~この世界におけるささやかなチュートリアル~
この黒いつゆに麺を半分だけ入れてから、一気にすすりこむ。そうすると、麺とつゆの出汁の匂いが広がって、ふぅ、この上なく至福の時間だな。俺はこの蕎麦とやらが、とてつもなく気に入っている。細かい理由はない、俺の好みに合って美味い。気に入るってはのそういうことだ。
さて、ここの説明をする前に自己紹介といきたいところだが、俺は自分の名前を憶えてないタイプでね。そこは、あんたも同じようだがな。だが、呼ぶ時に面倒だからここの王につけられた名前、ナナシと呼んでくれ。俺としてはセンスある名前だとは思ってる、理由はわかんないけどな。
俺はここの何でも屋みたいなもんだ。本来あんたみたいにここに来たのは、王に会ってもらうんだが、今は王がちょっと出かけてて、あんたのお守りをしてる。こんな感じの雑務が俺の役割って訳だ。
ちなみにこの世界で出かけられる場所は、来る途中見たあのバカ高い塔しかない。ここは、言葉通り浮島でな。どこに浮いてるかっていうと。雲の真上。おっと、まだ非常識なことはそこそこあるから、驚くのは取っておいてくれ。
そんな空中に浮いてる島なんだが、その端っこに柵なんて安全な物はないんだ。そうだな、必要がないからつけない。なぜっていう疑問はあるよな。簡単だよ、落ちても死ねない。なんでかここに無傷で戻ってきちまうんだ。よかったら実践してみるか。やれやれ、新しい奴にオススメするんだが、大体断られるんだよな。
と言う訳で、この浮島の他でいけるのはあの塔だけだ。その塔もデタラメな構造なんていえばいいのかね、誰か言ってたな物理や質量保存の法則がどうのこうのって。俺はよく知らないけど、とりあえず常識は通用しない。
とはいえ、ここにくる連中の常識はそれぞれバラバラでな。見りゃわかるだろ、この食堂だけで髪、肌、目の色が違うのが何人いると思う。そんな訳で、新しく来る奴にはこの場所の礼儀を叩きこまなきゃいけない訳だ。お前さんは暴れもしないからその必要はないだろうけど。
そうそう、ここに来る奴は大体自分のことは忘れてる。名前とかは最低覚えてるらしいんだが、今まで自分が何をしてきたのか、どういう家族がいて友人がいたか。どんな仕事をしていたのか。そこらへんがわからないのがほとんど。俺か、俺はその上でほぼ全部忘れてた。身につけた能力とか技能はそのまんま、らしい。
ここはそういうのが集まって、協力して塔を攻略しようとしてる連中の集まり。というしかないだろうな。
さて、俺の腹ごしらえも終わった。王が来るまでの間、とりあえず浮島の施設について説明するからついてきてくれよ。しなくても、嫌でも覚えるだろうけどな。
かくてそれは現れた。
なぜ現れたか問うまでもなく。