暇を持てあます探偵
初投稿です。コメントを頂けましたら光栄なことです。
病は気からという言葉と同じように、不満は思えば思うほど深く渦を巻いていく。なのに我が同居にで恋人でもある古海ナナは、その病を大いに考え、あまつさえ言葉にも出していた。
「暇だよ、ひま……、なにかないかな?」
「なにかって言われても」
「そうか、はぁ……」
ナナはソファの上に寝っ転がり、重病人のような顔をしていた。生気がまったく感じられない。ナナにソファを占領されているので、私はソファ手前の床に座り、背中をくっつけ寛いでいた。
「なにか、何かないかな賢一さん?面白い数学の問題でも、奇抜な事件でもいいんだ……。そうだ、事件だよ事件、誰か相談しにこないかなぁ」
ナナはしみじみと言った。
「ニュースがないのがいいニュースってやつだよ」
「何を言う、そんなのつまんないだけだよ!世の中ニュースがあってむしろ健全なんだっ!」
「……」
ナナは奇怪なやつだ。
大学内でも、超がつくほどの秀才と知られていると同時に、超がつくほどの変人だとも知られていた。大学内では流行りの芸能人よりも有名であろう。
先の言動にしてもそうなのだが、何より奇怪なところを上げるのだとすると、ナナの異常なまでの謎への好奇心である。数学の難問を解きほぐすのも好きだし、特に愛しているのが難解な事件であった。不謹慎ではあるが、不可解であればあるほど好物であった。
とにかく彼女は考えることが好きなのだ。頭を動かさないのはナナにとって考えられないことらしく、彼女曰く、眠っている時でも難しいことを考えているらしい。
私は思うのだが、ナナはもうすぐ死ぬのではないだろうか。脳の過労死だ。
「まあ、俺が犯罪をおかしてあげるわけにもいかないからな。なにか映画でも見る?借りてきたんだけどさ」
「ああ、賢一さんがアダルトな作品二本と一緒に借りてきたやつね」
「えっ……」
次第に顔を青ざめさせていった。
汗をたらたらとかき、私も重病人みたいになってしまった。
ちゃんと隠してあったはずなのに。しかもどうして本数まで知っているのだ。
「な、なんのことか……」
「取り繕ってもバレバレだよ。映画を借りに行くと出ていったのに、帰ってきたらなにやら焦った様子で、今は寒い季節だというのに汗はカキカキ。しかも嬉しそうにニヤついていた。バレバレだよ。それにほら、元気になっていたし」
「ええっうそぉ!」
「うっそ〜」
と、ナナは人を馬鹿にしたような顔をした。
「こ、この女……」
ナナは嬉しそうにケタケタと笑った。だがすぐつまらなさそうな表情に戻し、ため息をついた。
「別にAVくらいどうでもいいんだけどね。映画を見るのとさして変わらないよ」
私は身勝手なことに、恋人ならヤキモチの一つくらい妬いてほしいものだと思った。見ないで!と言われたら言われたらで考えものではあるけれど。
次に私はポケットからスマートフォンを取り出し、
「スマホで暇つぶしでもすれば?暇つぶしに最適だぞ。ほら、こうやってニュースを見るだけでもだいぶ時間を潰せる」
「私が言うのは、そんなんじゃあ、ないのさ」
「まあ、そうか」
と私は言いながら、画面をフリックしてニュースをチェックしていった。そこで興味が惹かれるニュースがあった。
「おい、九州で起きてた無差別連続殺人の犯人、捕まったらしいぞ」
だが一大ニュースだというのに、ナナは「そっか」と言っただけだった。私は呆れてしまった。今時の中学生でももっとニュースに関心があるというのに。まあ、この事件自体に興味がないのだろうが。
「でもさ、捕まるの随分と遅れたよな。もっと早く捕まると思ってたのに」
「やっぱり殺人は関連する人物や動機から探るからね、この犯人は殺人快楽が目的だし、ターゲットを無作為に選んだとなると、捕まえのは難しいのさ。辿り用がない」
と言った彼女は鹿爪らしい顔をして、重病人ではなくなっていた。だがすぐ事切れたように、顔の色が変わった。ため息がとてもうるさい。
そのため息に反応することなく無視してテレビを見ていると、ひまだあ、ひまだあと、私の肩を足でグリグリしてきた。いい加減鬱陶しいので、私は呆れながらも取っておきを出すことにした。
立ち上がり引き出しの中を探っていると、ナナは子犬のように首だけを持ち上げ、こちらを見ていた。興味深々である。
取り出したものを見せると、ナナは目を輝かせた。
「これ、テレビでも紹介されてた、東大教授が出したとかいう超難解の数学問題集。あなたに解けるかうんたらかんたら、って言ってたやつ」
するとナナはソファから立ち上がり、駆け足でこちらに近づいてきた。
「ありがとう賢一さん!」
なかばひったくるように私から問題集を取り上げると、ナナは、やった、やったとテンポ良く飛び跳ね、拳をぶんぶんと振った。
今までの付き合いから解ってきたが、彼女は花束よりも問題集の束のほうが嬉しいらしい。クロスワードパズルを数冊挟んでおくとなお良いみたいだ。
早速、問題集に取り掛かるためナナは隣の部屋へ向かっていったが、扉を半分跨いだところでひょいと半身だけを反らせ、
「そういえば、今日の夕食はカレーライスだったよね。楽しみにしてるから、賢一さん」
そう言うと隣の部屋へ入っていった。
別段、食に興味もないくせに、よくもまあぬけぬけと言えたものだ。時間の無駄だから、一粒で腹を満たせれる薬があればいいのにと、常々言っているくせに。
だが気がつけば、私はご機嫌な鼻歌交じりで料理を始めていた。なんだかんだといって嬉しかったらしい。
ポケットに入っているスマホが震えた。
確認してみると、友人の川藤寿からの着信だった。寿は私やナナと同い歳だが既に結婚しており、妻のお腹には子供がいた。この時間の、しかもメールではなく電話となると、飲みの誘いだろうか?それとも――
電話に出てみると、「ハァハァ、ハァハァ」と興奮した荒い吐息が聞こえてきた。思わず顔をしかめる。気持ちの悪い、背筋が寒くなった。
「そ、そんなにパンツの色を知りたいんか」
「バカッちげーよ!それより一大事なんだよ」
「嫁さんが実家に帰ったとか?」
「それも違うくて、産まれそうなんだよ!」
「えっまさか子供が!?」
「そう、そうなんだよ、だから俺、不安で不安で……」
「待てまて、産まれそうってことは陣痛が始まってるってことだよな。病院には連れて行った?」
私は冷静に訊いた。
「ああもちろんだよ、数時間前に。今は病院で、もう既に分娩室に入っているよ、で俺はその前で待機中さ」
「いや分娩室前かよっ、電話していいんか!」
「そんなこと言ってる場合じゃねえだろうが!」
「いや言ってる場合だろうっ!それはまずいぜ、流石に。医療機器やらに、もろ影響を与えるんじゃないか」
「ああ、それもそうか」と寿は気がついたように言った。
私もだいぶ動揺しているが、寿の動揺ぷりは凄まじかった。
「取り敢えず落ち着こうぜ。病院に連れて行って、もう分娩室に入ってるのなら、あとは無事を祈るだけしかないじゃないか」
「う、うん……けどよぉ」
「親父になるんだろう?しっかりしなくちゃ」
すると微かにスマホの向こうから、電話のご使用はお止めください!という白衣の天使の怒号が聞こえたかと思うと、そのままぷつりと切れてしまった。
「そうか、産まれそうなのか……」と私は一人呟いた。感慨深い思いだった。幼い頃からの親友が、親になるというのだ。
しかし今日は親族でごちゃごちゃするだろうから、明日、赤ん坊の顔を見に行くとしよう。
私はいそいそと足を進め、隣の部屋へと向かった。扉を開け中に入ってみると、ナナは忙しそうに問題を書き込んでいた。
「なあ、ナナ」
「ん、なに」こちらを見もせず、絶えず手を動かしていてた。
「寿のとこ産まれそうなんだけどさ、明日病院にいかないか?」
ナナはぴたりと手を止めた。やっとこちらに向いたかと思うと、とても嫌そうな顔をしていた。体育の授業が突然マラソンに変わってしまったかのような顔だ。
「行くの……」
「うん。そりゃ強制じゃないけど」
ナナは極度の子供嫌いだった。それは赤ん坊だろうと同様だった。どうしてそんなに嫌うのかは解らないが、これを機会に子供は可愛いものだと、ほんの少しでもいいから認識して欲しかった。
「まあ、別にいいけど……。賢一さんは子供好きなの」
「嫌いではないかな」
「じゃあ将来、子供欲しいと思う?」
「結婚してたらそう思うだろうな、きっと」
「ふうん」とナナは考えるような素振りを見せたあと、「じゃあ私も子供嫌い治さなくちゃね」
しれっと臆面もなく言いやがった。私は嬉し恥ずかしい気持ちで顔を染めた。