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天使の妃  作者: 観月 あき
第三章  それは遠く離れた世界
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第24話

 王宮内の小さな図書室に、席に着きそれぞれ紙に向かい何かをかきつけているふたりの青年がいた。

 レイトアルシュはちょうど文を書き終え、インクを吸い取らす砂をまこうとしていた。文の中身は形式的であることきわまりない時候ばかりで、書いていてもまったく楽しくない。早く終わらせたい作業だ。そんなことを考えながら容器を手繰り寄せたレイトアルシュは、ふと気付く。砂が固まっている。指先でつついてみても、かちかちの表面がわずかにへこむ程度。これでは使用目的が果たせない。

 湿度が高いな、とレイトアルシュは誰に言うでもなくつぶやいた。彼の生活圏は宮廷でも最奥部なので、部屋部屋には窓がなく、外をうかがう術がない。今日どころか、ここ数日の天気すら知らないくらだい。これだから出不精だの何だのと、各方面からはいろいろと言われる。皇太子であるレイトアルシュに平気でそんなことを言うのは、副官のアルディーンだったり、はとこのオルテローシュだったり、はたまた弟の第二王子であったりする。

「雨か。大変だな」

 その発言に、たいして意味はなかった。すくなくとも当人にとっては。だが、そうは思わなかった人物が若干一名。

 向こうの机で書き物をしていたアルディーンが顔を上げた。彼は普段の姿からは想像もできないすさまじい表情でレイトアルシュを見つめると、頭にかぶっていたやわらかい布の帽子をぐしゃりと掴み、やにわにそれを投げ付けた。レイトアルシュに向かって。

「湿気が多くて悪かったな! ひとに対する当てつけか!」

 どういうことかというと、アルディーンのくせのつよい銀髪は、雨など降った日にはとてもでないが手に負えず、大変なことになる。気にしすぎではないかとレイトアルシュは思っているのだが、アルディーンは、彼から昔が「なんだか頭が膨張していないか」と言ったのをけして忘れていない。というか、おそらく一生忘れない。レイトアルシュは同じ銀髪といっても、ほとんどくせのないまっすぐな髪をしている。アルディーンの気持ちがわかるはずがない。

 とはいえ、長い付き合いのなかでは何度かあったやり取りなので、レイトアルシュには耐性がある。今回も、なるべく穏便に話を終わらせようとした。

「ディーン、私は、お前のことは言っていないぞ」

「うるさい。むしるぞ」

「………」

 即座に答えが返ってきた。やめてほしい。冗談とも思えないアルディーンの目付きである。

 レイトアルシュは黙って帽子を拾い、テーブルに置いた。アルディーンがそれを取り上げて、もう一度かぶりなおした。





 同時刻。王宮の奥まった一画、アーヴィン公子に与えられている一室にて。

 なかにいるのは部屋の主であるアーヴィン公子オルテローシュと、そのいとこのヴィスタンツェ公子シオンである。

「やっぱり、僕も行けばよかったかな」

 とシオンがつぶやくと、手にしたグラスから視線を移し、オルテローシュが訊く。

「例の茶会か」

「うん。マリアベルも、さみしいと思うし」

 正直なところ、リアーナ主催の茶会にのこのこシオンが顔など出そうものならどうなることか、兄であるオルテローシュにはある程度の予想がつく。だいたい、リアーナはずっと前からシオンに好意を寄せていたのに、当のシオンはリアーナの前にマリアベル=リールという別の女を連れてきたわけだ。これで欠片も不快に思わなければ、そうとう人間ができている。

 とりあえず、シオンが茶会に顔を出すことだけは、やめておいた方がいい。シオンのためにもリール家の令嬢マリアベルのためにも、そして何よりアーヴィン公爵家の名誉のためにも。リアーナは本気で怒らせると怖い。何をするかわからない。オルテローシュですら、一度懲りてから、もう二度と妹を怒らせようとは思わなくなった。シオンはそのことを知らない。

「付き添いか。いらないと思うぞ」

 オルテローシュはそう言って、あとはごく自然な風を装って、優雅にグラスをかたむける。しかしその目は、注意深くシオンの表情を観察している。

「ローシュ?」

「年頃の令嬢同士が集まるんだ、男がひとりだけ混じるのは無粋だろう」

「そうだけれど………」

「男ひとりを女の争いのなかに放り込むのは、不憫すぎる。―――それに、どのみち修羅場になることはわかっている」

「ねぇローシュ、修羅場ってなに?」

「他人が巻き込まれるのを見ている分には、これ以上もないくらいの楽しい見せ物だ。ただし、当事者でさえなければな」

 当事者でなくとも関係者であるはずのオルテローシュは、平然とそう言ってのけた。んー? とシオンはわずかに頭を傾ける。たぶん理解していないのだろうが、それでいい。

 すくなくともシオンくらいは、子供みたいに純粋に、幼いままでいてほしい。





 身分の高い人物には、無意識のうちに頭のなかに刻み込まれた、幾つかのルールがある。生まれた時からそうあれと教えられてきた習慣が。その例として、人前でそうそう表情を変えないこと。特別に許された場合をのぞき、ひとを名前では呼ばないこと。

 アーヴィン公爵令嬢リアーナももちろんその例に漏れない。彼女は常に―――それが意識しての行動なのかそうでないのかは本人しか知らなかったが―――表情を変えず、うつくしい笑みを浮かべている。それは、この日、とうとつにクリーム色のドレスを纏った少女に声をかけられた時も、同じだった。

「こんにちは、アーヴィン公爵令嬢」

 呼ばれたリアーナは足をとめた。声の主は、やはりというか銀髪のひとめでそれとわかる王族。けれどリアーナは平然と、驚いた様子もなくそれに答える。

「こんにちは、アルティーア公爵令嬢。おひさしぶりね」

「ええ」

 アルティーア公爵令嬢と呼ばれたのは、もの静かな雰囲気の少女だった。歳はリアーナと同じか、それよりわずかに幼いかもしれない。はっきりした目鼻立ちの、どちらかといえば可憐と言うにふさわしい容貌は、王族らしく驚くほど整っている。

 見知らぬ人物の登場にとまどっているマリアベルに、リアーナはごく自然に彼女を引き合わせた。

「公爵令嬢、紹介するわ。こちらはマリアベル=リール嬢。わたしのお茶会のお客さまよ」

「おはつにお目にかかります」

 マリアベルが一礼をすると、穏やかな笑みを、相手は見せた。リアーナが今度は彼女を紹介する。

「アンナアリア=シアート=アルティーアよ。アルティーア公爵令嬢。わたしのお友達」

「お会いできて嬉しいです、リールのご令嬢」

 たおやかな笑みとともに、彼女はそう挨拶した。

「ひきとめてしまってごめんなさい。お茶会、楽しんでいらしてね」



 アルティーア公爵令嬢アンナアリアと別れて、ふたりはまた回廊を歩きはじめる。

 ところが。再び歩き出してから最初にあった曲がり角を過ぎてからすぐ、リアーナがなんの前触れもなく、言った。

「マリアベル=リール、お気を付けなさい」

「? アーヴィン公爵令嬢?」

「いま会ったアンナアリア、アルティーア公爵令嬢のことだけれど」

 ちら、と向けられた真摯な蒼の瞳。

「彼女、あんなことを言っていたけれど、あなたのことはとっくの昔に知っていたのよ」

「え………」

「あなたが王都へ来て半月。あなたについていろいろと調べるには十分すぎるくらいだわ」

「で…すが、わたしなんかを、どうして?」

「さあ、何故かしらね」

 そこまで教えてやる義理はない、ということだろうか。その表情をうかがいながら、マリアベルはためらいがちに、もうひとつの質問を口にした。

「あの、どうしてアルティーア公爵令嬢が、わたしのことをご存知だと」

「アンナアリアの口から聞いたの。世間話の風を装ってはいたけれど―――アルフォードのお屋敷に、客人が滞在しているらしい。まだ

若い少女で、わたしたちと同じくらいの歳の子だって」

 ならば間違いない。他家の内部事情を知っているくらいだから、おそらく、マリアベルの名前も知っているのだろう。

「先ほどの茶番は序の口よ」

 茶番。リアーナはそう言い切った。マリアベルは。驚いて彼女の横顔を見つめた。たったいま口にしようとしていた三つ目の質問が、音にならないままするするとほどけてゆく。

 アルティーア公爵令嬢は、お友達ではないのですか。

 けれどリアーナは、マリアベルの顔を見ていない。視線はどこか、遠くにある。


「自分が可愛ければ覚えておくことね。宮廷(ここ)はそういうところなのだから」

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