06 卒業して社会人になれば、トイレ掃除という業務を行う清掃のおばちゃんに惚れるはず
「副部長。あちらを見よ」
並んで中庭を歩いているとき、不意に部長が立ち止まった。
彼女が指し示した先には、園芸部が管理している花壇があった。レンガで区切られた区域の中に色とりどりの花が咲いている。
その花々を鑑賞するために置かれたベンチに、並んで座る男女の姿。
「花子ちゃん……♡」
「太郎くん……♡」
何をするでもなく、ただ肩を寄せ合いお互いの名前を呼び合っている。
今はなんとか堪えているようだが、このままでは理性の崩壊は時間の問題だろう。
ところであいつら、どっかで見たことあるような……。
「初陣に相応しい輩だな、副部長」
部長はそう言い、俺の肩に手を置く。
「……え、俺がやるんですか? 部長がいつもやってるアレを?」
「この遊撃も広報活動の一環だ。私はあちらに向かう」
部長が親指で指し示した方向には校舎があった。空き教室で駄弁る男子生徒たちの姿が窓から見える。
部長は俺を残して、獲物の方向に向かっていった。
サッカー部員たちに泣かされたばかりだというのに、全くへこたれている様子は無い。
部長の背中が小さくなっていくにつれて、不安感が高まっていった。
『計画』への協力は誓ったが、まさか遊撃まで俺の役割になるとは……。
俺が遊撃に抵抗を抱く理由は、この見境の無さにある。
俺の目の前の二人は目も当てられないほどの恋慕を高等学校という公的な施設の中で恥ずかしげもなく晒しているだけで特段周りに迷惑をかけているわけではない。
目の毒と言えばその通りだが、あの二人の迷惑指数は微々たるものだ。
また、部長が遊撃に向かったターゲットたちも同じく、悪事を働いている様子は見られなかった。わざわざ藪をつついて蛇を出す必要はないはずだ。
しかし無害なサッカー部に乱入するほどに青春を敵視している部長からすれば、あのカップルも、男子生徒たちも、完全に取り締まりの対象なのだ。
更にこの遊撃が広報活動の一環と言われると、俺としても断りづらい。
遊撃を通じて連中を追い払うことで『帰宅 (させる)部』の存在は更に広まる。大勢に知られることは部員増加のきっかけになる。そして部員が増えるほどに『計画』が成功する可能性は高まっていくのだ。
現に俺自身が、遊撃を三度目撃して部長に興味を持った。
今回の遊撃を通じて、まだ見ぬ仲間たちが共鳴してくれるかもしれないのだ。
しかし殆ど無害な男女を帰宅させるというのはどうにも気が乗らないというか、とっかかりがまるで見つからない。
例えばこの場所が電車の優先席であれば、躊躇なく遊撃を開始できるのだが。
俺は言いたいことがまるで思いつかないまま、重い足取りで二人の元へ向かった。
「か、帰れ帰れー。もう放課後だぞー」
なんとか声を絞り出す。蚊の鳴くような声量だったが、二人は俺の方を向いてくれた。
覆面を被る俺を見ると同時に、驚きのあまり両者同時にベンチから立ち上がった。
「あ、新聞のやつ!」
男は俺を指さす。
女の方は俺を責めるように、わざとらしく溜め息を吐く。
そして呆れた口調で男の方に言った。
「もう行こうよ……」
「いや、やり返さないと気が済まねーよ!」
思い出した。この二人は、先日部長に収穫されたさくらんぼだ。
どうやら覆面を被った俺を部長と勘違いしているらしく、俺に敵対心を燃やしている。
男の方は「やり返す」などと気を吐いているが、まさか手を上げるつもりじゃないだろうな? こういう連中は感情のコントロールができないから、すぐ短絡的な手段に訴える。
「まあまあ。とりあえず座って落ち着け」
立ち上がった二人をベンチに誘導する。
素直に従い腰を下ろす様子を見て、俺はひそかに胸を撫で下ろした。
指一本でも俺に触れたら、サッカー選手顔負けの演技で被害を訴えてやる。
改めてさくらんぼに向き合う。対話の勝負なら、こんな連中に負けるはずがない。
「いつまでも学校に残ってないで、もう帰れよ」
「なんで帰らないといけねーんだよ!」
「五月の夕方と言えど、ずっと外にいたら熱中症になるぞ」
「じゃーお前が先に帰れ。暑そうな覆面被ってんだからw」
「…………」
的確な反撃に返す言葉も無い。 この男、蛙高生にしてはなかなか頭が回る。
しかしここで口をつぐむことは、「降参します」と宣言するに等しい行為だ。
『計画』成功のために、敗北は許されない。
俺は男の隣に腰掛け、改めて質問を投げかけた。
その回答内容から粗を探して、二人を責め立てようと考えたのだ。
「ところで、二人はなんで付き合ってるんだ?」
「は!? そんなことどうでもいいだろ! さっさと帰れよ!」
「ああ帰るよ。お前らの関係がただの青春ごっこではなく真の愛だと納得したら、俺たちは大人しく引き下がる。更に、もう二度と干渉しないことも約束する。だから教えてくれ」
男は俺の発言に疑う視線を向けつつ、問いに答えてくれた。
「……優しいからだよ」
「『優しいから』。具体的なエピソードは?」
「俺はバレー部の部員で、彼女がマネージャー。
半年くらい前の練習試合で俺が怪我しちまって、彼女に治療をしてもらったんだよ。
それをきっかけに距離が縮まっていって、俺から告白したんだ」
聞いているだけで欠伸が出そうな恋愛話を、脳内で丁寧に咀嚼する。
すぐに遊撃の準備は整った。ここから二回戦の始まりだ。
「今すぐ別れろ」
「は!? なんでだよ!?」
「彼女はマネージャーの責務を全うしただけだ。お前に想いはない」
「いや付き合ってくれてるんだから、多少は想いも持ってくれてるはずだろ!」
「『優しいから付き合った』とお前は言った。
これは今の彼女より優しい女性が現れたら乗り換えるということの証明に他ならない」
「別に優しさだけで惚れたわけじゃねーよ!」
「そもそもお前は前提から勘違いしている。マネージャーの治療行為はあくまでも業務の一環であり、そこに優しさはない。お前以外が怪我をしても、彼女は全く同じ処置を行っている。
そんなただの業務を色恋沙汰と勘違いするお前のことだ。卒業して社会人になれば、トイレ掃除という業務を行う清掃のおばちゃんに惚れるはず」
「そんなわけねーだろ! 違うからな? な?」
男は隣に座る彼女の目を見て必死に訴えかける。
女の顔を覗いてみると、未だ恋愛病の症状は収まっていないといったご様子だった。潤んだ瞳に赤らめた頬で、うっとりと彼氏を見つめている。
「うん、分かってる。私、太郎くんのこと信じてるから」
「花子ちゃん……♡」
「太郎くん……♡」
二人はとろける視線を絡ませ合い、やがてお互いの肉体を優しく抱擁し合った。
俺という障害を前にして、むしろ二人の絆は深まってしまったようだ。
くそ……。こんな連中を相手に連敗などあってはならない。二人の目を覚ますべく、声を上げ続ける。
「お前らの愛は偽物だ! 破局してそれぞれが独りで帰宅しろ!」
「花子ちゃん……♡」
「太郎くん……♡」
駄目だ。俺の言葉は全く届いていない。完全に二人だけの世界に没入してやがる。
まさかここまで手強いとは想像もしていなかった。
真っ当な注意は反撃を受け、こじつけの屁理屈は二人のねんごろを深めるための燃料に使われてしまった。
これ以上、何を言えばいいんだ……?
思わず頭を抱えてしまった。内容よりも、まずは二人の意識を再び俺に向ける必要がある。今のこいつらは精神的な恍惚状態にあり、生半可な言葉はそもそも耳に届かない。
こいつらを一撃で我に返すフレーズを考えなければ……。
「花壇はおしべとめしべが受粉する場所だ! 人間が受粉する場所ではない!」
その声は……!
頭を上げると、こちらに走ってくる部長の姿が見えた。
カップルたちは部長を視認すると同時に、酔いが覚めたように一気に冷静さを取り戻した。
「あるいは我々がミツバチのように貴様らの受粉を手伝うか!?
したらばNTRという毒針を脳みそに突き刺してやる!!! やれ副部長!!!」
「いや、俺を竿役にしないでください……」
俺がツッコミを言い切らないうちに、カップルは一陣の風のように遁走を開始した。
その姿を見送る部長は、いつもと同じように満足げに頷いたのだった。
そして右手を高く掲げ、俺にハイタッチを求めてきた。
「今回は我々のコンビネーションの勝利だ! これからも結束を高めるぞ!」
いや、もう二度とやりたくないです……。部長が来てくれなかったら、遁走していたのは俺の方でした……。
とも言い出せず、俺は右手を掲げて部長とハイタッチを交わしたのだった。
こうして部長の助け舟もあり、なんとか遊撃には成功した。
しかしこれが何か実を結んだのだろうか?
俺のその質問に、部長は「あちらを見よ」と校舎の柱を指さした。
目をやると、何者かが柱の陰からこちらを見ている。
しばし見つめ合ったあと、その人物はひょっこりと姿を現した。
眼鏡をかけた、一年生の女子生徒だった。彼女はこちらに軽く会釈をすると、小走りで近付いてきた。
「あ、あの……ありがとうございました……」
「『ありがとう』って、どういうことだ?」
俺の疑問に女子生徒が答える。
「空撮する予定だったんです……。あ、私たちはドローン部なんですけど……。花壇を撮影する申請をしてたんですけどあの人たちがちょっと邪魔で……」
そう語る女子生徒の手には、四つのプロペラを備えたX型のドローンがあった。
あいつらがじゃれ合う様を隠れてずっと見てたのか……?
「この学校にドローン部なんてあったのか」
「新設したんです、今年から……」
ドローン。その言葉に反応したのが部長だった。
俺とドローン部の間に体を割り込ませ、ドローン女子に顔を近付ける。
「所持しているドローンは撮影用のみかね?」
ドローン女子は部長から顔を離して答える。
「あ、いや……散布用とか運搬用とか……。一通り買ってもらいました……」
部長はドローン女子の両肩をがっしりと把持し、勢いよく頭を下げた。
「どうか『帰宅 (させる)部』に協力してほしい! キミの暗い学校生活を逆転させるチャンスだぞ!」
なんであの人の学校生活も暗いって決めつけてるんですか……。
その思い込みはさておき。部長はその後もドローン女子に向けて語り続けた。己が舐めた過去の辛酸も、球技大会の『計画』も。首を縦に振らん限りは、この両手は離さない。そんな熱意が語り口に籠っていた。
「じゃ、じゃあ……。協力させてください……。私も運動は苦手で……」
部長の意気込みはドローン女子の心を打った。
こうして『帰宅 (させる)部』はドローン部と提携することができたのだった。
この成功体験に気を良くしたらしく、次の日から遊撃は更に激しさを増した。
輩がマジョリティを占めるこの高校とはいえ、探せば同類は見つかるものだ。
なんと球技大会前日には、『帰宅 (させる)部』新入部員と他の部活の協力者を計三十六人も確保できたのだった。
連中を嫌う者、運動を嫌う者、それぞれが胸に強い意思を宿していた。
一人一人の参加理由は異なるが、すべきことは一つ。
球技大会の参加者を、全員帰宅させる。




