第1話その2
「なにィぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!」
思わず耳を塞ぎたくなるような絶叫がビリビリと教室中の空気を震わせた。
学校での昼休み、仲間内で雑談をしていた時のこと。俺の姉が話題に上がった。
その時に、うっかり口を滑らせて今朝起こった出来事を話してしまったのだ。
「み、美月先輩に……寝込みを襲われた……だと……?」
それは姉のファンである江口の精神に衝撃を走らせるには十分過ぎるものだった。
話を聞いた彼は劇画タッチの顔になって驚愕し、わなわなと体を震わせた。
江口の左隣の席で氷室が眼鏡をクイッと上げる。
読書好きな彼は愛読している本を机に置いて、こちらに目を向けた。
「いつかはヤると思ってはいたが、ついに……流斗、責任とってやれよ」
氷室の口から爽やかな杉田ヴォイスが流れ、眼鏡のレンズがギラリと鈍く光った。
俺は即座に反論する。
「いや、一線は越えてないからね。辛うじて姉弟の関係を保ってるからね」
「え?普通はそこで、シッポリかつヌッポリ……あぁ、超キモチイイってなるモンだろ」
知性を感じさせる細面に似合わず、氷室はよくボケをかます奴だ。
「ねーよ!断じて。エロゲーの基準で考えるな」
俺は氷室に、手の甲で相手を叩く古典的なツッコミを入れた。
「くぅぁ~、羨ましすぎるッ。このリア充め!」
そう言いながら江口はスリーパーホールドを決めてきた。
すると俺達の会話を横目で見ていたクラスメイトらが「やっちまえ」と煽ってきた。
贔屓目なしで見ても姉は美人だ。だからファンも多い。
過去、幾人もの男達が姉に告白をし、無残に散っていったとかいないとか。
あ、ライトノベルにありがちな設定だなとか思っても今は心の中にしまっておいてくれ。これでも作者が無い頭を絞り出して書いているんだ。どうか生暖かい目で見守ってほしい。
で、話を戻すが、彼らからすれば俺が姉から受けてきたセクハラまがいの行為も、
『羨まけしからん!』
『爆発しろ!』
『俺と変わってくれ!』
などと羨望と嫉妬の対象になるらしい。
息苦しさを感じつつ江口に言葉を返す。
「んが……誰がリア充だ、誰が……こっちはいい迷惑だよ、もう……ががが」
「何がいい迷惑だ、こんちきしょー! モデルに匹敵する美貌にバスト90・ウエスト58・ヒップ87の魅惑の肉体! 美月先輩ほどの美人に跨られて嬉しくない男はいないだろうが!!」
何故、姉のスリーサイズが知られているのかは、あえて触れないでおこう。
「いやいやいやいや、相手は実の姉だぞ。禁忌に触れちゃいかん……っていうか、ギブ……」
意識が飛びそうになりながら俺はツッコミとタップアウトの意味を込めて江口の手を叩いた。
この世のものとは思えない綺麗な花畑が見えそうだった。
開放された直後に吸い込んだ空気は、いつもより少し美味しく感じる。生きてるって、素晴らしい。
「……おいおい、今のちょっと本気出してなかったか?」
咳き込む俺の横で、江口は仁王立ちで高らかに笑い声を上げた。
「ハッハッハッ、美味しい思いをした罰じゃ……」
「こぉんの、バカちんがぁぁぁ!」
「ひブラッ!」
その間、わずか一秒。いや、もしかしたらもっと速かったかもしれない。
江口の姿が視界から忽然と消えた。
次の瞬間には彼はシャチホコのみたいな姿勢になって目を回していた。
強烈なドロップキックによって江口は壁に叩きつけられたのだ。
騒々しかった教室が凍りついたかのように一瞬で静まり返った。
「ちょっと暇だから、りゅー君を愛でに一年の教室に来てみれば……」
「姉さん!?」
下手人は姉だった。青筋を立てた笑顔で江口の方に歩み寄り、彼の首根っこを掴んだ。
「よっ君、今のはちょぉぉっと、お痛が過ぎたかな?」
姉が呼ぶ「よっ君」とは江口のことである。フルネームは江口好雄。
ちなみに氷室のことは氷室真一なので「しん君」と呼んでいる。
俺と江口と氷室は小学校時代からの腐れ縁というか悪友で、俺が転校したてでクラスにあまり馴染めずにいた頃、クラスメイトの悪ガキにイジメられていたのを助けてくれたのが、江口と氷室の二人。それ以来、割と仲良くやっていて、姉とも親交が深いのだ。
「は、はい……。先輩すんませんでした」
哀れ江口。俺の首を絞め上げた時の勢いはどこへやら、すっかり縮み上がっている。
姉は、若干涙目で謝罪の弁を述べた江口を放してやった。
そして一旦、深呼吸で怒りを抑えてから優しく語りかける。
「いい? よっ君」
「はい」
江口は素直に頷いた。
「別にね、技を掛けてじゃれ合うのはいいのよ。男の子は少しくらいヤンチャな方がいいと思うし」
「はい」
江口は反論することなく首を縦に振った。
「でもね……」
そう言った次の瞬間、姉の顔の影が、その濃さを増した。
背後からバトル漫画に出てきそうなドス黒いオーラというか、傍に立つ幽霊のようなものが出ている気さえしてきた。
「やり過ぎはダメよ。りゅー君に何かあったら私、勢い余って、よっ君のこと海に放り込んで鮫の餌にしちゃうかもしれないから。手加減してあげてね☆」
満面の笑みで冗談っぽく言っているが、一瞬ゴミを見るような目をしていたのを俺は見逃さなかった。
我が姉君は大層ご立腹の様子だ。オー怖い怖い。
「ほんとっ、申し訳ありませんでした!肝に銘じておきますッッ!!」
姉の邪気を感じ取ったのか、江口は素早く正座をし、手をつき、額を床に押し付けた。
一連の動作、形があまりにも綺麗なその土下座は後に学校の『伝説』として末永く語り継がれていったという。