第20話
城内のとある場所に、ひとりの青年が歩いている。のどかに鼻歌を歌っている。その声は、天井の高い王宮の廊下によく響いた。
が、その歌詞の内容はといえば、なかなかにぶっそうである。
「金と銀、金と銀、つるぎをつくれ、やいばをつくれ、鎧をつくれ、王冠でなく」
歌詞は、解釈によっては良識ある貴族が眉をひそめるような代物である。しかし、青年に構う様子はない。
「金と銀、金と銀、どちらか選べ、栄誉といのち」
そのまま廊下を歩く彼と、すれ違う者は誰もいない。城内であるというのに護衛の兵すらいない。青年はそのことを知っていて、だからこそこんな歌を歌っているのである。
「金と銀、金と銀―――赤は血の色、アーヴィンの色」
扉のないその部屋に入った途端、ぴたりと彼は口をつぐむ。同時に、室内にいたふたりの人間がそれぞれ視線をあげた。
ややあって、そのうちのひとりが口を開く。
「ずいぶんと剣呑な歌だな」
「まあな。お前がいると知っていたら歌わなかった」
招かれざる客人である青年は平然と答え、自国の皇太子に平然と問い返した。
「ところで、シオンはどこにいる?」
「あいにくだが城にはいない。シオンに用か」
「まあな。だが、お前がいるならそれでもいい」
そう言って、青年はちらと長椅子に座っている、黙っている方の青年―――アルフォード侯爵アルディーンに目をやった。その視線の意味を性格に理解したアルディーンは、立ち上がる。
「私は席をはずしましょうか、公子」
それに対し、公子と呼ばれた青年が答えるのと皇太子レイトアルシュが答えるのは同時だった。
「悪いが外してくれ」
「その必要はない。ここにいろ」
そう口にしてから、ふたりは無言で互いを見た。同じ色合いの二対の瞳が凝視する。
アルディーンはふたりを見比べたあと、黙って一礼をして、退室した。その背中を青年は見送る。そのあとで、ごく自然な様子で言った。
「相変わらずだな、お前たちは」
長椅子に腰掛けると、彼は脚を組んでテーブル上の菓子壺を引き寄せた。ふたを開けてなかをのぞき込み、誰に言うともなくつぶやいた。
「なんだ、砂糖衣はないのか。砂糖衣」
「ローシュ。お前は菓子をたかりに来たのか?」
「たかる? 人聞きの悪い。皇太子ともあろう人間が、どこでそんな言葉を覚えてくるんだ」
レイトアルシュはわずかに瞳を細める。すると、もともと感情の起伏に乏しい表情が、さらに酷薄そうに見えた。ローシュと呼ばれた青年は何がおかしいのかくちびるの端をつりあげて笑ってみせる。
「まあ、冗談だ。僕は菓子をたかりに来たのでも、お前と言葉遊びをしに来たわけでもないからな」
無造作に菓子を口のなかへ放り込む。木の実を蜂蜜と香辛料でかためた、そうとう甘ったるいものだ。
「シオンが結婚するらしいな」
「―――」
「うん、少し違うか。求婚をしたんだったか?」
「どこで………いや、誰から訊いた、ローシュ」
「妹が」
そこでいったん区切り、彼は卓上のグラスを取り上げる。
「リアーナが話してくれた。昨日、お前の口から確かにそう聞いたそうだが。否定しないということは事実なんだな」
ああ、そうだ。確かに話した。忘れもしない、昨日のできごと。レイトアルシュは、目の前の青年のいかにも貴族的な顔立ちを眺めやった。
アーヴィン侯爵オルテローシュ。あのアーヴィン公爵令嬢リアーナの兄である。
「………似ているな」
「なんの話だ?」
「いや」
本人に言うと怒らせるので言わないが、アーヴィンは女顔の家系だ。オルテローシュは、意志の強そうな顔立ちが、妹のリアーナと似通っていた。
「リアーナ嬢と、よく似ている」
「まあ、兄妹だからな」
「だが、彼女は―――」
リアーナ=ルーエル=アーヴィンとオルテローシュ=クレイ=アーヴィンは、実の兄妹ではなかった。ふたりは血がつながっていない。そのことを宮廷で知らない者はいない。リアーナはアーヴィン家の養子なのである。それでもふたりが似ているのは、リアーナの実家とアーヴィン家が血縁関係にあるからだ。もっともそれは二家に限ったことではない。名門と呼ばれる家は、どこも複雑な血縁関係で結ばれている。
直接に言い及ぶことを避けたレイトアルシュに、ああそのことか、とオルテローシュは言う。とくに気にする様子もない。
「別に隠しているわけじゃないからな、おかしな気は回さなくていい。―――そういうお前の方は、妹とは似ていないな」
「よく言われる」
「似なくて正解だ。お前のような性格じゃ、幸せになれない」
そういうことは、当人を前にして言うものだろうか。他人への配慮ができないわけではないだろうに。
砂糖衣砂糖衣と子供のようにうるさいアーヴィン侯爵オルテローシュだが、これでもとっくに成人している。
「それで、お前は妹談義をするためにここへ来たのか?」
「まさか。僕はただ、事実の確認に来ただけだ。シオンのやつが今度は何をやらかしたのかをな」
本当にそれだけか。レイトアルシュは訊こうとして、やめた。他家の事情に不用意に首を突っ込むべきではない。ことに、アーヴィン家は厄介すぎる。歴代の王ですらその扱いには手を焼いてきたのだから。
「さて、僕はもう戻る。邪魔したな」
そう言って、アーヴィン侯爵は立ち上がる。引き止める理由はなかった。社交辞令も彼には必要ない。彼は扉のところまで歩いて、それからふと、レイトアルシュを振り返った。
「―――レイ!」
レイトアルシュは、オルテローシュのいきなり放ったちいさな包みをとっさに受け止めた。それに指先が触れた瞬間、胸がいっぱいになるような甘い香りが辺りに広がる。
「砂糖衣だ、今度は用意しておけよ!」
その言葉を別れの挨拶に、ひらめかすような笑みをのこし、オルテローシュは去って行った。