白鳥央士の場合、その後 01
第六章 白鳥央士の場合、その後
第一節
「ああっ!」
勿論そんな声を出した訳ではない。
だが、思わず漏れそうになったのは事実だ。
悩ましい表情で真紅に縁どられた口紅の輪郭が歪む。
細く折れそうな背筋がのけ反り、薄い筋肉質の肉体の下から肩甲骨の形がくっきりと浮かび上がっている。
灼熱のライトに照らされ、フェイクパールと羽根飾り、ティアラが光沢を放つ。
濃いブルーのアイシャドウに彩られたその顔は例え元が誰であろうと判別不能であろうと思われた。
明るく照らされた舞台の真ん中にいる武林の目にはスポットライトの外の暗がりを伺うことは出来ない。
だが、多くの恍惚とした憧れの視線が白銀の衣装に包まれた可憐な武林の女体…バレリーナへと注がれていることはひしひしと感じている。
「そ…そんな…あいつとの談合を了承した時に、また女にされる程度のことは覚悟してたが…ま、まさか女にされてバレリーナの格好で、こんな大勢の前で踊らされる…なんて…あああっ!」
可憐で清楚な外観とは裏腹に、舞台上で舞い踊るのはかなりの重労働だ。大きく露出した踊り子の背中は玉の様な汗が噴き出していた。
メタモル能力で操られている…というか最初の約束で暫くは相手に力を貸すことになったから交換条件と共に要求を呑んでコントロール権を渡していた。
だから自らの意思で踊っているというよりは、放って於いても身体が勝手に踊ってしまうのだ。とはいえ、全く疲れない訳ではない。何とも複雑な状況なのである。
第二節
武林をこんな目に遭わせた白鳥は涼しげな顔で「王子様」を演じていた。
訳も分からぬままに公衆の面前で女にされ、バレリーナの恥ずかしい衣装にされた武林は、なんとそのままリフトよろしく抱え上げられてそのまま劇場に拉致された。
ロクに説明も無いまま舞台は開始され、武林はヒロインであるオデット姫を踊らされることになった。
硬派で鳴らす武林にバレエの知識など皆無だが、「白鳥の湖」の名前くらいは聞き覚えがあった。一生の内でも縁があるとはとても思っていなかった。まさかオデット姫として満員の観客の前で踊る羽目になるなどは。
要するに舞台直前になって主演ダンサーが謎の失踪をしてしまったので、たまたま近くにいたメタモルファイターである武林にエトワールとして踊って欲しい…という依頼だった訳だ。
白鳥はメタモルファイターであり、相手をバレリーナ化することが出来る能力を持っている。
実は主役である白鳥と武林の背後で踊る「白鳥」たちの何人かは白鳥の毒牙に掛かった「元・男」たちである。
毒牙といっても、行くあてもなく、何より生きる意欲が全く無かったホームレスなどであり、今では舞台を降りればごく普通の年頃の娘としての生活を送っている。恐らくあのままうだつの上がらない男として生きて居るよりも有意義な人生であろう。
白鳥とて鬼ではないので、適当なその辺の男を捕まえてバレリーナにするような無茶はしない。そもそも「自衛能力」であるメタモル能力は一般人相手にはそうポンポン発動できない。
だが、「メタモルファイター」なら別だ。
第三節
白鳥はファイト経験は豊富な方ではないし、強くも無いが練習相手のダンサーを探していてメタモルファイターの特性を知り、「例えバレリーナ化しても元に戻れる」後腐れの無い存在として活用し始めていた。
「さ!こっちだ!急いで!」
舞台の裏で走らされる白鳥…こと武林。
「なんだよ!今度は何だ!」
「次の舞台は黒鳥なんだ!着替えないと」
「何だって!?」
「本当にバレエを知らないんだな」
「知るか!」
可憐な乙女たる踊り子にありえないリアクションで怒る武林。
「白鳥じゃあ、主役の白鳥とライバルの黒鳥は同じダンサーが躍ることになってんだよ!」
「だったらなんだってんだ!」
「分からんのか!君が黒鳥をやるんだ!真っ黒なチュチュに着替えて貰わんと!」
「お前メタモルファイターなんだろうが!」
口調は乱暴だが甲高い女性の声である。
「いかにも」
「衣装のバリエーションくらい何とかなるだろ!」
「…確かにその通りなんだが、劇団員には普通の人間も多いんだ。着替えもしてないのに衣装チェンジしてたら疑われる」
「…」
もしかして座長が人の着ている服をバレエ衣装に変える能力があるかも?って疑われるってのかよ…と言いたかったが面倒なので言わなかった。
「ということで頼むよ」
「…俺に、女のまま服脱いで着替えろってのか?」
メタモルファイターは相手の能力を喰らって服が「女装化」することはしょっちゅうあるが、自ら女物の服を脱いだり着たりすることは余り無い。
それは俗に「ナマ着替え」と言われ、ある種「一線を越える」行為であるという不文律がある。
「協力するって約束してくれたろ?」
「こんな恰好するなんて聞いてない!」
両手を広げてバレリーナ姿を見せつけんとする武林。可憐だ。
「悪いが言い争ってる時間が無い」
「…っぁっ!」
武林の身体が勝手に動いて着替えのための部屋に走った。




