52 亮の成長
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「…………」
司波さんをストーカーしていた男がいなくなって少し経った。
僕は二人きりになってからというもの、さっきまでの調子をすっかり無くして何もすることが出来なくなっていた。
「……司波さん」
それでもずっとこのままというわけにはいかない。
既に辺りは真っ暗で、街灯しかないこの道では僕がいるとは言っても出来るだけ早く離れるに越したことはないはずだ。
でも僕は呼びかけた司波さんの肩が震えていることに気が付いて、思わず拳を握った。
「……司波さん」
僕はその場を動けない。
少しでも音を立ててしまえば、また司波さんを怖がらせてしまうだろう。
今の司波さんにこれ以上そんなことをしたくない。
「…………」
でも司波さんはそんな僕に対してなのか、ゆっくりと手を伸ばしてきた。
空中で止まった司波さんの手は相変わらず震えていて、何かを探しているようにも見える。
そんな司波さんを見て、僕は出来るだけ音を立てないように気を付けながら司波さんへ近づく。
そして血が滲んでしまうほど強く握りしめていた拳の力を弱めて、その手を司波さんの手に重ねた。
司波さんの手は冷たく、そんなに温かくないはずの僕の手でさえ熱を吸い取られる。
それでも僕なんかの手で司波さんを温められるなら、それなら何も言うことはない。
「……っ」
重ねられた司波さんの手が、僕の手を強く握りしめる。
僕はとっくに離れないと決意しているのに、司波さんの僕の手を握りしめる力は変わらない。
「……おそいのよ、ばか……っ」
司波さんは握る僕の手を引き寄せる。
そして震えながら悪態を吐き、僕の胸に顔を埋めてくる。
「……ごめん」
そんな司波さんに、僕は何もしてあげられない。
その手を握り返すことも、震える司波さんを優しく抱きしめることも。
その資格が僕にはない。
僕に出来ることなんて、ただただ謝り続けることくらいだった。
「……ばかっ……ばか」
「……ほんと、ごめん」
僕の胸の中で零れ続ける司波さんの嗚咽に、自分の無力さが嫌になる。
どうして僕は、司波さんを泣かせてしまったのか。
もし僕がもっと早くに司波さんに追いついていれば。
もっと早くに司波さんを追いかけ始めれば。
司波さんはきっとこんな思いをせずに済んだのだろう。
「……ごめん、司波さん」
僕は握られる司波さんの手を感じながら、ただ自分の無力を謝り続けた。
今、司波さんが僕に言う文句は司波さんの本心じゃない。
そんなことは言われなくたって分かってる。
それでも司波さんは言わずにはいられないのだ。
ストーカーに襲われるという非日常を少しでも早く日常に戻すために。
だから僕は甘んじてその文句を受け止める。
むしろ僕だからこそ受け止めなくちゃいけないと思っている。
僕だから、なんてただの傲慢かもしれない。
でもそれで司波さんが日常に戻って来てくれるなら、いいじゃないか。
僕が今ここにいる理由なんて司波さん以外になくて、司波さんのために、司波さんとの時間のためにだからこそ僕は何かをしようって思えるのだ。
「……ごめん」
だから僕は、司波さんが日常に戻って来てくれるまで、謝るのを止めない。
◇ ◇
「……落ち着いた?」
「……うん」
司波さんの嗚咽が収まってしばらく経った。
僕は司波さんが驚かないように気を付けながら声をかける。
その声に対して司波さんは小さく頷く。
「じゃあ、帰ろっか……?」
「……うん」
今何時なのか正確なところまでは分からない。
だが少なくとも陽は沈み切っている。
今日のところは司波さんも早めに家まで送ってあげたほうがいいだろう。
それにここから司波さんの家まではそう遠くない。
僕は司波さんが頷いたのを確認してから、その手を引く。
「……えっと、司波さん?」
しかしどういうわけか司波さんは僕の手を握ったまま、その場に立ち尽くしている。
僕の身体は司波さんの家の方へ向いているというのに司波さんはそんな僕を引き留めたままだ。
「…………」
だが司波さんは僕の疑問の声に答えることなく何も言わない。
このままでは帰るのがもっと遅くなってしまうというのに、一体どうしたというんだろうか。
何も言ってくれないのでは僕も何も分からない。
かといって今の状態の司波さんに対して無理に言葉を引き出そうとするのはどう考えても間違っている。
ここは待つしかない。
そう思った僕は司波さんと向かい合うように身体を振り返らせる。
これなら司波さんの言葉を聞き漏らさずに済む。
そして司波さんもそれは分かってくれるはずだ。
「…………今日、親いないんだ」
しばらくの沈黙の間の後、司波さんは遂に口を開く。
だが司波さんの口から告げられた言葉に僕は固まってしまう。
ストーカーの被害に遭ったその日に家で一人というのがどれだけ不安なことなのか当事者ではない僕が考えても十分に理解できる。
だからこそ司波さんは自宅まで送り届けようとする僕を引き留めるのだろう。
家に帰れば僕はもう司波さんの傍にはいられない。
だからといって僕たちがこのまま外で二人きりでいるわけにもいかない。
じゃあ僕は今どうすればいいのだろうか。
「…………」
考えて辿り着いた答えはあまりにも滑稽で、もしかしたら提案したその瞬間に司波さんに見限られてしまうかもしれない。
それでも司波さんのことを考えた時、少なくともこれ以上のことを僕がしてあげられるとは思えない。
それにこれは僕にとっての成長だ。
恐らく少し前までの僕だったらこんな提案すら考えつかなかっただろう。
だから僕は、心細げにこちらを見上げてくる司波さんから目を逸らすことなく、言ってやることにした。
「僕の家においでよ」