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親友にしてやれること

 五月十日、午前六時。

 川藤優衣は嫌な気分で目を覚ました。なにか悪夢を見た気がするのだが、覚醒したばかりもあって漠然とし、思い出せなかった。


 半身を起こしてみると、優衣は目を大きくし驚いた。何故か警察官と看護師が、ドアの前に立っているのだ。


 疑問が頭にひしめく中、優衣は予感めいたものを感じ、体を捻り急いで乳児ベットを覗き込んだ。だかそこにあるはずのベットはなかった。優衣は軽いパニックに陥った。息が乱れ、心臓の鼓動も早くなっていく。確証はないが、何か良からぬ事が起こったのだと思った。


 看護師は優衣が目覚めたと知ると、すぐさま部屋を出ていった。すると間もなくして、数名と看護師、それとスーツをきた刑事らしき人物がすっ飛んできた。

 優衣はわけも解らず、集まった人物の顔を不安げに見つめた。看護師の顔色は悪く、葬式の参列者のようで、集まった数名の警察官も割合表情が暗い。


 そして優衣は、何より訊きたかった我が子のことをきいた。


 刑事は躊躇いがちに口を開けると、「落ち着いて聞いて下さい」と言い辛そうにし、少しの間が空いたあと、「……あなたのお子さんが殺されました」


 優衣はその言葉に、頭がくらくらした。マラソンを終えた直後のように心臓が早くなった。


 とても信じられず、もう一度周囲の人物を見渡す。


 誰しもが皆、絶望した顔と哀れみの目をしていた。嘘などではないようだった。

 優衣は悲鳴を上げ、頭を抱えた。

 どうして、どうしてこんなことになったのだ!? どうして我が子が――!


 涙を流し泣き叫んだ。とても苦しかった。どんなに声を上げて吐き出しても、楽にはなれなかった。


 半狂乱になった優衣に、看護師らがその場で取り繕った安い言葉をかけ、手を握ろうとしてくる。優衣はその手を振りほどき、落ち着かせようとしてくる看護師らに、腕をばたつかせ抵抗した。看護師らは優衣を押さえつけようと、肩や手を掴んだ。優衣は泣きながら振りほどこうとするが、とうとう押さえつけられてしまい、悲痛を叫んでいる口も軽く塞がれた。

 その時、まるで心臓がぴたりと停止したかのように、優衣は目を見開き固まった。悪夢の内容が、突如として浮かび上がってきのだ。口を塞がれた感覚で全てを思い出した。だが、あれは夢などではなかった。現実の出来事だった。


 何時頃かは解らないが、おそらくぐっすりと眠っていた深夜。優衣は誰かに襲われた。顔は見ていない。というのも、眠っているところにガーゼのようなもので口を塞がれ、目も覆い隠されてしまったのだ。

 優衣は異変に気づき目を覚まし、身を悶えさせ抗った。自分の口を塞いでいる腕を掴み、振りほどこうのするがすぐさま眠気が襲ってきた。ガーゼのようなものには麻酔薬が染み込まれていた。

 優衣は顔を見ていないが男だと証言した。掴んだ腕の太さや硬さで、女性でないと判断したからだ。

 どうやら検死の結果でも、赤ん坊の首を絞めたのは九分九厘、男性となった。


 事件が発覚した経緯と、経過はこうである。

 深夜三時頃、見周りに訪れた看護師が異変に気づいた。乳児ベットを覗き込んでみると、赤ん坊の顔は青白く、首は何かで絞められたように、ぐるりとへこんでいた。

 看護師はすぐさま人を呼びにいき、医師らが死亡の確認を取ると、ただちに警察を呼んだ。そのあいだに、乳児ベットとの境目にカーテンを引いた。目覚めて真横に我が子の骸があればパニックは必死、産後の疲れた体にもダメージがでかいと考え、すぐには解らぬよう隠しておいたのだ。


 そして医師は腹を括り、優衣を起こそうとしたが、まったく目覚める様子がなかった。この状況下であるから、母親も死んでいるのではないかと思った。脈を測り、ライトで照らし瞳孔も調べてみたが、ただ眠っているだけだった。医師は長年の判断から、これは麻酔で眠らされているのだと確信した。それは事実であった。だから病室にどたどたと入って来た時や、カーテンを引いている時も目覚める様子がなかったのだ。


 すると間もなくして警察が現れた。警察も同様に起こそうとするが結果は同じだった。仕方がないので赤ん坊の検死を済ませ、警察病院に送ったのち、目覚めるのを待つことにした。


 そして目覚めると先の通りである。

 解剖の結果では、犯行時間は十日の零時から一時のあいだとなった。死因は窒息死。母体を眠らせたあと、悪魔が宿るその手で、首を絞めた。指紋はなく、赤ん坊の首の骨は折れていた。苦しまず一瞬であっと思われる。

 母親が眠っているところに、改めて麻酔薬で眠らせたのは、犯行の途中で目を覚まさないようにと思われる。


 部屋には体毛などの、犯人に辿り着けるものはなにもなかった。

 麻酔薬も、今時ネットで調べれば手に入れることもできるだろうし、そこから所在を追うことはできなかった。


 母親をわざわざ麻酔薬で眠らしたという事実から解るように、標的は赤ん坊であった。


 しかし、どうして赤ん坊が殺されなければならない。産まれたばかりの赤子に、どんな怨みがあるというのだ。赤ん坊はなぜ殺される。それが謎だった。


 そこで考えられるのは、怨みの矛先は赤ん坊にではなく、その親にあるのではないかということだ。つまり、赤ん坊を殺すことが最高の報復だったのだ。


 ではその動機となると、それは、色恋が絡んでいる可能性が非常に高い。例えば、ストーカーにも似た一方的な愛による逆恨みや、もしくは互いの合意があった浮気相手の狂った嫉妬。二人の愛の証を破壊してやり、自分には復讐を果たしたという陰湿な満足感を、二人には癒えぬ絶望を。


 しかし、周囲の環境や交友のある人物をどんなに洗ってみても、上がってくるものは何もなかった。ましてや赤ん坊を殺すほどの動機など、皆無だった。爛れた関係もないし、時として人間はどんなにつまらない理由でも人を殺したりもするが、しかし、その他これといった動機がなかった。皆、潔白そのものだった。殺人快楽が目的の犯行とは考えにくい。


 ロビーや出入口に備わっている監視カメラを確認してみる。犯行があった時間帯や、犯行が起こった前日――つまりは私たちがお見舞いに行った日――にも遡ってみたが、写っている者全員の所在は掴めたし、怪しいこともなく、成果は得らなかった。病室が並んでいる廊下にカメラがなかったのは痛かった。


 カメラが駄目なら人の目である。犯行の時間帯、誰か見た者はいないのか?看護師に関しては決まりきまって見周りを行っているはずだ。

 しかし、これもまた何もなかった。総合病院であるし、幾人かの入院患者や泊まりにきている親族らは見たが、その者らに川藤夫妻との面識はないし、よって動機もない(当局は一応、マークしているみたいではあるが……)。


 もちろん、一番犯行が容易である病院関係者も疑われた。だが容易だということは同時に、手がかりもないということ。有力なものは得られなかった。しかも被害者との関係もないし、また動機もなかった。


 よって第三者の影はない。

 捜査は困難を極めていた。

 事件から三日ばかり過ぎたが、遺憾にも、依然として新展開はみられなかった。しかし、まだ三日だという希望もある。これからどんな動きがあるかは解らない。


 ナナも、何やら考えている素振りをみせていた。それが事件のことなのか数学のことかは解らない。


 私は今、寿の家に来ていた。邪魔かとも思ったが、放っておくことはできなかった。

 家につくとダイニングテーブルに通され、寿は私にお茶を出すと、目の前に座った。テーブルに肘をつき、片手で頭を抱えた。

「信じられないよ、まだ」寿は苦しそうに言った。「確認のためにも子供に合わせてもらったけど、誰が受け入れられるってんだ……」


 寿を昔から知る私にとって、今の彼を見るのは凄く辛かった。目には生気がなく落ちくぼみ、髪の毛もぼさぼさで、表情にはずっと暗い影がさしていた。誰の目からみても憔悴が見て取れた。

 部屋の中も、まだ日中だというのにどんよりと薄暗い。前に来た時は、二人に――いや、幸福な三人に合わせるように、部屋の中もきらびやかに輝いていたというのに、今はもう。


「いまだに指紋だとか、犯人を突き止めるような手がかりは出てないらしい……、このまま頭打ちかよ……」

「いやまだこれからさ!いずれ何か掴んでくれるよ」

「ふっ、そうかな」寿は鼻で笑った。「でも俺は、一日でも早く捕まえて欲しいんだよ。たった一日日でも早く……そしたら俺がぶっ殺してやるのに」


 私を目を逸らし、お茶に手をつけた。もちろん、やってやれとも言えないし、そんなことは止めろとも、今の寿の気持ちを察すれば言えなかった。

 寿は自分の言葉に自嘲気味に笑うと、次に重たいため息をついた。


「実はな、俺たち夫婦がやったんじゃないかって疑われているらしいんだ」

「なっ!本当かよお!?」

「ああ。もしくはどちらかがってな。警察もまだそれとなくしか訊いてこないけど、どうやらそれも、若い夫婦だからっていう理由ぽくてさ。お若いですが、子供は望まれてましたか?だとよ。ふん、ふざけんじゃねえってんだ」


 私は舌を打った。可能性の一つとしてあるかも知れないが、大切な友人夫婦が疑われているのは腹しか立たなかった。


「クソッ!」私は膝を強く叩いた。


「優衣は憔悴が激しいから、まだ何も言われてないけど、一番疑われてるのは優衣なんだよ。ほら、俺にはアリバイがあるから」

 確かに事件があった時刻は、私と二時まで飲んでいた。目が離れたのも、トイレに行った数分くらいなものだ。どうあがいても犯行は不可能である。


 しかし、だからといって優衣が疑われているのは納得できない。警察としては、こっちのストーリーの方が蓋然性が高いと考えているのだろう。男に襲われたというのも、自分が疑われないための嘘であると。


 だが首を絞めたのは男性だと、検死の結果で明らかになったではないか。

 警察は自分らの都合で事実をねじ曲げてしまうのか。もしくは、優衣が何かしらのトリックを用いたと、そう考えているのだろうか?

 それに第一、優衣を知ってるものからすれば、どんなに子供を待ち望んでいたか知ってる者からすれば、絶対に犯人ではないと確信を持って言えるのだ。慈愛に満ちた瞳で赤子を見ていたあれは、演技だったというのか。


 否、それは違う。あれは母親の顔であった。


 もし仮に優衣が犯人だとしても、“どうして産んでから殺したのだ”?産む前ならば罪に問われないというのに。いざ子供の顔を目の前にして、気が変わったというのか?だが逆のこともまた言える。顔を見たのだ、我が子の顔を。痛い思いをして産んだ宝の顔を。彼女はそんな非道な人間か?


 私はやるせない怒りでいっぱいだった。こんなことを言っても一緒だろうが。


 寿はほとほと疲れ果てたように、ゆっくりと髪の毛を掻きむしりながら、

「賢一には申し訳ないくらい何度も言ってきたけどさ、俺は本当に、これからもっともっと頑張って、優衣の両親に認めてもらおうと思ってたんだぜ。よく思われてないからさ……。子供にも――子供にも誇ってもらえるような、いい親父になろうって……、なろうって思ってたんだ……」

「寿……」

「名前だって、まだ決めてないのに……、呼んでやることもできねえよ……」


 寿は瞳を潤ませ、鼻を啜った。気持ちを落ち着かせようと、震える吐息を何度も吐いていた。怒りや悲しみ、色んな感情が渦巻いているのだろう。


 それが今、涙となって出てきた。本人も気づかぬ内に、寿は涙を流していた。


 すると何かが事切れたように、寿はポロポロと泣き出した。私の前だから見栄を張っていたが、涙を一粒見せてしまい、とうとう抑えきれなくなってしまったのだろう。止めどなく溢れ、感情をあらわにした。


 私は席を立ち、寿の横に座ると友人の肩を抱き寄せた。言葉が見つからないから、私の想いが届けばいいと思った。


 寿はずっと泣き続けた。私は下唇を噛み、涙を堪えた。どうかしてやりたいと、強く思った。それが、大好きな親友にしてやれることの全てだ。


 寿はそのあと病院に向かい、私は帰路についた。


 家につくとたちまちため息が出た。悲しい物語を読み終えたあとのような気分だった。しかし気がつけば私は、いつものように「ただいま」と言っていた。こういう時でも、習慣は抜けないものだなと、少し笑う。


 ナナはソファに座り、瞑想に入っていた。

 膝頭に肘を乗せ、鼻先で手を擦り合わせ目を瞑っている。

 私が帰ってきたと知ると、片目を少し開け、ちらりとこちらを伺ってきたが、すぐさま目を閉じまた瞑想に落ちていく。


 私はナナの横に腰を落とした。だが彼女は見向きもしなかった。

「ナナ、実は頼みがあるんだ」

「いいよ」

「え?」

 即答であった。

 ナナは依然として顔を向けず、目も瞑ったまんまだった。


「いいよ、引き受ける」

「でもまだ何も言っていないぞ?」


「なんだっていいさ――」ナナは目覚めるように瞳を開き、ゆっくりと手を下ろしていくと、私に顔を向けた。「賢一さんの頼みなら、なんだって引き受ける」


「ナナ……」

「それに大体の検討はつく。寿くん、どうだった」

「うん、凄く辛そうだったよ。見ていられなかった。あんな寿、今まで見たことなかった……本当に……」

 ナナは頷いた。


「だから俺は、なんとしても仇をとってやりたいんだ!あの夫婦のためにも、数日で命を絶たれた赤ん坊のためにも。だから頼むよナナ、犯人を見つけ出してくれ!」

 ナナは弱気なんて微塵もない、自信満々の表情で笑う。

「よろこんで」


 そしてナナはソファに身を沈めると、不敵な笑みを漏らした。

「ふっ、なぜ赤ん坊が、ねえ……」


「ありがとうナナ、引き受けてくれて。この恩は忘れないよ」

 ナナの意識は何処かに行っていたみたいで、「え?」と声をもらすと、

「ああ、そんなこと。……ふん、そんなものね、忘れちゃいなさい。私たちは恋人、そんなのは無用の長物よ」

「でも」

「いいからいいから。ほら、私だって木の板で的を作ってもらった時、このご恩は一生忘れません!って言ったのに、賢一さんはいいからって言ってくれたじゃない。それと同じさ」

「全然違うと思うけど」

「まぁ取り敢えず気にしなくていいから」

「……うん、わかった」

「よし、じゃあ賢一さん、明日、病院に行こうか。大学なんてサボっちゃってさ」

 私は頷いた。

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