2、
「あ…… ももちゃん……こ、ここに森孝明入らなかった?」
あれだけの奇声を発しながら孝明を追いかけていたはずの女子はなぜかそのももという子と会話を交わした瞬間、言葉がとぎれとぎれとなる。まるでその少女、ももという子の様子を探るように。
「ううん。あの人、そこの角曲がっていったよ」
「ほんとっ!? あ、ありがとね、ももちゃん」
「ううん」
どうもこの二人の会話を聞くとあまり友好関係はないらしい。むしろ、それぞれが距離を置いている感じさえする。
「みんなああ」
そして、孝明を追いかけていた女子がそう叫ぶと、その声に合わせ「はああい」とそこら中から沸き起こった。
一体、何が起きたというのであろうか。
手巻きされた教室に入っても安心することはできない。
孝明は物陰に隠れ、今までの状況整理をする。と、言いつつも状況整理する必要などない。
原因は一つだ。
そう、あの金持ちランキングで孝明が一位になってしまったことだ。そのせいで女子どもはおかしくなったのだ。
そして、このうす暗い教室の中でも非常に危険な孝明の状態は継続中なことだけは間違えようもない。
手巻きしてきたのは――「女子」だから。
少しずつ足音が遠ざかっていく中、孝明の意識は一人の「女子」に向けられていた。
「………」
確か、通りすがりの女子はそいつを「ももちゃん」と呼んでいた。ということは少なくとも孝明の味方はしてくれないだろう。確かによそよろしさはあるにしろ、孝明の味方をするメリットがない。結論、こいつも敵――さらに、意地が悪いことに孝明を独り占めしようとしている。
「ふ~。……も、もう、大丈夫」
耳を澄ませると――確かに足音は完全に消えた。
「……目的は、なんだ?」
やはり、あれか? 金か? 金なのか? 第一、……その瞬間、孝明はひとつの疑問にたどり着いた。
――なぜ、今なんだ?
誰もがそう思うであろう疑問。むしろ、孝明はこの疑問にたどり着くのが遅かったと言っていいだろう。
そして、よく考えてみるが……理由はわからない。ただ、なにかあるとだけは敏感に感じる。
「目的? そんなの……ないよ」
「うそだ!」
つい声を荒らげてしまった。
「……わたしの顔、よく見て」
顔と言われてもそんな素直に「はい」とはいえない。
「はっ、そんなの見たってなんも――」
「見てぇ!」
「……」
泣きそうな声でそういわれ、渋々孝明はその少女の顔を見る――。その瞬間景色が変わった――。
涙目ではあるにしろ、その透き通るような大きな夕焼け色の瞳にふんわりとカールする長くて栗色の髪、とろけてなくなってしまいそうな小さく柔らかそうな唇。そして、なにより抱きしめてしまっただけで儚く砕けてしまいそうな華奢で小さないその身体。
今まで出会ってきた女の子の中で群を抜いてかわいかった。
「……か」
「か?」
わいい、と言いかけたところで我に返る。危ない。危ない。
「な、なんでもない。それより、見たが? それで?」
「よく見てよ」
「じーーー」
「わからない?」
「……」
なにか顔についているのか? そんなわけはないとして、さて、全然わからない。
「もっとよく見てぇ! ほら! もっと寄ってよく見て!」
「ちょ、そんなに引っ張ったら――」
「きゃあああ!」
「どわあああ!」
とまあ、こんなことにもなるわけで……
「あああ、もう。だから引っ張るなって……ん?」
「あっ、だ、だめ……」
手元には小さな膨らみらしきものが感じられる。それがどんなものなのか一瞬でわかってはいた。孝明は瞬間的に非常にまずい状況に陥ってしまったことをわかってはいた。――だが。
「あっ、だめ、だって」
それでも、健全たる男子高校生の次にとる行動は二つ。
一つ、そのまま小さな膨らみに顔を埋め込む。
二つ、この状況を打破するため、少しの不可抗力は厭わず、すぐさまその小さな膨らみから手をのける。その際、自然と力が入って――
「あっ、――って! い、いつまで触ってるの! いつまで乗ってるの! 早く降りて!」
こうなるわけだ。
孝明はせかされ、0,4秒で起きてみせた。
「……もう、大サービスなんだから。孝明だけの」
孝明だけ、とはどういうことなのだろうか。さっきは気が動転していたが、よくよく考えればあんなあるかないか……確かに柔らかったのだけは認めてもいいだろう。それでも、あんなあるかないかわからん乳、全く興味はない。
「はぁ……。で、なんなんだよ。なんかさっきからやたらとフレンドリーだけど――そういえばそうか。あの掲示板が大音量で俺の名前叫んでたしわかるか」
これもすべて作戦のうちということであるのだろうか。 身体をはった作戦だったらしいが孝明に対しては大きな準備不足があったようだ。
「え? 本当に憶えてない、の? ……ねえ、たかあき!」
「は? 憶えてない? 俺たち、どこかで顔合わせてたっけ?」
「――ッ!」
その少女の顔から活気が失せる。みるみるうちに青ざめていく――と思いきや、今度は顔がプンプンはれ、真っ赤になっていく。眉も吊り上っているところ、どうやらお怒りらしい。まったく、喜怒哀楽が激しい人だ。
「待ってくれ! 名前! 名前教えてくれ! そうしたら思い出すかもしれない!」
「……もも」
「で、できればフルネームで」
「……缶見、桃(かんみ、もも)」
か、缶見桃……?
「……」
「わからないんだ。――死ね。死ね。死ね。死ね。一00回死ね! 馬に蹴られて死ね! カニにあそこはさまれて死ね! たっくんのばかたれええ!」
ひどい罵声の浴びせられようだ。一体、孝明が何をしたというのか。それにしても、たっくんって――ん!? た、たっくん!? 待て待て待て! 嘘だろおい! まさか、この子って――
「も、桃缶、なのか?」
「桃缶言うな! アホォオオ! おたんこなす! 死ね。死ねぇえ。うぇえええん!!」
この反応からして、本人に間違いはない。だが――
「お前、ほんっとうに桃缶なのか? 可愛くなりすぎだろ!」
孝明が知っている桃缶ではないのだ。
「え、わ、わたし、かわいい?」
しまった。つい、口を滑らせてしまった。
「あっちから声がしたよ!」
「わかった! 今すぐ行く!」
掛け声と同時に足音が近づいてくる。それと同時に孝明の背中からも汗がにじみ出てくる。今の孝明たちの奇声で完全に位置が把握されてしまった。ここにいては間違いなく殺されるかもしれない。しかし、今更逃げても手遅れなことは明白。孝明は死を覚悟した、その時。
「ほんと、世話が焼けるんだから。二人とも、こっちです」
美しすぎる天使の声が孝明を呼ぶ。その天使は孝明をこっち、こっちと手巻きをしているように見える。
「あ、あなたは?」
「そんなのどうでもいいでしょ? ほら、死ぬわよ?」
孝明に出された選択は一つだ。 孝明は桃の手を引き、――か、隠し扉の中を行く。
数十秒歩き、孝明たちは広間へと出た。
「こ、ここは――」
「ようこそ。死の淵から生還、おめでとうございます」
そう、誰とも知れない声が聞こえてきた。聞き覚えはある。美しい声だったのだから。
しかし、この空間が孝明の思考のすべてを無とかしてしまったのだ。