03 そもそもマネージャーなぞ、興味があるものはサッカーではなくサッカー選手だろ!?
始業前から放課後までうぇいうぇいとした喧騒が続く蛙高校においても、その活気が静まる時間帯が存在していた。
月曜日の朝である。生活リズムのズレから生じる自律神経の乱れや、休日から平日への気持ちの切り替えなど、精神的な疲労が積み重なり皆どこか足取りが重い。
俺も例に漏れず気持ちが沈んでいた。気だるさがのしかかった背中は自然と丸くなり、視線は足元に落ちる。
無心で左右の足を順番に前に出していると、やがて前方から月曜日らしからぬざわめきが聞こえてきた。
不思議に思い顔を上げる。視線の先には校内掲示板があった。その周辺に、性別も学年も問わないうぇいうぇいと人だかりができている。
その品性に欠ける盛り上がりを見て思い出した。今日は隔週に一度の、新聞部の記事が発行される日だ。
蛙高校の新聞記事は「月曜日の憂鬱を吹き飛ばす」と生徒たちからは好評を博している。しかしその内容はクラスの人気者紹介や蛙高生好きな動物ランキングなど下らないもので一瞥する価値も無い。
あんなもので喜べるとは幸せな奴らだ。集団の横を足早に通り過ぎようとしたとき、俺を引き留める一言が群衆の中から聞こえてきた。
「俺も覆面女見たわー」
……覆面女?
その言葉に釣られて掲示物に目をやる。
校内新聞の一面には、このような見出しが躍っていた。
『神出鬼没! 放課後の覆面女!』
その文字列を見たと同時に、俺の脳裏にあの人の姿が浮かんだ。
覆面さんは、いったい何者なんだ?
俺が分かっていることは、女子で、三年生で、『帰宅 (させる)部』という部活動の一員ということだけだ。
あの新聞に目を通せば、新しい情報を知ることができるかもしれない。
俺は掲示板に集る連中をかき分けながら掲示板に向かった。
そこに掲示されていた記事を要約すると以下の通り。
新聞部の調査によると、覆面女が初めて蛙高校に現れた日は今年の四月九日。
彼女は放課後の学校に残っていると何処からともなく現れる。
そしてターゲットとなった人物が帰宅するまで、支離滅裂で不快な発言を繰り返すのだという。
その正体は、上履きと制服から三年生の女子だと仮定されている。
文章は「暴走を繰り返す覆面女を、我々は必ず取り締まる」と意気込む、風紀委員長のインタビューで締めくくられていた。
なんとも物足りない情報量であったが、俺の知らないことも書かれていた。
どうやら彼女の活動の始まりは、ほんの二か月前のことらしい。
つまり覆面さんの奇行は、三年生になってから始まったということだ。入学してからの二年間は大人しく過ごしていたのだろうか?
そして今年度が始まってから、彼女はなぜ心変わりしたのだろうか?
二年C組の教室に入る。ここでも話題は覆面さんで持ちきりだった。
このクラスにも彼女に絡まれた人間がちらほらいるらしい。
掲示板周りで聞こえてきた被害報告、そしてクラスメイトたちの会話に聞き耳を立てるに、彼女に遭遇したという生徒の数は合計で五十人以上いることが分かった。
計算上では一日に一件以上、連中を撃退していることになる。俺が目撃した二度の奮闘も、数ある中の一つなのだろう。
しかし、スカウトされたのは俺だけらしい。
俺はあのときの覆面さんの言葉を思い出す。
『帰宅 (させる)部』という謎の部活動とは……。
さらに「革命を起こす」と物騒なことを言っていたが……。
発言の真意を確かめるために、俺は覆面さんにもう一度会いたかった。
新聞部の記事によれば、出没は放課後に限られている。
普段ならチャイムと同時に帰宅する『帰宅 (する)部』の俺だが、今日は彼女を探すために学校に残ることにした。
夕焼けが差し込む校内を放浪する。
直帰組の俺にとって、この時間帯の学校は新鮮な風景だった。
授業が終わっても、校内はまだまだ静けさを知らない。部活動や無駄話で校内に残る生徒が多く見られる。中には、どうやら覆面さんを探しているらしい連中の姿も散見された。普段は学校嫌いというスタンスを取っておきながらいつまでも校内にこびりつくその姿勢、覆面さんに早急に洗浄していただきたいものだ。
俺は覆面さんを見つけ出すことは容易だと考えていた。
彼女は、言わば『青春』の元に現れる。聞くに耐えない駄弁りや見るに耐えない色恋をどうやってか嗅ぎ付ける。
そして学校中に響き渡らんとする声量で対象を一喝する。
すなわち、彼女の声が轟く方に急げば遭遇できる。
しかし校内に響くは、吹奏楽部の音色や野球部の掛け声のみであった。
俺が校内を散策しているだけでも、覆面さんのターゲットになりえる連中は掃いて捨てるほど確認できたのに。
もしかしたら、外を見回っているのかもしれない。
靴を履き替えて、玄関から屋外に繰り出す。
校門、校舎裏、体育館裏。青春が発生しうる場所を順に確認する。
しかし、やはりその姿を見つけることはできなかった。
今日は活動を休止しているのだろうか?
なにせ校内新聞に取り上げられるほど目立ってしまったのだ。風紀委員に身柄を確保されてしまえば、反省文の枚数は二桁では済まないだろう。
だがそんな心配をよそに、彼女は現れた。校庭の脇の体育倉庫。その影に立つ、神出鬼没放課後の覆面女。
体育倉庫の影から顔だけを覗かせ、校庭を見渡している。まるで獲物を探しているかのようだった。
校庭には野球部や陸上部、そしてサッカー部。
みなまともに練習に取り組んでいる。ふざけたり、無駄話を交わす者はない。覆面さんの出番はないように思えた。
……が、彼女は一歩を踏み出した。砂に足跡を残すかのようにゆっくりと。
一歩、また一歩。確かな足取りで校庭に侵入した。
噂の人物の登場に生徒たちはざわめき立つ。
「あいつ新聞に載ってたやつじゃね?」
みな活動を止めて、覆面さんの行く末を見守る。
大衆の注目を奪う覆面さんは、サッカーゴールの横で足を止めた。
彼女の目の前ではサッカー部の面々が、戸惑いの表情を覆面に向けている。
彼らは真面目に練習に取り組んでいたはずだ。
いったい連中の何が、覆面さんの逆鱗に触れたんだ?
覆面さんは自らの両手を胸の辺りまで持ち上げると、左右の手のひらを打ち合わせてパチパチと音を響かせた。
「いやー、お上手お上手。皆さん素晴らしい腕前で」
覆面さんが褒めた……!?
予想外の行動に驚いたのは俺だけではない。
サッカー部の面々も、戸惑いを浮かべたまま互いに顔を見合わせている。
覆面さんはまさかサッカーファンなのか?
自分の人生に何の関係もないのに深夜のスクランブル交差点に集合して代表戦の勝敗に一喜一憂か?
なんて、全くもって杞憂であった。
覆面さんは続けて口を開く。
「皆さん本当にお上手だ。青春ごっこが」
「青春ごっこ……?」
首をかしげるサッカー部員たち。すかさず覆面さんは大きな雷を落とした。
「爽やかな汗を流す暇があったらとっとと帰宅しろーーーッッッ!!!!!」
その迫力から距離を取るように、サッカー部の男衆は一様に後退した。
三十人を超える人数を相手にたった一人で立ち向かう覆面さんは、なんだかたくましさを感じる。今回の主張は輪をかけて意味が分からないが。
しかし一人だけ、覆面さんに食ってかかる人物がいた。サッカー部の紅一点である女子マネージャーだ。
「なによそれ! どういうことよ!」
「プロになる実力も覚悟もないくせに青春ごっこの為に放課後の校庭を不法占拠するなと言っている!」
「はあ!? 部活動ってそういうことだけじゃないでしょ!!」
いつもの調子の覆面さんと、食ってかかるマネージャー。
両者は火花を散らしてにらみ合う。
サッカー部の面々はその情勢を黙って見つめている。
俺としては、当然覆面さんを応援したかった。
だが今回の言い分は首を傾げざるをえない。
サッカー部の連中は誰にも迷惑をかけていなかった。
強いて言えば、普段の学校生活は不真面目に過ごしているくせに興味がある事柄だけは人が変わったように情熱を燃やす自分に甘い両面性は腑に落ちないが……。
彼女はマネージャーを指差した。
「貴様だけはプロの女優になれよう。ただし企画もののうちの一人だ」
「企画もの……?」
その場にいる人間で、マネージャーだけが首をかしげた。
「そもそもマネージャーなぞ、興味があるものはサッカーではなくサッカー選手だろ!?
ドリンク作りや洗濯の傍ら、使用済みのコップやタオルを窃盗しくさって!
将来有望な男に今のうちから唾をつけるために 練習終わりの部室でペロペロと唾をつけているのだろ!?」
マネージャーは指で自身の頭を抑え、大きく溜め息を吐いた。
「あのさ、今IH前の大事な時期なの。だから邪魔しないでくれる?」
「青春ごっこのサッカーごっこが優勝の二文字を口にするなんざ片腹痛いわ!
貴様らは全員玉蹴りではなく玉遊びのために下半身を鍛えているのだ! 下半身の筋肉が発達すれば射……」
「あーもう、うっさい!! もう黙って!!」
「なっ!?」
マネージャーの怒声に言葉を遮られ、今度は覆面さんが動揺した。
攻守逆転、マネージャーの反撃が始まる。
「かーえーれ。かーえーれ」
マネージャーは手拍子と共にコールを始めた。
そして周りに睨みを聞かせる。マネージャーと目が合ったサッカー部員は、同じように手拍子とコールを始めた。
その隣の部員もコールを真似る。その波は徐々に広がり、やがてサッカー部のみならず、校庭にいる全員に行き渡った。
「「「かーえーれ! かーえーれ!」」」
「な、な……!」
覆面さんの快進撃もここまでだった。数で圧倒される反撃に言葉を失う。
そして堪らず、校庭から一目散に逃げ出した。
「はい! 練習練習!」
マネージャーの鶴の一声で、各自それぞれの部活動を再開させた。
俺は急いで覆面さんの後を追った。
覆面さんは校庭から逃げ出して校舎の方に向かう。しかし校舎内には入らず、校舎脇の非常階段の下にするりと潜り込んだ。
恐る恐るそこを覗き込む。覆面さんは体育座りの姿勢で顔を両膝の間に沈めていた。膝の間からぐじゅぐじゅと嗚咽が漏れている。
「くそ、くそ……! あいつら集団になっただけで己が強くなったと勘違いしやがって……!」
泣きたいのはなにも悪いことをしてないのに大会前の大事な時期にいきなり練習を邪魔されたサッカー部員の方だと思うが……。
泣きながらも連中に噛みつく根性は大したものだ。
なんだか元気そうにも見えるが、放っておくと寝覚めが悪い。図書室と駐輪場で、一応彼女に助けてもらっている。
「だ、大丈夫ですか……?」
『帰』の文字がこちらを向いた。
びしょびしょに濡れた覆面が顔面にぴったりと密着し、うっすらと相貌をなぞっている。
「キミは……」
「俺は二年の青嵜真治です。先日はどうも」
「……師走廻だ」
泣き止んだ覆面さんに、俺は質問を投げかけた。
彼女の行為を初めて目撃したときから、ずっと持ち続けていた疑問だった。
「師走さんって……なんであんなことしてるんですか?」
迷惑な学生を注意するだけならまだしも(それも風紀委員の活動範囲だが)、今日は無害なサッカー部にまで支離滅裂な理屈を押し付けていた。
これらの行動には、何か大きな理由があるように思えてならない。
師走さんは、俺の質問にすぐには答えてくれなかった。
しばしの沈黙のあと、ようやく口を開いてくれた。
「……そもそも私は、輩に憧れていた」
『帰宅 (させる)部』発足のきっかけは、なんと六年前にも遡るという。
当時中学一年生だった師走さんは、青春とは程遠い学校生活を送っていたらしい。学校に友達はおらず、毎日黙々と勉学に向き合っていた。
その努力は実を結んだ。テストの順位では、一番上に師走廻の名があることが常だった。毎学期の成績表には同じ数字が並んでいた。
そんな日常は、どこか虚しかった。
クラスメイトたちは成績など気にせずに、楽しそうな日々を過ごしている。
学生の本分は勉強のはずだ。しかし彼ら彼女らの笑顔を見ていると、師走さんは自分自身が否定されているかのような気持ちになったという。
師走さんは決意した。高校では学校生活を充実させることを。
その目標のために、県内最難関の蝦蟇高専に入学できる学力がありながらも、偏差値47の蛙高校への進学を決意したという。
「え! もったいないですって!」
「高偏差値に青春はない。並びにユーモアもない。
『彼女が画面から出てこないw』レベルの手垢が付きまくったフレーズで拍手笑いが発生する異質な空間だ」
「なぜ見てもいないのに知ったような口を……」
話を戻そう、と師走さん。
入学初日。師走さんは自己紹介でかます計画を立てた。高校入学をきっかけに、過去の自分を捨て去る。いわゆる高校デビューを目論んだ。
そのための下準備は万全だった。
春休みの間、輩の好むトピックを学びに学んだ。信憑性のない性格診断や根拠のないパーソナルカラーを記憶した。全ては、今しか味わうことのできない特別な日常を手に入れるために。
極めつけに自身が培ってきた学力を輩のためにチューニングすれば、クラスメイトなぞ一網打尽に掌握できるはず。
そして、運命の刻がやってきた。
師走さんは椅子から立ち上がり、自己紹介を始めた。
「ど~も~師走廻で~~す! 特技は理科室のエタノールでアルコール飲料を作ること!
フライデーナイトは屋上でドランクパーティするしかないよね~~!!!
うぇ~~~い!!! ポウポウポ~~~ウ!!!」
ホームルーム中にも関わらず職員室に連行、教師に囲まれ反省文を書かされたという。
「な、なんでそんなことを言ったんですか……」
「輩は未成年飲酒と未成年喫煙を大いに好むゆえ」
未成年飲酒だけでなく密造酒のアピールまでしているのだから、むしろ反省文だけで済んだことは幸いと言えるかもしれない。
そして自己紹介で自爆の致命傷を負った師走さんは、クラスから腫れ物扱いされるようになってしまったという。
その後も再起を狙い行動を続けるが、地に落ちた評判が覆ることはなかった。二年生になっても『蛙高のアル・カポネ』の肩書きは外れることなく、中学時代をなぞる暗い日常を過ごしたらしい。
そして今年の四月。
三年生になった師走さんは気付いた。
「私がこの高校で青春を送ることは不可能だ」
そして決意した。
「残り一年の学生生活で、あやつらの青春ごっこをわやくちゃにしてやる」
つまり……師走さんは、自分が手に入れられなかった青春に嫉妬しているだけだった。
そのために青春を楽しんでいる連中を無作為に攻撃する。そこに正義や道徳は無い。ただ視界に入った青春を順番に追い払うのみ。
こんなに不毛なことがあるだろうか?
「もう止めた方がいいですよ……。風紀委員も師走さんを探してるって、校内新聞に書いてありましたし」
すっかり涙が引いた師走さんは、得意げな口調で語った。
「いや、名が売れたことはむしろ好都合。
私は更なる野望のために、『帰宅 (させる)部』の規模拡大を望んでいる」
更なる野望……?
呆れ半分、好奇心半分で聞いてみる。
「何をするつもりなんですか……?」
師走さんは体育座りの姿勢のまま、しかし力強く宣言した。
「きたる六月に開催される輩の催事球技大会。この大会に参加する生徒を……全員まとめて帰宅させる!!!」




