09 人体に毒性がある硝酸銀を散布して輩を苦しめてやりたいところだ
屋上に部長を残し、俺は開会式の列に加わった。
朝礼台に立つ校長は「私たちの元気で雨雲を吹き飛ばしましょう!」などと信じられないことを抜かしやがった。余計な発破をかけないでくれ。 お前は退屈な長話を一生垂れ流していればいいのだ。
その言葉を受けた連中は普段は教員に対して反抗的な姿勢を取っているくせに、今だけはその言葉を素直に受け取りうぇいうぇいと盛り上がる。その様子からは、本当に天候を変えてしまいそうなほどのエネルギーを感じた。
ここまで大きく育てあげた雨雲が霧消してしまっては、これまでの勧誘も準備も、全てが徒労に終わってしまう。
そんな不安が思考の大半を占め、俺は実行委員のウケ狙い選手宣誓に毒づく気力すら湧かなかった。
結局雨が降ることはなく、開会式は無事に終わってしまった。
生徒たちは散り散りになって、自身が出場する競技の場所へ移動する。
それと同時に、プロジェクトメンバーたちも部長に指示された場所に移動していた。
『ノアの方舟計画』工程②では、より直接的な方法で雨雲を刺激するという。
そのために使用する道具の一つがドローンだった。
校庭の上空に十台のドローンが飛行している。
これらのドローン、表向きには「大会の様子を撮影するため」という理由で使用許可を得ている。
しかし実際には、撮影用のドローンは四台しか使用されていない。
残りの六台は農業用ドローンが使用されていた。
農業用ドローンは、本来であれば農薬や肥料を散布するために使用されるものだ。
だが今日は、『計画』のために粉末状のドライアイスが積まれていた。雲に向けて撒かれるドライアイスは、雨粒を成長させる凝結核とやらの役割を果たすのだという。
工程②の準備時、部長は「本音を言うならば、人体に毒性がある硝酸銀を散布して輩を苦しめてやりたいところだ」と冗談とも分からない真剣な口ぶりで話していた。そんなものを校庭に撒けば俺たちは正真正銘のテロリストだ。
ちなみにドローン部の協力が得られなかった場合、部長は自腹を切ってドローンを準備するつもりだったという。
これらのドローンは見た目こそ差異があるため、違和感に気付く人間はいるかもしれない。しかしまさか、人工的に雨乞いを起こそうとしているとは夢にも思わないだろう。
更に家庭科部や科学部が、それぞれの部室の換気扇をフル稼働させて大量の湯気を排出している。この水蒸気も凝結核になりうるらしい。
開会式は無事に終わってしまった。
しかし本格的に大会が始まる前に雨が降れば、かろうじて競技には出場せずに済む。
校庭の隅でドローンを見上げ、物思いに耽る。
雲よ。上昇気流でわき腹をくすぐられ、凝結核を無理やり溜め込まされ、お前はもはや限界を超えているはず。
腹の中のもの全部吐いてしまった方が楽になることは、お前自身が一番よく理解しているはず。
多くの人々から嫌われがちな天候だが、今日は、今日だけは、雨を待ち望んでいる人間たちがここに大勢いるのだ。
それとも、天は連中に微笑むというのか?
復讐に燃える俺達よりも、今日という一日に情熱を注ぐ連中を眩く照らすのか?
「青嵜! 他の奴らはもう集まってるぞ!」
担任が息を切らせて駆け寄ってきた。そんなに慌てていったい何の用だ?
校舎の時計に目をやると、試合開始の時刻が迫りつつあった。
雨は……降っていない。
すなわち、競技は問題なく始まってしまう。
試合に出場することで、『体育祭の実行委員』という最悪の未来は回避できる。
しかし俺は、ドッジボールなぞやりたくないのだ。
秩序のないフィールドに軟禁される。暴力行為の的にされる。身のこなしの一つ一つを嘲笑われる。
想像しただけで立ち眩みがする。
部長の知能を持ってしても、やはり天候操作など非現実的だったか……。
湿度の調整も、気流の発生も、凝結核の散布も、全てが空振りに終わってしまった。
担任と共にドッジボールコートに向かうその足取りは重い。『計画』が失敗に終わり、体に心身の疲労がのしかかる。
……いや、まだ一つだけ策は残っていた。
屋上で交わした部長との会話が脳裏をよぎる。
「副部長」
「な、なんですか?」
「一つ、頼まれてほしいことがある。競技の開始時刻を迎えても雨が降らなかった場合……キミには時間を稼いでほしい」
「じ、時間稼ぎ……? 何をすればいいんですか……?」
「ただ我武者羅にボールを回避してくれるだけでいい。可能であれば、降雨発生まで試合時間を引き延ばしてくれ。幸いこの学校のドッジボールは完全決着制……制限時間が設けられていない。理論上は永遠に試合を引き延ばすことが可能だ」
俺が元々抱いていた目標は、『球技大会に参加しつつ、競技には出場しない』ことだった。
この目標を達成するために、『ノアの方舟計画』への協力を決めたのだ。
しかし競技への出場が確定してしまった現在、部長の『計画』に協力する意味は無い。雨が降ろうが降らまいが、俺にはなんの関係もない。
相手が投げるボールにわざとぶつかり、外野でぶらぶらと時を過ごせばいい。
試合後には仮病を訴え保健室に逃げ込み、決勝戦までベッドの上でだらだらと時を過ごせばいい。
「……なんで俺なんですか? メンバーの中には、俺より運動ができる奴もいますよね」
「……副部長は、この高校で初めて出会った同志ゆえ」
「同志……」
「副部長や他のメンバーが運動を毛嫌いしていることは十二分に理解している。ゆえにこの奥の手は直前まで言い出せなかったのだ。
キミと二人で、『ノアの方舟計画』を成功させたい。どうか私の夢に力を貸してほしい……!」
部長の口から発せられた『同志』という単語。その言葉を聞いた瞬間に、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。
この感覚には覚えがあった。
先日理科室にて行われた部長による熱弁。その言葉に感化されたメンバーの咆哮を一身に浴びたときと同じだ。
この感覚の正体が分かった。俺は今、感動している。
俺にとって部長とは気持ちを代弁してくれた恩人であり、共通の敵を叩く戦友であり、同じ目的に邁進する仲間であった。
そして俺からしてみても、部長はこの高校で初めて出会った、胸襟を開くことができる正に同志であった。
そんな部長と思いが一致していたことに、俺は柄にもなく感動してしまっているのだ。
損や得ではない。部長の夢を叶えてあげたい。
そんな気持ちが芽生えていた。
「……分かりました。俺に任せてください」




