、現実の貨幣が仮想に行っては困るし、仮想空間にいる架空のマスコットキャラクターが現実で動いていたりなんかしたら街は大パニックです。
……が、それが起こってしまっている。
これが人体までに影響されると、VRSとしてカルテに書かれてしまう訳です。
肉体面はもちろん、深刻になると精神面――メンタルにまで障害が起こります。言語を正しく話せなくなったり、人格が180度変わってしまったり。要は、脳がコンピュータープログラムに侵されているということです。恐ろしい。
その治癒、そして予防のために我々はとある解決案を実行しました。
それは、「仮想と現実の間に大きな違いを生むこと」。
手っ取り早いのは食事でした。現実での食事は変えず、ブロック形状のものを。その方が簡単ですから。驚きですか? 我々は“カレー味”を知っていますが、カレーそのものを実際に食べたことなど一度もありません。
毎日同じ量、同じ形、同じメニュー。我々はこれを「定食」と呼んでいます。しっかり定まった、健全な食事ですからね。
対して仮想はより取り見取り。歴史文書から色や形を仮想空間に反映させたのです。この作業は本当に大変でしたよ、不快で仕方がない。命を無駄にするわ健康に被害を及ぼすわ。これが現実だったらどうしようかと思いました。…………ああ、ごめんなさい。
えーーっと、次に時間です。
仮想空間の時計システムをいじり、現実との時差を生みました。仮想での一時間を、現実での一日にしたのです。仮想にいればいるほど、現実ではますます年老いていく。
怖いでしょう?
そう、我々は仮想を「怖く」したのです!
不気味な食事、短すぎる時間。これなら仮想から逃れ現実に目を向けるだろう、と!
……だが、失策も甚だしかった。
前よりもっと患者が増えてしまいました。仮想がある限り、現実はどんどん狂っていくのです。
今まで得意げに技術の進歩やらVRシステムやら語ってきましたが、本当はそんなものではないんです。むしろ、退化。
この世界が病気でいっぱいになろうとしている。
過去のあなたたちの出番です。
どうか、この世界から、
――――仮想を消してください。
仮想の歴史を根絶するのです。
でないとあなたたちの未来は絶望しかない。
お願いです。このビデオは、私が現代技術を使う最後の機会です。
どうか、
よろしくおねが、――。
【Enter】
「…………」
スクリーンに映っていたビデオ画面を切った。
「お、そのビデオ見たのか? どんな内容だった?」
食卓に一人の男がやってくる。両手にトレーを二つ、二人分のカレーライスだ。そのうち一つは、ビデオを観ていた男の方へ置かれた。
「……くだらない内容だったよ。どれもこれも嘘ばかり。仮想空間がどうとか言ってたけど、どうやらコイツ自身が仮想の人間じゃないのか疑うほどだ。患者の戯言、時間の無駄だったさ」
「ははは、気になるけどなあ。そこまでつまらないと」「やめとけ」
男たちは食卓に向き直り、銀色のスプーンを手に取った。
カレーライスからは湯気がほかほかと立っている。とろみのあるルウを掬い口に含むと、絶妙な辛さが広がった。ビデオのひどさをうっかり忘れてしまいそうになるほど。
喉に温かさが過ぎたあと、男は加えて呟いた。
「――あと、そうだ。このビデオは誤送だった。俺たちに向けたものじゃなかったよ。
…………五十年前のものだったから」
三題噺「メンタル」「時計」「定食」で書いたものです。
意味が分かると怖い話。