第23話
アルフォード侯爵アルディーンは嘆息する。目の前にいるのはずいぶんと豪華な顔ぶれだが、彼らの会話の内容といったらぶっそうきわまりない。
皇太子レイトアルシュ、ヴィスタンツェ公子シオン、アーヴィン公子オルテローシュ―――すなわち、第一位、第五位、第七位の王位継承者がひとつところに集まっての会談ともなれば、自然、政治など"そういった"方面のの話題が多くなる。日頃の動向がどうであれ、彼らは仮にも、王家の名を背負う者としての自覚をそなえている。
少し離れて扉のちかくに立っているアルディーンには、三人の会話の中身が聞こえてくる。どこの家がどこと縁組をしただとか、今度開かれる三貴公家主催の舞踏会、議会の動き、大陸の状勢。つまらない政治の話。叶うことなら関わりたくもないが、そうもいかない話。
「レイ、アルティーアから晩餐会の招待状を受け取ったか?」
「ああ」
「シオン、お前は」
「僕のところにも来たよ」
「なるほど。ということは、アルティーア公爵令嬢の婿探しか?」
「その可能性は高い」
こういう話をしている時の彼らの表情は、普段アルディーンが見慣れているそれと、ほとんど別人のように変わる。あのヴィスタンツェ公子シオンでさえ、すこしは真面目な表情になる。それを見るたびに、ああそういえば彼らは王家の人間なのだな、と思い出す。日頃どれだけ親しくしていようと、結局それは、『親しくすることを許されている』だけで。自分は彼らとは、違う世界に暮らす人間なのだ。
そんなことを考えながら、ぼんやりと三人の貴公子たちを眺めていると。
そうだ、と言って、ふいにオルテローシュが立ち上がった。長椅子に腰掛けたまま、上体だけを動かして、そばにあった小卓に置かれた銀のトレーを引き寄せる。
「シオン。預かりものだ」
そう言って、彼は一通の文をトレーの上から取り出した。水色の透かしの入った上質の封筒だ。女性の好むような代物だなとアルディーンは思った。そしてそれは、間違っていない。
「僕に?」
「いや。リール家の令嬢にと、リアーナが」
封筒を受け取ったシオンがそれを裏返してみると、流麗な筆致で、アーヴィン公爵令嬢リアーナの名が記されてあった。差出人は彼女ということだ。―――彼女からマリアベル=リールに、手紙。
不穏な気配しかしない。だが、シオンはとくに、それを気にする様子もなかった。
「じゃあ、渡しに行ってくるね」
「これから?」
「うん」
思い立ったらすぐ実行に移すのは良いことだが、いささか急すぎる気がしないでもない。そう急ぐこともないとは思うのだが、言ったところでシオンは聞かないだろう。
王宮から城下のアルフォード邸までは、馬車でも四半刻はかからない。
「ひとりで行くのか」
「大丈夫だよ、ローシュ」
「あいにくだが、お前の言う『大丈夫』は信用しないことにしているんだ」
と、なんともひどい返答。まあ確かにな、と思ったアルディーンは、とうとつにこちらを振り向いたオルテローシュに驚く。
「侯爵。悪いが、シオンの供を頼めないか」
「私が、ですか?」
「ああ」
ここで話を振ってくるとは思わなかった。それも、公子シオンの付き添いというか道案内というか護衛というか。
ちらとレイトアルシュの方をうかがうと、愛想のない皇太子は黙ってうなずいた。行ってこい、ということらしい。
「では、御前失礼します」
アルディーンはふたりに向かってかるく頭を下げ、それからシオンとともに部屋を出た。
「―――それで?」
レイトアルシュはつぶやいた。淡い蒼の瞳が細められて、その色合いがわずかに深くなる。
「あのふたりをわざわざ追い出したからには、私に話があるのだろう?」
「よくわかったな」
「気付かないものか」
「そうだな。そう、僕は、お前に話があるんだ」
アーヴィン公子オルテローシュは、これでも分をわきまえている人間だ。そして、のちのちに揚げ足をとられるきっかけとなるような失態は、ほとんど犯すことがない。だが。先ほどの一連の会話は。
アーヴィン公子が皇太子の副官に何かを命令することは、できない。依頼という形式をとってはいても、先ほどの行動は実質的には命令だった。アルディーンには、第七位王位継承者でアーヴィン公子のオルテローシュの"頼み"は断ることができないと知った上の。それは下手をすれば、「王家の権威を軽視した行い」などと非難されかねない行動だ。王位継承権保持者にはただでさえ敵が多い。そしてオルテローシュは、気付かぬうちに自分を不利にさせるような行動をとるほど可愛げのある性格ではない。
「ずっと気になっていたんだ―――どうしてリール家の令嬢を助けようとした?」
「その件については話したと思ったが」
「確かに一度聞かされた。身分の低い年頃の少女が、シオンのきまぐれに振り回されるのを不憫に思ったんだろう?」
要約としては間違っていない。………だが、どことなく険のある言い方である。
「何が言いたい」
「たいした騎士道精神だな。人助けは麗しい美徳だが、―――お前は騎士じゃない。皇太子だぞ」
「わかっている」
「わかっていないから、わざわざ僕がこんな話を持ち出したんだ。このばかめ」
レイトアルシュはむっとする。面と向かって「ばか」と言われても平気でいられるほど人間ができているわけでもない。
「お前に言われたくない」
「いいや、僕だから言うんだ。僕以外で、お前に素直な忠告をくれてやるやつがいるものか」
「ローシュ」
「あと半月以内に、リール家の令嬢の件、かたをつけろ。それができないなら、このことを陛下に奏上することも考える」
「ばかな。そこまで大事にするなど」
「ばかなのはお前だ。いいか、シオンの―――ヴィスタンツェ公爵家の次期当主で第五位の王位継承者の妃の座を狙っているやつなんて腐るほどいるんだ。リールの令嬢の件に関わるということは、一歩間違えればお前に要らない敵をつくることにもなりかねない」
「………」
「お前が自滅するのは勝手だが、お前は仮にもこの国の世嗣だ。次の国王だぞ」
ここでいったん、オルテローシュは言葉を区切る。視線だけを動かしレイトアルシュを見れば、彼は無表情だった。
言われなくてもわかっている、あくまでもそう言いたそうな目をしている。オルテローシュはため息をつく。十中八九、レイトアルシュはわかっていないのだ。なのに当人がそれを認めようとしない。
「陛下の譲位される日もそう遠くない。お前が玉座についた時、臣下が王に不満を持っていれば、国政の乱れにつながる」
いいか、と、オルテローシュは言う。
まるで、何もわかっていない子供に告げるかのような口調で。
「先のことを考えろ。いまはよくても、それがあとあと重荷になって返ってくることなんかたくさんある。その時―――」
そう、言いかけた時。
一瞬、オルテローシュの目が輝いた。砕けたガラスの破片のように。抜かれた刃の切っ先のように。
「―――その時、僕がお前のそばにいて、助けてやれる保証などないんだからな」
「というわけで、はい、どうぞ」
「え、ええ………」
どうぞ、と言われたので、マリアベルは差し出されたものをついつい受け取ってしまった。
上品な淡い水色の透かし入り封筒に、真っ白な封蝋だ。捺された印章、その紋様に見覚えはない。
「えっと、シオンさま。これは」
「招待状だよ。渡してねって頼まれたんだ」
「招待状?」
ひっくり返して裏を見る。装飾文字で記された差出人の名を見て、息をのんだ。エルリアーナ=ルーエル=アーヴィン。
アーヴィン公爵令嬢、リアーナ。
「マリアベル姫。使いますか?」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
リチャードからレターナイフを受け取る。優美な細身のデザインなのに、指にずしりと重い銀製。柄をしっかりと握り直してから、ナイフの先端を封筒の端に差し入れ、引っ掛ける。かるく力を込めてナイフを動かすと、ぴり、とやわらかい紙の繊維の裂ける音。
なかに封じられていたのは、便箋が一枚。封筒と同じ色合いの、厚手の上質紙だ。開封とともに、どこか甘い香りがただよう。見本どおりのような正確にして精密な女手の装飾文字。非実用的きわまる複雑なレタリング。
文字を追って視線を動かしてゆくマリアベルの表情が、次第に驚きと動揺の色を濃くしてゆく。
それは、アーヴィン公爵令嬢リアーナからの、茶会への招待状であった。