第3話 二ヶ月間のお片付け~異世界転生、承ります~(3/完)
「あー、確かにそろそろまずい。こっちもだいぶ絞れてるんだが、彼女の行動で位置が毎度ズレちまうからな……」
遡行装置が稼働を続けているのはどうやら架凛のおかげだが、事象がずれていくのもどうやら架凛のおかげだ。彼らはうなり、そろって両腕を組んだ。
「あとねー、言いたくないけどそろそろタイムパトロールの気配もする」
「それもまずいな」
ナルダンは頭痛をこらえるようにした。
「遡行も数回程度なら誤差範囲って扱いだが、今回はずいぶん使ってるからなあ。強制終了もあり得るか」
「ここまできて、納得できますか」
セツロが憤然とする。
「でも架凛さんの行動もどんどん無茶苦茶になってきてるし、実際、もう決めないと本当に」
蒼維の死が確定してしまう。このままじゃ架凛だって、命はあってもまともな暮らしには戻れないかもしれない。
「班長。出鱈目なことしていいですか」
「何だ。言ってみろ」
「架凛さんに全部話します。で、彼女の立ち位置を最初と同じにする」
「成程、出鱈目だ」
ナルダンは口の端を上げた。
「最初の発生源が架凛嬢のごく近くだったのはわかっている。しかし記録は不明瞭だし、彼女の記憶ももう曖昧だろう。再現できるか?」
「最初に蒼維の死を見た記憶です。インパクトは強いはずだ。――僕もそうなので」
「……そうか」
班長の頭には、何度も蒼維の死を目前にしているセツロを労る言葉や、蒼維の許可なく彼の「出自」を他人に話すことの問題、架凛が協力するとも限らないこと、だいたい「ごく近く」というだけではっきりとした特定はできていないことなど、さまざまな考えが浮かんだことだろう。
だが彼は、うなずいた。
「よし、それでいこう。タイムパトロールの仕事は雑なんだ。あいつらに後始末をさせるわけにはいかない」
架凛は、彼女の感覚では突拍子もないであろう話をあっさり信じた。もういろいろと感性が麻痺しているのかもしれない。セツロはそれに同情もしたが、そうした感情は後回しだ。何とか完遂しなくてはならない。
「あの日は、一時間前に会場に着くようにしたから、電車はこれ」
「この服を着てたんだけど、印象の近い服装の人のすぐ後ろに並んじゃったから、ちょっと失敗したなと思ってるのを覚えてる」
「変わった匂いのする人がいた。香水って言うんじゃなくて、焦げ臭いみたいな感じ。その後も何度か嗅いだけど、最初がいちばん強烈だった」
セツロの考えた通り、架凛の「初回」の記憶は明瞭だった。セツロも覚えている通りの行動を取り、覚えている通りの人物のあとに並んだ。ほかの人間が全く同じ行動を取っているとは限らず、多少の誤差はあるかもしれないが、かなり近い配置にはなっているはずだ。
『ソーイさんが出てきた』
『架凛ちゃんの周囲に、確かに変なゆらぎがある。これって……』
「セツロさん! この人!」
叫んだのは、架凛だった。彼女は近くにいた女の腕をぎゅっとつかんでいる。周囲はざわつき、警備員がおかしな行動を取っている架凛を取り押さえようと足早にやってくる。
「焦げ臭いの、この人だよ!」
「チッ」
その女は架凛の手を強引に振り払い、列から飛び出した。
『特定!』
『架凛ちゃんお手柄!』
「捕まえます!」
「せ、雪朗さん!?」
現場は瞬時、混乱した。キャーとかワーとか、声にならない叫びがこだまする。
だが少なくとも、あの日の悲鳴とは違った。照明は落下していない。蒼維は驚いているだけで、無事だ。
「ソー……アオイくん! あいつを捕まえるよう、言ってくれ!」
「え、あ、はい!」
事情を知らないながらもセツロを信用している彼だ。すぐさま警備員に、セツロと架凛ではなく逃げた女を捕まえるよう、よく通る声で指示した。彼にこうした命令をする権限はなかったが、持ち前のカリスマ性と命令に慣れたような声音に、警備員は思わずぱっと従った。
「逃がすか」
もちろん、セツロもそれを追う。架凛のことは蒼維を信じて任せた。
『魔法は封じた、物理で捕らえて大丈夫!』
「頼もしい」
リェリェの言葉にセツロはにやりとし、顔を赤くして警備員に取り押さえられている女に向かい合った。
――それが最後のループになった。
女の正体は彼らの考えた通り、蒼維の故郷世界の人間だった。
だが、違っていたこともある。
「彼女は兄の刺客じゃない。むしろ、ぼくの支持者でした」
落ち着いてから、蒼維は説明してくれた。
「転生のことを知った彼女は、思ったんです。ぼくがこちらで死ねば、また元の世界に戻ってくるんじゃないか、と」
「は」
セツロはぽかんとした。
「無茶だ」
もぐりの転生屋が嘘八百で彼女を騙したのか。それにしても、支持する相手を殺そうとするとは。
「彼女はどうなります。何か処罰を?」
「僕らが罰するわけじゃありませんが、ひずみの原因になったので、何かしらの罰は受けると思います」
タイムパトロールはそこを見逃さないはずだ。
「ですが、そんな酷いことにはならないかと。諸々忘れてもらったあと元の世界に帰してもらえるでしょう」
人がいなくなれば世界の綻びが増える。それは誰も望まない。
「ところで」
こほん、と蒼維は咳払いをした。
「架凛さん」
「ハ……ハイ」
推しに目の前で名を呼ばれた彼女はガチガチになっていた。
「大変な苦労をしてくれたんですね。申し訳なかった」
「なっ、いやっ、そんなっ、ソーイくんのためだったら何でも!! やめてください頭なんて下げないで!!」
「ソーイさん、謝罪よりお礼の方がいいと思いますよ」
「ああ、そうか。……ありがとう」
極上の笑顔が向けられ、手が差し伸べられた。架凛は体中真っ赤にしながら、彼女だけの握手会を体験した。
――どうしたものか、とセツロは迷ったが、ある程度の裁量は彼に任された。
蒼維が雑事のために去り、架凛とふたり残った楽屋で、セツロは口を開く。
「覚えていたいですか?」
「え」
「あなたは心が壊れるほどの体験をした。記憶もあやふやなことが多いでしょう」
「……はい」
「僕らのシステムを使えば、それを消してしまうことができます。あなたはただ蒼維の握手会に参加し、彼の笑顔と言葉を喜んで、もう手を洗わないなどと考えて帰る」
「……洗いますよ、手は」
「例え話です」
セツロは淡々と返した。
「こちらとしては、それを提案します。あなたのためにはそれがいい」
「でも、それだとさっきの……ソーイくんの最高の笑顔の記憶はなくなっちゃうんですか」
「差し替えておきますよ、その笑顔に」
「う、うーん……」
「それを偽の記憶だと感じ、受け入れられないのであれば、残すこともできます。ただ、そこだけ残すのは無理です。矛盾が生じるので」
「じゃあ覚えておきたいです」
さらっと架凛は答えた。セツロは額を抑える。
「めちゃくちゃしんどかったですよね? そもそも蒼維の死を覚えてるのきつくないですか」
「めちゃくちゃきついです」
またしてもさらっと。
「でも覚えておきたい。一生の悪夢と引き換えにしたって、さっきの笑顔は忘れたくありません」
「そう、ですか」
セツロはうなり、それからうなずいた。
「では記憶通りに。あ、僕らのことは忘れてもらいます。全部消すとこれも矛盾なので、何となくわからないようにする、という感じですが」
「う……そこに交渉の余地は」
「ないです」
「うう……」
架凛はうなったが、セツロたちの事情も汲んだか、渋々とうなずいた。
「ではこのまま明日へ進みましょう。最初は少々混乱するでしょうが徐々に思い出してきますからご安心を」
そして、蒼維と架凛の物語は終わった。
もしかしたらやがて架凛と芯太――とあるバイトスタッフ――の物語が始まるかもしれないが、そこに転生屋は関わらないだろう。
―了―




