第14話
最終的には眠気に負けたものの、マリアベルが眠りに落ちたのは日付が変わる頃だった。それまではなかなか寝付けなかった。このアルフォード公爵邸に来てから様々なことをマリアベルは学んだが、そのひとつには、やわらかすぎる寝台はかえってその上で眠れないということが挙げられる。なにしろ用意された部屋の寝台ときたら、上に乗った途端からだが沈んで、ものすごくびっくりしたものだ。枕が変わると眠れない、というほど繊細な性質のつもりではなかったが、昨晩は結局マリアベルはあまり眠れなかった。人間、周囲の環境に順応するとはいっても限界があるようだ。
朝、寝不足のまま寝台から起き上がると、マリアベルは隣りの部屋へ行き、用意されてあったドレスを見つけた。その横には、湯の入った陶器の平たい器とふかふかのタオル、籠にまとめられた何本ものガラスの小瓶、あとは手鏡やブラシが置かれてある。湯に手を入れると、十分にあたたかい。顔を洗うにはちょうどいいくらいだが………いつ用意されたのだろう。寝室の隣りだというのに、ひとが立ち入った気配などまったく気付かなかった。マリアベルは、手早く髪を梳かして、顔を洗った。それからぼんやりと視線をめぐらせて、開かれたクローゼットと、そののなかに吊り下げられた、一着のドレスを見つけた。
これを。着ろと言うつもりなのだろうか。――――きれい、だけれど、目立つドレス。どこか古風な印象だが、遠目から見ても明らかに分かるくらい、その仕立ては上等なものだ。
すこし考えて、マリアベルは立ち上がってクローゼットに歩み寄った。
ちょっと迷ってから、手を伸ばす。実際触れてみると、生地は、はだざわりのいいベルベット。色はわずかに暗い紅。そこまで派手ではないが、十分目立ちはする。黒のレース飾りが襟と袖にあしらわれていて、大粒の真珠釦とちいさな銀釦が背中に交互に並ぶ。左胸の位置に黒い糸で、紋章化した薔薇がちいさく刺繍されていた。と、いうことは。
「これって…」
正式な衣装だ。舞踏会に出たり、王家の人間相手に拝謁するときにもふさわしいような。つまりこれは、城に上がる時に着用するような格式のドレスなのだ。
「これを、着るの?」
ここはマリアベルに用意された部屋で、そのクローゼットに用意されたドレスなら、それはマリアベルのために用意されたものだ。
マリアベルは。じっとそのドレスを見つめた。が、結局は、考えることをあきらめる。どちらにせよ、もう替えの服が尽きかけている。なら、これを着るしかない。こういった上等のドレスは、ひとりで着られるものではない。ひとの手伝いがなければ。マリアベルは誰かひとを呼ぼうと、扉に向かった。
けれどまさにその瞬間、目指した扉がノックされる。反射的に、身構えた。
「マリアベル、いる?」
それはリリエラだった。その声を聞いて、何故かマリアベルは安堵した。理由はわからない。
「ええ、リリエラ、おはよう」
「おはよう。あのねマリアベル、朝から大変かもしれないんだけど―――」
彼女は告げる。
その表情を見て、ああ来たか、とマリアベルは思った。
「公子さまが、いらっしゃったみたい」