~フルムーンライト~
「ねぇ」
宿に戻り、自室にいた貴方の下にクルダはやってきていた。会話はない、彼女が持ってきたランタンは備え付けの机に置かれ、彼女はぼんやりと窓から月をしばらく眺めていた。
ベッドに座っていた貴方は、呼び掛けに顔を向けて反応した。彼女はこちらはまだ見ていない。視線の先にあるのは相変わらず満月。気づいているかわからないと思い、貴方はどうしたか聞き返した。
「本当に、何も覚えてないの?」
ようやっとこちらに向けた顔は、一緒に疑惑を持っていると伝えてくる。しかし、疑われても貴方は自身のことを、それこそ欠片さえ思い出せない。ここに来た時の記憶が、自身とおぼろげに感じられるもの。不確かで、頼りない、それでも、人と接触することで貴方であると認識できる浮島での記憶が、全て。
せめて、クルダのように思いの品でもあればと思ったことは、貴方は当然あった。ただそれは、今気づいている貴方という自身を否定しているようで、あまり考えないようになっていた。
自傷気味にクルダは静かに笑う。自分の問いが意味を持っていないことを、貴方の様子で気づいてしまったからだ。それから、鞘に入れた状態で思いの品である剣を、腰から彼女は引き抜いた。
「言ってたっけ? これのこと、クロスって呼んでるのよ。うん、それはいいか。ヴェルと違ってあたしは少し、記憶があるというか、まぁ、クロス(これ)を見てると思うの。誰か助けなきゃっていう思いと…、渦巻く憎悪をってやつをね」
少し驚いた貴方は、理由を聞こうと口を開いて、止めた。思いの品が、何も善い感情のものとは限らない。言うなればそのものに対して、その人間がいかに執着しているのか。それがこの世界に現れる際、一緒に引き寄せて持ってきていると浮島の人間達は考えている。
言うなれば、クルダはその剣に愛憎のようなものを抱いている。そして、全てを覚えていない彼女にその理由はわからない。
「なんとなく気づいてたかもしれないけど、夜が嫌いというより、暗闇だったり閉鎖した空間が嫌なの。記憶の中のあたしは、牢の中にいる。誰も、あたしの言葉なんて聞いてくれない」
首を振る。共に塔へ登る仲間になったとは言っても、会って数日しか経っていない関係なのに、クルダはどうしてあなたには話す気になったのかわからない。でも、貴方が真剣な眼差しで自分を見てくれることに、彼女はホッとした。
「いいの? あたしも牢にいた理由はわからないけど、善人じゃないからかもよ?」
それはないと、貴方は断定して、クルダは笑う。心底おかしかった、貴方は何も知らないはずなのに、何がわかるのかという気持ちはある。けれど、その言葉に嘘があると考えられなかった。自分を信じてくれることが、ここまで嬉しいことだったことを思い出していた。
おかしな奴、貴方に対して浮かべた彼女の素直な気持ちだった。
「あーあ。なんであんたなんかにこんなこと話しちゃったんだか」
飲んだこともない酒を呑みたい気分になる。いろいろな感情が沸き出て、酔いに任せて全部吐き出せたら楽になる気がした。
「…、内緒よ。そういうのもいいでしょ」
貴方は頷いて、そのまま窓を見る、まだそこに満月はあった。
忘れるべきか。
失うべきか。




