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青春を帰宅(させる)部  作者: 腐汁じゅるじゅる
『ノアの方舟計画』

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8/19

08 すなわちこの大会自体が大規模な前戯のようなもの

朝七時の校庭に、部長を除くプロジェクトメンバーが勢揃いしていた。

ここまで早い時間の登校は初めてのことだった。そしてそれは俺以外の人間も同じらしい。あくびを漏らす者や眠い目を擦る者が列には多く見られた。


空は昨日から継続して、灰色の雲に覆われている。

幸いにも、昨夜の間に雨は降らなかった。あの雲の中には雨がたぷたぷに溜まっているはずだ。


校庭の脇には、前日に設営したイベントテントやパイプ椅子が並んでいる。大会の準備は万端であるようだ。

しかし残念なことに、実行委員の努力は水泡に帰す。


「よーし、じゃあ始めるぞー」


素顔の俺が締まりのない掛け声を放つ。

それを引き金に、俺を先頭に形成された列がぞろぞろとトラックを走り始めた。その速さは早歩きほどで、足並みは全く揃っていない。


列を成すはプロジェクトメンバーの面々である。性別も学年も異なる、統一感のない団体だ。

教員や生徒たちは、俺たちがどのような目的で集ったのかなど予想も付かないだろう。貴様らがすべきことはただ一つ、今のうちに帰りの荷物をまとめておくことだ。


俺たちは競技前の準備運動で走っているわけではない。

球技大会の参加者を全員帰宅させる『ノアの方舟計画』。この行為はその一部なのだ。


人工的に降雨を発生させ、球技大会を中止に追い込む──これが『ノアの方舟計画』の全容だった。

今年の競技は全て屋外で実施されるため、雨が降れば大会は中止になるだろうと部長は判断したのだった。

蝦蟇(がま)高専級の部長の知能を持ってすれば、雨乞いという眉唾な行為すら実現できてしまうらしい。


人工降雨のための工程①『人力で上昇気流を作る』

集団で走るという行為は、地表付近の空気を撹拌(かくはん)する効果がある。

これにより暖かく湿った空気が上昇し、雲を刺激する。梅雨の時期の空気は地表と上空の温度差が大きい不安定な状態にある。

そのため、集団が走るという僅かな刺激でも効果が期待できる。上手くいけば、この工程だけで我々の望む成果を収めることができる。

と、部長は教えてくれた。偏差値47の俺たちでもなんとなく理解できる水準で。


また、走り始める前には、予めグラウンドに水を撒いておいた。

砂利の飛散防止と教師には説明したが、本当の目的は水分の蒸発で地表の湿度を上げることだった。


俺個人としてはカモフラージュにも念を入れた。『計画』のために、クラスTシャツなどと言う資源ゴミに金を出した。

こんなものを恥ずかしげもなく着用できる人種は一様に青春に飢えている。その中に球技大会を中止に追い込むことを考えている人間が紛れ込んでいるとは誰も思うまい。


シャツの背中側には学校名の他、連判状のようにクラスメイト一人一人の名前が羅列されている。俺一人で背負うには重すぎる個人情報の量だ。


ちなみに金額は一着1500円。人生で一度しか着用しないものに1500円。高校生の1500円は社会人の15000円に相当するというのに。


「はぁ、はぁ……」


校内筆頭の運動嫌いの集まりだけあって、ランニングの失速は早かった。

真っ先に体力が尽きたメンバーは俺だった。

先頭を切っていたはずが後続に次々と追い抜かされ、やがて最後尾からも離された地点で独り重い足を引きずる。

もう限界だ。全身から溢れる汗を資源ゴミで拭いつつ、列から離脱した。

校庭の端にしゃがみこみ息を整える。

まだ大会前だというのに、完全に体力を使い果たしてしまった。

これはもう中止になってもらわねば、コート内で一歩も動けず相手チームからハチの巣にされてしまう。


「青嵜! すごいやる気じゃないか!」


弱り目に祟り目、俺の気力を奪う存在が現れた。担任だ。気付かないフリをしてやろうと思ったが、無駄に爽やかな笑顔で俺にぐいぐい近付いてくる。

そしてこいつは遠慮もなしに俺のすぐ隣にしゃがんだ。


「心を入れ替えて球技大会に前向きに取り組んでくれるんだろ!? きっとチームの奴らもクラスのみんなも喜んでくれるぞ!」


どうやらランニングを見てウォーミングアップと勘違いしたらしい。

アホか。俺たちはむしろ真逆のスタンスで今回の大会に臨んでいる。

スポーツを通じた結束を夢見るこの教師もまた、青春という鎖に縛られた哀れな人間だ。俺達が降らせる慈雨で顔を洗って目を覚ますがいい。


これ以上こんな奴に絡まれ続けては、体力の回復はままならない。適当に会話を切り上げ、場所を移動することにした。

教室には戻らない。大会の開始直前で気負う連中活気を浴びることは、担任との会話以上に心が磨り減る。

俺は部長の元を目指した。

手すりに頼り階段を登り続けて、最上階の更に上。

学校の屋上に、覆面を被った部長はいた。部長は今日一日、この場所で天候の観察をしつつ、各部署に指示を出す司令塔を務める。

部長の横にはどこで用意したのか、望遠鏡が雲の方を向いている。


「ご苦労。副部長の努力はここから見ていたぞ」


「すぐに止めちゃってすみません。もう体力を使い果たしてしまって……」


「したらばこれで回復するといい」


疲労困憊の俺を見た部長は、脇に置かれたクーラーボックスに手を伸ばした。その中からタッパーを一つ取り出し、俺に手渡す。

透明のタッパーは中身が透けて見える。小豆(あずき)色のなにかが、容積いっぱいに詰められていることが分かった。


「この中身って……」


羊羹(ようかん)だ。私手製の」


以前部長が語っていた、クラスメイト全員から拒絶された羊羮。その新作が俺の手元にある。

タッパーの青い蓋を開けてみた。

直方体にカットされた羊羹が隙間なく収まっていた。その内の一つに爪楊枝(つまようじ)が刺さっている。

俺は楊枝の刺さった一切れを持ち上げ、そのまま口に運んだ。

この行動に一切の躊躇はなかった。

当時のクラスメイトたちからしてみれば、部長は教室の隅で俯くアルカポネである。

しかし俺からしてみれば、彼女は困っている俺を救ってくれた恩人であり、なにより同じ敵を憎む同志なのだ。彼女の差し入れを(いぶか)しむ理由がなかった。


「あ、美味しいですね」


舌で押し潰すだけで形が崩れ、あんこの甘味が口に広がった。その控えめな甘さは、くたくたの肉体に優しく染み入ったのだった。


「そうかそうか! たらふく喰らえ!」


部長は声を弾ませると、クーラーボックスから新たなタッパーを渡してきた。こちらにもみっちりと羊羮が詰まっている。

今回もメンバー全員分を用意したのだろうか?


俺は二パック目の羊羹をつまみながら、計画の進捗状況について聞いてみた。


「あとどれくらいで降り始めそうですか?」


「次の刹那にはぽたぽたと音を立て始めることすらありえるといったところだ。

彼奴等に神罰が降り注ぐその瞬間を、共に(まなこ)に焼き付けるぞ」


「ええ。濡れ鼠共を思いっきり笑ってやりましょう」


(やから)共はスポーツマンシップに(のっと)ると(うそぶ)きつつ、大会後に出来上がった汗だくの肢体を乗っ取ることしか考えていない。

すなわちこの大会自体が大規模な前戯のようなもの。雨が降る前からぐしょぐしょに濡れているのだ」


部長にとっては待ちわびたであろう復讐の機会であったが、緊張した様子はまるで見られなかった。

この場所から冷静沈着な指示を繰り出し、きっと『ノアの方舟計画』を成功に導いてくれるはずだ。

俺は羊羮を片手に、『計画』の成功を祈った。


しかし、俺たちの期待は呆気なく裏切られてしまった。 

雨雲は太陽を覆い隠すほどにのさばっている。

しかし雨粒の一滴すら漏らさず、土俵際で踏みとどまっている。まるで連中の味方をしているかのようだ。


膠着状態のまま時計の針は進み、とうとう球技大会の始まりを告げる開会式の時刻がやってきた。

生徒の集合を呼び掛けるアナウンスが屋上まで響く。


その声を聞いて、思わず溜め息が漏れてしまった。

部長を責め立てるつもりはない。

「次の刹那に降る」などといった完璧な天候操作が土台不可能であることは俺の頭でも分かっていた。

分かってはいたのだが、期待していた分落差も大きかった。


「案ずるな副部長。工程①はあくまでも下準備だ。

これより『計画』は工程②に移行する。校庭に集う輩を一網打尽にしてやろう」


そう言うと部長は、スカートのポケットからスマートフォンを取り出した。そして慌ただしく指を走らせる。各員に次の指示を飛ばしているのだろう。


部長の言うように『計画』には工程②が存在していた。

この工程②こそ、今回の計画の主軸なのだ。

これを実行すれば、メンバーのランニングで追い詰められた雲はとうとう音を上げるはずだ。

突然の豪雨に連中があわてふためく様子を、この屋上から見物してやろう。

しかし、繰り返されるアナウンスを聞いて、俺の胸にある懸念が生じた。


「今回もサボったら、体育祭では実行委員をやってもらうからな」


担任の言葉を思い出す。

『サボり』とは、どこからどこまでを含めた話なのだろうか?

開会式に参列しないことも、奴の言う『サボり』に含まれるのだろうか?

含まれるような気がする。「今から大会が始まるという一体感を、クラスのみんなで共有するんだ!」などと、無駄に暑苦しい理屈を俺に押し付けてきそうな気がする。

実行委員を回避するという目的のために『計画』への協力を決意したのに、ここで判断を誤れば全てが台無しになってしまう。


「すみません。俺は開会式に行ってきます、担任がうるさいんで」


部長は覆面を被ったまま覗いている望遠鏡の接眼レンズから顔をゆっくり離すと、俺の方を向いた。


「副部長」


「な、なんですか?」


「一つ、頼まれてほしいことがある」


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