プロローグ
さほど大きくもないリールの城下町が、この日、祭り騒ぎに沸いていた。
この国の第二王子の婚約が発表されたのだ。そのため、広間では酒や祝いの菓子が配られ、この日から三日間はすべての人間は仕事を休むことが許された。さらに、この月の税は、何に掛けられるものだろうとすべて免除される。
国王に王子が誕生したときでも、これほど盛大な騒ぎにはならなかっただろう。王都では祝われることがあっても、けして豊かではない地方では、そのような祝い事もできない。
けれどこれには、理由がある。このリールも含めたウェーン地方は、アルフォード公爵家の治める土地だ。第二王子と婚約したのは、そのアルフォード公爵家の姫君なのだ。だから、その領地であるリールでは、これほどの大規模な騒ぎになる。
リール城主の娘マリアベルも、祝い事だからと新しいドレスを一着つくってもらった。だがそれよりも嬉しかったのは、この慶事を祝うために、隣国へ留学していた兄アスターが戻ってきたことだ。
三年ぶりに会った兄は、何も変わっていなかった。空白だった時を取り戻すかのように、マリアベルはアスターとさまざまなことを話した。
彼は、そう長くは城にいられなかった。三日でまた隣国へ戻ってしまう。そのため、最終日には城下町だけでなく、城のなかでも盛大な宴が開かれた。
その夜。宴の熱気がまださめていないのか、マリアベルはなかなか寝つけなかった。彼女は自分の部屋を抜け出し、中庭に出た。そこには予想しなかった先客がいた。
「マリアベル。眠れないのか」
アスターはそう言って、マリアベルを手招きした。ふたりは露で濡れた草の上にそのまま腰をおろした。マリアベルが空を見ると、銀色の月がふわふわと浮いて、同じ色の光をやわらかく振り撒いていた。
「兄さま、アルフォードの領主様は、王族なのよね」
「ああ。公爵家だからな」
「王族は、銀色の髪をしているって本当?」
「本当だよ。それに、蒼い目をしている」
兄は何でも知っている。マリアベルの知らないいろいろな世界を、その眼で直接見てきたのだ。
「なんだか、信じられない。銀の髪も蒼の目も、見たことはないもの」
「それはそうだ、王族だから。どこにでもいるものじゃない」
「兄さま。王族の方々は、神さまの子孫だって、本物?」
マリアベルがたずねると、アスターは苦笑した。この国の王族は、神の血を引くのだという伝承は、国民なら誰もが知っていた。幼い頃から聞かされて育ったのだ。
「本当だよ。王族っていうのは、みんな、信じられないくらいに綺麗な顔をしている」
「どうして?」
「神さまの末裔だから。王さまのご先祖さまは、銀の髪と蒼の瞳をした神さまだったんだ」
マリアベルはまばたきをした。
「だから、王族の方々は、銀の髪と蒼い目をしているの?」
「ああ。銀髪蒼眼は王族の特徴で、神さまの血を引くことの証なんだ」
「兄さまは、なんでも知っているのね」
「お前も大きくなれば、いろんなことを知るんだ、マリアベル」
そう言って、兄はマリアベルの頭を撫でた。優しい兄だった。
翌日、朝のまだ早い時刻、アスター=リールは城を出て隣国ヴェリアリュートを目指した。
それが、マリアベルの見た最後の兄の姿になった。