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私とナナの調査

 病院というのは気分によって印象がだいぶ違うものだ。赤ん坊を見にきたときは天使の憩いの場のように感じられたのに、今は悪魔の巣窟のように感じられる。酷く陰気な気分だった。


 病院には、幾人かの警察官がいた。

 入院患者やナースらに聞き込みをしているらしい。有力なものを得られますように――私は心から祈った。


 病室前につくと寿を呼び出し、少し離れた所で私たちは話し始めた。警察官が、訝しげにこちらを伺っていた。


「ごめん寿、来てもらって」

「いや、いいんだ。こっちこそすまないな、来てくれて。昨日もすまん。でも少し気が楽になったよ」

 と言ったが、寿の目は相変わらず落ちくぼみ、顔色も決して良くなかった。


「優衣さんにお会いできないかしら?うかがいたいことがあるんだけど」

 ナナは単刀直入に訊いた。だが寿は困ったように顔を逸らし、

「今はその、事件があって憔悴してるし、警察にもさんざん聞かれて疲れてるんだ。だからこれ以上、刺激を与えたくないというか……」

 ナナは理解して優しく頷いた。

「ごめんな」と寿は軽く頭を下げる。


 まあ、既に警察が詳細を聞いているし、他に聞き出す情報もないであろう。


「じゃあ優衣さんに伝えておいてくれない。犯人にはもう、わっぱがかかってるって」

 ナナは手首を合わせ、手錠をかけられている仕草をし、不敵に笑ってみせた。寿もつられて少し笑う。


 それから寿は病室に戻った。


 次はどうするのか、帰るのかと訊ねると、彼女はかぶりを振った。

 隣りの病室に向かい聞き込みを行うと言う。

 応じてくれるかな?と不安を口に出すと、二日前、病院に来て既に親しくなっているから大丈夫さ!と言った。


 私は驚いた。手を打つのが早いやつだ。

 それに、決して人付き合いが得意とは言えないナナが、人と親しくなっているとは……。事件が絡んだときのナナの演技はそれはもう一級品だから、それを惜しみなく使ったのだろうか?


 病室前につくと、名前プレートに目を向けた。田中たなか紗奈さなさんというらしい。


「ああ賢一さん、寿くんたちの知り合いだということは伏せてあるから」

「よし、解った」


 ナナがノックすると、返事がかえってきた。

 扉を開け中に入っていくと、ナナは元気溌剌な声で、それこそキャンパスライフを楽しんでいる女子大生のような明るい声で、

「こんにちはー!田中さん、来ちゃったぁ!」


 私は思わず顔をしかめナナを見た。まさかこれほどとは……。彼女は多重人格者かなにかか。


 ベットの上には、半身を起こし、笑顔で手を上げているご婦人があった。この人が田中さんであろう。線が細く、少し力を込めれば折れてしまいそうな人だったが、川の流れを思わせる優しそうなお方だった。


「あら、ナナさん。来てくれたの」

「はい!」ナナはとてもキャピキャピしていた。

 田中さんは私の方をちらりと見ると、ナナに向き直して、

「彼が言っていた彼氏さん?」

「はい、そうです!」と私の腕に抱きついてきて、「彼氏の賢一さんでーす」


 私はひささか引きながらも、田中さんに挨拶した。

「どうも、初めまして」

「ふふ、頼りになりそうな彼氏さんね」

「そうでしょ!事実頼りになるんですよー」

 ナナは嬉しそうに私の腕を引っ張った。


 いまだに状況を呑み込めない。私も彼女のテンションに合わせ、頬ずりでもしてやればいいのだろうか。


「それで、赤ちゃんを見せて欲しいんですけど」とナナは殊勝な顔して言った。

「ああ、そうね、約束だもんね」

「はい、それでお話も聞かせてもらいたいんですぅ。これからの、その、参考になるかも知れませんし……」とナナはこちらを恥ずかしげに見た。


 なるほど、彼氏大好きキャラを演じて近づいていったのか。


 田中さんは赤ん坊を抱きかかえると、ナナに授けた。

 やはり病院で支給される白い服を着て、握っている手はぷくぷくに膨れている。つぶらな瞳をぱちくりさせていた。この子もまた、可愛らしいお猿さんであった。


 子供が苦手だと言っていたが、演技に入っているナナは見事そのものだった。よしよしとあやしつけ、輝かしい笑顔を振りまいていた。ムービーでも撮って普段の彼女に見せてやりたい。


 衣服に隠れて気がつかなかったが、よく見てみると、赤ん坊の首にはお守りがさがっていた。


「これはなんです?」と私は訊いた。


「ああこれはね、安産祈願で持ってたものでね、産まれた今は赤ちゃんに持たせているの。突然死なんてこともあるし、ご利益があるかもと思って」

 するとナナは笑顔で言った。


「ご利益が無くなってなければいいんですけどねー」


 私はひやひやした。なんてことを言うのだ!案の定、田中さんはえっと驚いていた。やはりナナはナナだった。


 ナナはこの雰囲気に気づいている様子もなく、赤ん坊を母親に返すと、

「お守りは、生まれてすぐにつけてあげたんですか?」

「いやそれがね、産まれてすぐは痛みとか興奮があったから忘れてたの。それで初授乳をしたり、親が来て赤ちゃんを見せてたりしたら、あっという間に就寝時間になって、目を瞑ったところでハッと思い出したの。それで、ここに勤めてる知り合いのドクターがいるんだけどね、まだ病院にいたからその人に頼んで届けてもらったの」

「お知り合い。産婦人科ですか」

「いえ、外科の先生だけど」

「ふうん、知ってるかもしれないなー、お名前はなんです?」

今村いまむらっていう男性のドクターだけどぉ」

「いや、やっぱり知らなかったみたいです」

「でも、なら安心ですね」と私は言った。「お知り合いのドクターがいたら。相談にも乗ってくれるだろうし、気持ち的にも楽になりますよ」

「うん、だからこの病院にしたの」


 ナナは、母親に抱かれている赤ん坊に目を落とすと、

「このこ、男の子ですか?」

「ええ、そうよ」

「お名前は?」

「それがまだなの。やっぱり慎重になってしまって」

「ですよね!やっぱそうなりますよ〜」

「うん、姓名判断も気にしながら考えてるんだけど、それがなかなか」

「あっ、だったら私、占星術かじってるんで占いましょうか?」

「うそ、じゃあお願いしようかな」

「はい、いいですよ」とナナはとても嬉しそうに言った。「じゃあ血液型と産まれた日にち、それと時刻も教えて下さい」

「血液型はA、産まれたのは五月八日の五時三十分ね」

 私は思わず、

「へえ、友人夫婦と同じ日ですね。しかもたった三十分あとだ」

「そうなんだ」

 田中さんも驚いているふうだった。ナナは私たちの会話を聞き終えると、

「じゃあ出生場所も知っているので、また結果をお伝えしますね!」

「うん、よろしくね」


 田中さんは笑顔を見せた。凄く楽しみにしている様子が伺える。


「あっ、そういえば、赤ちゃんが殺される事件があったらしいですね」

 ナナは本題をしれっと訊いた。


「そうみたいね……、怖いよね」

「はい、とっても」ナナは神妙な顔をしてみせた。「田中さんは犯行があった時刻、なにか聞いたりしました?病室、隣じゃないですかぁ」

「丁度その時間起きていて、警察にもこのことは話したんだけど、確かにガサゴソという音は聞こえたよ。でもそれだけ。犯人を見たりしてないから、役に立たないって」

「そうなんですか」

「うん。でも、なんで赤ん坊が殺されたんだろうね……」

「赤ん坊に怨みがあるというのは考えられませんから、こういう場合、犯人は親の方に怨みがあると考えるのが筋ですね。例えば、恋愛絡みとか」

「ああ、なるほど……」

 田中さんは関心したように言った。

「田中さんはそういうの、心配ありませんか?」

 私は目を丸くしてナナを見た。また失礼な発言!やはりナナはナナだ!!


「ええと、私たちはたぶん、大丈夫だと思うよ、はは……」

 田中さんがいい人で良かった。多少困りながらも怒らず答えてくれた。


「そうだ、今村さんは今日出勤してるんですかー?」

 そうナナが訊いたのは、今村氏にも聞き込みを行うつもりだからだろう。

「いえ、今日は休みみたいよ」

「明日はどうです」

「明日はいると思うけど」

「じゃあ事件があった日はどうでしたかー」


 流石に田中さんは困惑した表情を見せ、

「うん、出勤してたけど……。でもどうして」

「ただの野次馬根性です」とナナは恥ずかしげもなく、愛嬌のある顔で笑った。


 そして床を見つめるようにして顔を伏せると、顎に手をやり何やら思考し始めた。田中さんの存在を忘れてしまったらしく、ぶつぶつと呟いている。


「どうしたのナナさん?」

 ナナは顔をはっとさせ、思い出したようにキャピキャピを再開した。

「いえ、なんでもないですよ。ああ、そうだそうだ、赤ちゃんのことでお聞きしたいことがあるんですけどぉ」


 それからしばらく田中さんと話をしたあと、私たちは次なる聞き込みへと向かった。

 優衣と同じ日に女の子を産んだという末永すえながさんや、よく病院内を徘徊してるというご老人に。そしてナナはその人物によって、演技を使い分けていた。破局寸前の冷えきったカップル、家も近いし幼馴染みだけど、幼馴染みゆえそれ以上の関係に踏み出せないでいる乙女、といったふうに、多種多様の演技であった。しかしそんな演技をする理由が私には解らなかった。


 この聞き込みも、目新しい情報を得られなかったし、役に立っているのか解らなかった。


 ナナは最後に、新生児室に行ってみようと言った。私はもちろん頷いた。


 ガラスの向こう側には、ずらりと小児用ベットが並び、数人の愛らしい赤子が眠っていた。

 思わず顔がほころぶ。

 しかし、この幸福な場所に似合わず、私の気持ちは暗くなっていた。寿たちを思うと切なさが溢れた。

 だがナナはそんな様子は見せず、首を動かし一生懸命に中を覗いていた。

 そしてしばらくして、帰ろうかと言う。



 考えついた先の答え


 家に帰ってくると、ナナはスイッチが入ったらしく、自分の世界に入り込み、考え事にふけり出した。

 こうなってしまっては、どんなに声をかけても返事することはない。何故なら、此処には存在せず、精神の中にいるからだ。どんな天変地異が起ころうとも、彼女は逃げようともせず、きっと、「うるさい!」で済ましてしまう。


 一応、ご飯だぞと声をかけてみたが、ソファーの上でうずくまり、何やらブツクサと呟やいていた。


 精神集中モードになったナナに食事を取らせるには、彼女を食卓まで運んでやり、料理を盛り付けて目の前に出してやれば、体が求めるだけの栄養を無意識の内に取り出すので、今回もこの方法を用いることにした。


 そしてご飯を食べ終わると、一応、ごっとさんと言って、またソファの上で瞑想し始める。


 ナナも構ってくれないし、私はお風呂に入ることにした。風呂に入ってくるからなと告げたが、やはり返事はない。


 湯船につかり極楽のため息をつくと、じっと目を瞑り、事件のことを考えた。


 きっと、きっとナナが犯人を上げてくれる。ああなってしまったナナからは、どんな謎も逃れることはできない。


 脱衣場の方から音が聞こえ、首を向けた。すると扉が開き、ぶつぶつと呟きながらナナが入ってきた。別に恥ずかしいわけではないが、私はびっくりした。


 ナナは、私が入っていることにまったく気がついていないようだった。頭の中で駆け巡る情報に視界を覆われ、私が映っていないのだろう。


 ナナが湯船に入ってき、お構いなしにでんと真ん中に陣取ってくる。文句を言って集中力が切れてしまってもかなわないし、私は従順に隅に追いやられた。むしろ体に触れたりして彼女の気が散らないよう、大丈夫かな?と気を使っていた。


 神経がすり減る湯船から出ると、私は体を洗い始めた。勢い余ってナナの顔に泡を飛ばしてしまったが、それでも動じることはなかった。完全に外界とシャットアウトしている。


 それから少しして、私もナナを気にするでなく体を洗っていると、「はぁ……」といきなりナナがため息をついた。


 あれっと彼女を見る。精神世界から戻ってきたのだろうか。


 するとナナは、苛立たしげに「ああクソう!」と叫び、水面をおもいっきり殴った。水しぶきが飛び上がり、彼女の顔についた泡が落ちる。

「やっぱりそういうことか」とナナは苦々しく言った。


「どうした?」

「いやあ、実は――ってなんで賢一さんがいるの?」

「な、なんでって言われても……」

 私は当惑した。

「ああいや、別に言わなくてもいいよ。そうね、うんそうだね、こういうのもたまにはね、甘えたかったんだね」

「いやだから俺は別に」

「いいからいいから。大丈夫、大丈夫、恥ずかしがらなくてもいいよ、その気持ち私にも解るから、甘えてもいいのよ」

 口々に言われ、まったく弁明させてくれなかった。私は甘えん坊ということになった。


「そうだ、背中洗って上げるよ」


 ナナは私の返事も聞かず湯船から出ると、ボディタオルをひったくり、私の背中を洗い始めた。

 人に背中を洗ってもらうのは、子供以来だったから、ああこんな感じだったっけと、妙な感覚だった。悪くはなかった。


 すると、ナナの手が突然止まった。


 どうしたんだろう、と体を捻り見てみると、ナナは私の背中に手をやったまま、重々しくこうべを垂れ、ため息をついていた。


「どうした?やっぱり背中を洗うのが嫌になったか?」

 ナナはこうべを垂れたまま、ゆっくり首を振る。「そうじゃないさ」

「じゃあ、どうして?」

「……ねえ賢一さん、明日また病院に行こうか」 

「え、ああ、うん。いいけど」

「うん」

 ナナは止まっていた手を動かし、ごしごしとまた背中を洗い始めてくれた。


「やっぱり、子供を失うのは辛いんだよね」

 ナナが独り言のように呟いた。いつものとは違い、しおらしかった。

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