04:異聞の1.コボルトの姫リーリ②
わたしたちは森の奥へ奥へと逃げた。
ゴブリンの追っ手を恐れたのだ。
でも森を進むほどに、わたしたちは数を減らした。
魔獣だ。
獣が魔力に侵されて変質した、おそろしい化け物。
森にはその魔獣が溢れていて、わたしたちは襲われたのだ。
森にはいって2日目には106人の仲間は95人にまで減っていた。
飢えた魔獣にとって、弱ったコボルトは絶好の獲物だったのだ。
それでも、わたしたちは森を進んだ。
水辺を求めて、わたしたちは喘ぐようにして歩を進めた。
川を発見したのは4日目のことだった。
朝露や雪を口にして渇きを癒していたわたしたちは限界で、みんなで歓声を上げた。
「これで生き延びられる!」
しかも、この辺りにはどういった理由でか脅威となる魔獣がいなかった。
「ここに新しいコボルトの集落をつくろう!」
わたしたち生き残った85人は、協力して新天地に住む場所をもうけることにした。
同時に、森で食べられる物を探す。
わたしたちは、長らくゴブリンの配給に頼っていた。
しかもココは勝手の違う森。
どれが食べられるのか食べられないのか、手探りで調べることになった。
あれを食べ、これを食べる。
あれを口にして、これを口にする。
その過程で、7人が命を落とした。
毒だ。
わたしたちは、初めて食べてはいけない物があることを知ったのだ。
けれども、7人のおかげで必要最低限の食料を手に入れられるようになった。
「これからだ、これから」
みんなは合言葉のように、明日に希望をもって生きていた。
そんな時だ。
あいつが現れたのは。
その魔獣は、それまでの魔獣とは比べようもないほどに禍々しかった。
熊の頭に、蜘蛛の体。
全高はコボルトが4人分ほどもあるだろうか。
体毛は星明りのない夜の闇よりも黒い。
そんな魔獣が、わたしたちを襲ったのだ。
最初は川に水を汲みに行っていた5人が殺された。
その脅威を、全身なますにされて辛うじて息のあったブル・テリアが報告してくれたのだ。
「ラズゥ」
青い顔をしたオールが言った。
「ラズゥ? それが魔獣の名前なの?」
「そうです。古老から聞いたことがあります。森にはラズゥという、熊と蜘蛛を合わせ混ぜた強力な魔獣がいると。そいつがいるせいで、黄金の時代のコボルトは森へ決して立ち入らなかったとか。ですが、ラズゥはもっと森の深部にいるはずなのに」
わたしたちは知った。
この場所に魔獣がいなかったのは、ラズゥを恐れてのことだったのだと。
つまり、この場所は。
ラズゥの縄張りなのだ。
それからは地獄だった。
ラズゥは気の向くままに、わたしたちを狩るようになったのだ。
1日に1人のときもあれば。
5日に1人のときもあって。
わたしたちは日に日に疲弊していった。
逃げようにも、いまさら何処へ。
わたしたちには、もうこの場所しかなかった。
遂に仲間が56人にまで減った日。
わたしは夢を見た。
ゴブリンみたいに毛がなくて、それでいてゴブリンとは似ても似つかない容姿の、奇妙な服を着た何者かが、コボルトを地平の果ての光へと導く夢。
わたしは弾かれたみたいに飛び起きた。
直感があった。
これは天啓だと。
コボルトを救う、御使い様が顕現なされるに違いない。
夜中。
わたしは1人で集落を飛び出した。
みんなに天啓のことを言って、空振りだったら申し訳ないと思ったのだ。
それに。森にはラズゥが忍んでいる。
わたしの夢で、みんなを危うい目にあわせるわけにはいかなかった。
「だって、わたしはコボルトの姫なんだから」
わたしは1人、夜の森に入った。
何処に行けば御使い様に会えるのかなんて分からない。
ただ、夢が真に天啓だったのなら、御使い様に会えるはずだった。
・
・
・
ハァハァ
息せき切って駆ける。
ハァハァ
息せき切って逃げる。
全力で走っている。
にもかかわらず、ラズゥは付かず離れずの距離を保って追って来ていた。
ワォーーーーン!
気付けばわたしは、情けないことに助けを求めてしまっていた。
ガオオオオオオオ!
ラズゥがからかうみたいに、わたしの助けを求める声に合わせて咆哮を上げる。
恐怖にかられたわたしは
「しまった!」
逃げるままに川辺へと飛び出してしまった。
森のなかなら、木々が邪魔をしてラズゥを撒くことは出来ないまでも、追いつかれることはなかったろう。
でも川辺は別だ。
ラズゥの巨体をさえぎる物がない。
まさか、誘導された?
わたしは森へ逃げようとしたけど、ラズゥが許すはずなかった。
腕で払われて、コロコロと川辺の小石のうえを転がる。
ラズゥはもてあそぶのだ。
1撃で殺すようなことをしないで、ジリジリと傷つけて、残忍に殺すのだ。
わたしは立ち上がった。
ズキンと足首に鈍い痛みが走る。
捻ったみたいだ。
これでは駆けることが出来ない。
わたしは剣をラズゥに向けた。
森にはいったところで見つけた銅製の剣は、黄金の時代のコボルトのものだろうとオールが言っていた代物だ。
「来るなら来なさい!」
牙を剥きだして吠える。
「わたしはコボルトの姫! ただでは殺されたりしない!」
ニヤリとラズゥが嗤ったように見えた。
再び蜘蛛の腕が振るわれる。
わたしは空中高く掬い上げられた。
「ギャン!」
地面に叩きつけられて、痛みに悲鳴がもれる。
「負けて…たまるか」
立ち上がる。
立ち上がっては、ラズゥになぶられた。
2度、3度と繰り返されて。
「ぁ、ぐぅぅ…」
わたしはもう動けなくなっていた。
意識が朦朧とする。
痛みはすでになく、代わりに全身がひどく熱かった。
「わあああああああ!」
不意に声が聞こえた。
だ…れ?
首はもう動かない。
視線だけを向ける。
「!」
わたしは息を呑んだ。
そこには。
そこにいたのは。
「御…使い……」
さま。
わたしはそこで意識を失った。