03:異聞の1.コボルトの姫リーリ①
わたしの名前はリーリ。
平原に点在していたコボルト族の最大集落、その族長の末裔らしい。
らしい、と言わざるを得ないのは、わたしが生まれた頃にはコボルト族はゴブリンに蹂躙されて隷属していたからだ。
爺じの言うところだと、わたしの叔父さんが全ての元凶なんだとか。
ともかく、わたしは周囲のコボルトから『姫』なんて呼ばれてるけど、自覚はあんまりない。
だって仕方ないでしょ?
姫らしい生活なんて経験したことがないんだから。
雨風が吹き込むみすぼらしいコボルト専用の小屋にぎゅうぎゅう詰めにされているのだ。
衣服は申し訳ばかりに恥ずかしいところを隠すボロだけ。
食事は1日に1食。
ゴブリンが食べ残した残飯や、糸を引いた肉が配給される。
「姫様にこんな物を食べさせるとは…」
糸を引いている肉は『腐っている』んだって。
爺じや、老人たちは怒っているけど、コボルトが平原を支配していた黄金の時代をしらない、わたしみたいな若い世代は、首を傾げるばかりだ。
腐ってない、お肉を知らないんだもの。
「お肉って酸っぱいものじゃないの?」
そう訊いたのは何時だったか。老人たちが「情けない」と泣いてしまったのをわたしは憶えている。
。
そんな食事の問題は量だ。
ゴブリンによって配給される食事は、ぜんぜん少なかった。
どれくらい少ないかというと、年中無休でコボルトのお腹の虫が鳴いてしまうぐらいだ。
そんなだから、老人たちは次から次へと弱って死んでいった。
幼児も、産まれたばかりの赤ン坊も、ほとんどが死んでいった。
現に、わたしの下だと無事に成長しているのはチッチ1人しかいないのだ。
そんな状況でも、わたしが15歳まで生きながらえたのは、爺じたち老人が少しずつ食料を分けてくれたからに他ならない。
「もっと食べ物をくれたらいいのに…」
「ゴブリンどもは、我々コボルトを恐れてるんじゃよ。ハラペコで満足に動けないようにしているんじゃ」
そう言った爺じの言葉は若いみんなには聞き流された。
だってゴブリンはあんなに太っているんだもの。
わたしたちみたいな痩せっぽちを恐がるはずがない
話を戻そう。
栄養が足らずに死んだコボルトは、舌なめずりするゴブリンによって何処かへ運ばれていく。
「きっと天国に運ばれるんだね」
チッチが呑気なことを言っている。
「天国ってね、お腹いっぱいに食べられる場所なんだって」
誰に聞いたのか、そんなことを言う。
そんなはずないのに。
そんなことがあるはずないのに。
だけど、わたしたちは敢えて何も言わない。
言う必要なんてないから。
何時か、自分で気づくだろうから。
雪がちらほらと降り始めた、ある日のことだ。
食事が何時もよりも多めに出された。
「戦争か…」
19歳のくせして親父くさいオールが吐き捨てるみたいに呟く。
大目の食事がだされた次の日には戦争があるのだ。
戦争。
コボルトを制圧して平原を我が物としたゴブリンは、さほどの時を置かずに四分五裂してゴブリン同士で争い始めたのだという。
とはいえゴブリン同士で殺し合うことはまれで。
代わりに血を流すのは、わたしたち戦奴のコボルトだ。
つまり、同族同士で殺し合うのである。
翌日。薄く雪の積もった平原を、わたしたちはゴブリンに周囲を囲まれつつ進んだ。
途中で弱っていた老人が幾人も倒れる。
わたしたちは手を貸さない。
いいや、助けるだけの体力がないのだ。
倒れた老人を舌なめずりしたゴブリンが天国へと連れて行く。
「新鮮な肉だ」
「年寄りの肉は固いから、オレは嫌いだ」
……天国に運ばれてゆく。
歩き通すこと1日と半日。
お天道様が頭の真上にくる時分に、わたしたちは戦場に到着した。
食事が配給される。
同族と殺し合うための体力を養うための食事。
でも、これをわたしたちは絶対に口にしない。
何故なら、この肉は新鮮だからだ。
そう。
さっき獲ったばかりのように…。
「ウラアアアアアアア」
コッチとムコウでゴブリンが雄叫びを上げる。
わたしたちは逃げられないよう、ゴブリンの突きつける木の槍で追い立てられるようにして、対立するゴブリンへと駆けた。
ムコウからも、同じようにコボルトたちが駆けてくる。
両者がぶつかる。
武器はないので、噛みついて、爪で引き裂いて、殺し合う。
でも、今回に限っては違った。
「この時を待っていた!」
爺じたち老人や大人が手を取り合ったのだ。
「手筈通りに!」
「姫! こちらに!」
何が何だか分からない。
戸惑っていると
「ゴブリンから逃げるんです! 森へ逃げるんです!」
オールが怒鳴った。
わたしとチッチ以外は通じていたんだろう。
みんなが森へと走る。
でも森は遥かに遠い。
地平線の向こうだ。
ここに至って、ゴブリンも異変に気付いたようで、コッチからもムコウからも挟み込むようにして殺到した。
「姫」
爺じが……幾人もの老人がわたしの前に遣って来る。
みんな、どうしてそんなに清々しい顔をしてるの?
「我等、失礼ながら姫のことを実の孫、娘のように思うておりましたぞ」
恐い。
何が起きているのか頭が追いつかない。
黙っていると
「姫、死出の旅路の寿ぎを」
オールが難しいことを言った。
何かを言えということなんだろう。
だからわたしは
「わたしだって同じだよ。みんなのこと大好きだよ」
聞いた爺じたち大人が目を細めて
「ハハハハハハハ!」
爺じが吠えるみたいに笑った。
「聞いたかよおのれ等! 不甲斐なき我等を、姫は好いていると申してくれたぞ!」
聞いたぞ、やれ嬉しいや。
大人たちが声を張り上げる。
爺じがギラリと牙を剥きだすと
「死ぬるには好い日よりぞ!」
おおおおおおおおおおお!
大人たちが殺到するゴブリンどもへと立ち向かって行く。
わたしたちは駆ける。
全力で森へと急ぐ。
わたしは走りながらも後ろを振り向いた。
爺じたちはゴブリンと渡り合っていた。
数では遥かにゴブリンのほうが多いのに、コボルトは負けることがなかった。
わたしたちコボルトは強いんだ。
爺じが言っていた。
『ゴブリンはコボルトを恐れている』
嘘じゃなかったんだ。
むしろ場所によっては圧倒してさえいる。
「オール! 加勢に向かいましょう!」
「なりません!」
「どうして!? わたしたちが加勢したら、爺じたちも…」
「あれは死力を振り絞っているのです! 長くは持ちません!」
オールがわたしの手を引っ張る。
走る。
走る。
振り向く。
コボルトは、ゴブリンの勢いに負けていた。
討たれる。
殺される。
次々に力尽きてゆく。
「姫!」
誰かの叫び声が聞こえた気がした。
それでも、わたしたちは止まることなく森へと走って。
おおぜいの犠牲の果てに、106匹だけが生き延びたのだ。