第9話
「この部屋か?」
レイトアルシュの問いに、はい、とリチャードが答える。アルディーンが、自身の友人をちらと見た。が、何も言わない。レイトアルシュは、その優美な外見からは想像もつかなかったが、ちょっと乱暴な動作でノックもせずに扉を開けた。うしろに控えたリチャードが目をまるくしている。けれどレイトアルシュとアルディーンは平然と部屋に入った。その後を、慌ててマリアベルが追う。リチャードは廊下で待機するらしい。
扉の開く音に、部屋のなかで窓際に立ち外を見ていたシオンが、振り返った。淡い蒼の双眸が、扉に向けられる。ふたりの青年を見つけ、そしてマリアベルに気付き、その表情が、動く。
その瞬間。この場に居合わせた三人の青年の美しい顔に、そろって驚きの表情が浮かんだ。それぞれにその驚きの種類は違った。
けれど。
「――――――殿下!」
思わず、といった様子で、アルディーンが声をあげた。え、とマリアベルは彼を見た。途端、アルディーンはしまったというように表情を固くする。だが、もう遅い。
マリアベルは確かに聞いた。彼は、殿下と言ったのだ。
「………レイのお兄さん?」
シオンは頭を傾げ、アルディーンに向かって言った。それから、その隣のレイトアルシュとマリアベルを見る。
「マリアベル。―――あれ、どうしてルーシュもいるの?」
すこし考えて、マリアベルは状況を理解する。ルーシュというのは、レイトアルシュのことだろう。おそらく愛称だ。ということはこの三人、面識があるのか。
「………誰のせいだと思っている?」
低い声で、うなるようにレイトアルシュは言った。気のせいか、どこか剣呑な気配が漂っている。
「シオン。こちらの令嬢に求婚したというのは、本当か」
「マリアベルに? うん」
はぁ、とアルディーンは嘆息し、額をおさえた。レイトアルシュはマリアベルにからだを向け、重々しい口調で言葉を紡いだ。
「……姫君。この男の親族として、あなたに詫びたい」
事態がよく飲み込めていないマリアベルは、何がなんだかわからない。
「え、っと」
「いとこが―――シオンが迷惑をかけた。この通りだ」
そう言って、レイトアルシュはなんと、マリアベルに頭を下げた。見ていたアルディーンが目を丸くした。だが、それ以上にマリアベルが驚いた。
「レイトアルシュさま、お顔をおあげください!」
王族から頭を下げられるなんて、とてもではないが心臓に悪い。そうか、と言って、レイトアルシュは顔を上げた。それからシオンの方に向き直る。
「シオン。こんなところでお前を見付けるとは思わなかったが、ある意味好都合だ。城に戻るぞ」
「ルーシュ?」
「これだけ迷惑をかけておいて、戻らないつもりか?」
「――――――嫌だ!」
シオンの動きはすばやかった。マリアベル駆け寄ると、首に腕を伸ばして抱きつき、引き寄せる。
「きゃあっ!」
マリアベルは驚きのあまり、声をあげた。仮にも未婚の貴族女性に、このように男性が触れていいものではない。だがシオンは、そんなこと、気にしなかった。マリアベルに抱き付いたまま、レイトアルシュに告げる。
「僕はマリアベルと結婚する」
「まだそんなことを言うつもりか?」
もともと冷たく整った美貌の持ち主であるレイトアルシュだが、いまは恐ろしいまでに冷え冷えとした怒気を、静かに放っている。その容貌もあいまって、尋常ではない迫力だ。彼を直視せざるをえないマリアベルにとっては、非常に心臓に悪い状況である。
だが、シオンは見慣れたものなのか、ひるみもしない。
「マリアベル。……僕、迷惑だった?」
そう言って、マリアベルの顔を覗き込む。
顔が近い。近すぎる。古い色ガラスのような蒼の瞳がマリアベルを見つめる。その純粋な瞳は、マリアベルが「そんなことはない」と言うのを待っている。
「マリアベル?」
「――――――」
彼のせいで困ったことはないと言えば、嘘になる。
けれど、マリアベルはシオンを――――――この美しい天使を、自分の言葉で傷つけたくなかった。この瞳が曇るのを、見たくない。だから、マリアベルは口ごもったのだ。
「―――わかった」
そして、マリアベルの代わりに。そう、沈黙を破ったのは。
レイトアルシュがわずかに眉を寄せる。
「ディーン」
アルディーンはゆっくりと、胸の前で腕を組んだ。
「このままじゃ、いつまで経っても話が終わらない」
それから肩をすくめて、シオンを見る。シオンはまばたきをした。彼に、アルディーンが言った。
「一度、王都に戻るべきだな」
「ディーン、それは」
レイトアルシュが何か言いかける。しかしマリアベルの顔を見て、やめた。
「まさか、“シオン”を力ずくで引きずって行くわけにもいかないだろう」
アルディーンはそう言って、優雅な足取りでマリアベルに歩み寄った。
「リールの令嬢。申し訳ないが、彼と……我々と一緒に、王都へ来ていだだけないか」