~だからこその統治者~
貴方は何でも屋のナナシと名乗った男に一通りの案内を受けた後、何でもない一軒家の中に通された。本当に何でもない一軒家だと、貴方は感じている。玄関口から見て、木製のテーブルと椅子が中央、奥左側に厨房施設が見える。右手には暖炉とその燃料の薪。それ以外に注目するなら、テーブルの中央に可愛らしい花が一輪、花瓶の中で元気そうにしている。
貴方は仕方なく、椅子に座って待っているところだ。誰をと言えば、ナナシの話にあった王。この住居は王の住まいということで、すべきことはしたからここで待っていてくれと、ナナシはそう言って去っていった。
貴方はというと、ぼんやりとそれを見送ってから、自身のことを振り返る努力をした。しかし、どんなに、貴方がどんなに、自分が、何であり、自分が、何であったか辿ろうとして、行きつく先は、白い闇の広がる空間。その空間と戯れると、時間の流れる感覚が希薄になった。
気づけば、王の家に指す陽は夕日の忘却の色合いをしていた。
貴方は一息つく。自らがわからないということの意味を知った。そして、ここにいる住民はそのことを知っているのだろう。なぜかそれが心の慰めになっていた。
扉が開けられる。誰かが来るとわかっているにも関わらず、貴方は驚きながらそちらを向く。中に入ってきたのは、可憐な少女。王、というおぼろげな印象。民を従える力を持つ存在、それとはかけ離れているように思える。
「ナナシさんからお話は聞いています。私はマリー、この浮島の王を務めています。以後お見知りおきを」
恭しく握手を求めてきた彼女に、貴方は立ち上がってその手を握る。その体格の通り手は小さい。
お茶を淹れるのでと彼女はキッチンへ向かい、手慣れた手つきで準備を進めていく。その光景は、王というよりはただの娘のように貴方は思える。しばらくしてから、薫り高いお茶が振る舞われ、貴方はそれをマリーと楽しんだ。
「ナナシさんから一通り伺っているかと思います。この場所は、どこへも行けない場所。死を甘んじて受け入れ、飛び降りたとしてもここに戻ってきてしまう。この場所から出られるとするなら、ご覧になられた高き塔の中に方法がある、これが私達が出している結論です」
塔は全て探索されていないが、階層ごとに全く異なる環境であること、見た目の広さよりも広大な空間が内部にあると、貴方は説明された。そして、この場所の特異性を示す話がもう一つ。
「これから話すことは非常に重要です。貴方も、そこに登るかもしれません。しかし、中はお話した通り危険が多い場所です。致命傷を負うこともあります。そしてその場合、この場所に戻ることもございません」
マリーは口を閉じ、目を閉じた。発生した無音に、貴方も合わせて身じろぎもせず言葉を待っている。言葉が決まったのか、彼女はゆっくりと目を開けた。
「どこにも行くことができないことで発狂した方が、自殺まがいの為に中へ入り、そして殺され戻ってこなかった。そういうことも、起きています。私もその気持ちは…、わかります。誰よりも長く、長くこの場所にいますから」
彼女の言葉は、言い方を変えるとこの世界における唯一の死に方ということ。それ以外の方法で死に至ることはない。出る方法が見つからなければ、自分達は永遠に生き続けることになる。貴方はその事実に気づく。
「死を恐れ、塔に行くことを拒む方もいます。当たり前のことでしょう。しかし、私達がここにずっと縛られる理由もまた、ないのです。この考えに賛同してくれた方が、塔の探索をしていただき、少しずつ内部がわかるようになってきています。今はまだ、浮島から脱出する方法は見つかっていません。でも、私達は必ず見つけ出します」
貴方は可憐な少女という認識を取り払うことにした。目の前にいるのは、強い意志を秘めた人間だったからだ。王と呼ばれているのはそこからきているのかもしれない。ただ、まだ貴方はマリーのことをほとんど知らないと言っていい。
「少し熱くなりました。ごめんなさい。さて、しなければいけないことがあります。貴方のお名前です。ナナシから伺ったところ、お覚えではないとのことですよね。そうなると、皆が貴方をお呼びする時に困ってしまいます。そういった方のお名前を私がお付けしていますが、よろしいですか?」
それを聞いて貴方は考える。名前、と言われてもピンと来なかった貴方は、マリーに任せることにした。
「わかりました。それでは貴方のお名前についてですが――」
夜は更ける、貴方は名前を与えられて、王の家に泊まり今日一日が終わった。未だ、この世界の疑問は氷解しないままに、眠りの奥へと入っていく。
与えられた名は。
そこにいる存在となる。