18 私が過ごすこの日々は、私が忌み嫌っていた『青春』なのかもしれない
八得神社から歩いて十五分ほどの場所に蛙川は流れている。
ここでは毎年、夜祭のフィナーレを飾る打ち上げ花火が約一時間にわたって開催される。
来場者は毎年10万人を超え、ローカルテレビで生中継されるほどの人気を誇っていた。
行き交う人々をかき分け、俺と部長は土手の斜面に腰を下ろした。
周りを見渡せば、観衆の半分以上は恋人同士と思われる男女のペアだ。
傍から見れば、俺たちも同じようにカップルに見えているのだろうか。
部長は土手に座ると、風呂敷の結び目をほどく。
そしてお重の蓋を開けて、俺に差し出してきた。
「さぁ青嵜くん。存分に食らえ」
「こ、これは……羊羮!」
部長手作りの羊羮が、カットされた状態でお重に隙間なく詰められていた。
その小豆色を引き金に、球技大会の記憶が蘇る。
連中に一泡吹かせるために立案された『ノアの方舟計画』。
その工程①において、俺はランニングの先陣を託された。しかし運動嫌いの俺はすぐに体力を使い果たしてしまった。
そんなときに部長がくれた羊羮の味を俺は今でも覚えている。
羊羹の一切れを楊枝で持ち上げて口に運ぶ。
あの日と変わらない、甘さ控えめの味が広がった。
「私が一年生の時の、球技大会での出来事を覚えているか」
「差し入れで羊羮を作ったのに、クラスの誰も食べてくれなかったっていう……」
「その通り。しかし今年の球技大会において、青嵜くんが羊羹を食してくれた。
私はそれが本当に嬉しかったんだ。まるで過去の思い出が上書きされていくようだった」
「いや、そんな大したことはしてないですよ……」
「その件だけではない。部活動も愉快であった。毎日の遊撃と数々の計画は、私の学校生活に彩りをくれたんだ。
そして思った。私が過ごすこの日々は、私が忌み嫌っていた『青春』なのかもしれないと」
「この日々が青春……」
「だから……あ、青嵜くん」
「な、なんですか?」
「わ、私と……」
次の瞬間だった。
ドン、ドン、と低い音が空に響いた。そして満開の火花が夜空を彩る。方々から歓声が上がった。
花火大会が始まったのだ。
部長は言葉を途中で止め、視線を空に向けた。
その横顔はお面で覆われており、表情を窺い知ることはできなかった。
……マジか?
色恋沙汰に縁の無い俺でも、これで察しがつかないほど鈍感ではない。
思い返してみれば、今日の部長はどこかおかしかった。
浴衣姿、緊張を帯びた立ち回り、なにより遊撃を一度も行っていない。
まさか、最初からそのつもりで『ソドムとゴモラ計画』を立案したのだろうか?
俺だって、部長と過ごした日々は充実していた。
『ノアの方舟計画』の準備から約二か月弱、平日は毎日部長と顔を合わせていた。
部長の支離滅裂な遊撃には呆れつつも笑いが込み上げてきた。
青春に躍り狂う連中の悪口で部長と意気投合した。
しかし、そこに性別は関係ないと断言できる。
仮に部長が男だったとしても、俺は同じように『帰宅 (させる)部』に入部し、計画に協力をしていたと断言できる。
花火大会はピークを迎え、明度の高い光が空一面を埋め尽くす。観衆のテンションもヒートアップし、会場は大盛況となった。
しかしその雰囲気とは裏腹に、俺たちの間には一切の会話がなかった。
こんなに静かな部長を初めて見た。形容しがたい気まずさに胸が締め付けられる。
しかしこの状況で何を話せばいいのか、俺はまるで分からなかった。
やがて花火大会終了のアナウンスが流れ、俺たちは帰宅の準備を始めた。
部長は口を閉ざしたまま、お重の風呂敷を結び直す。
俺は雰囲気を変えるべく、いつもの調子で口を開いた。
「いやー。人混みでわざわざ燃えカスを見上げる連中の気が知れませんでしたけど、実際に見てみるとなかなか楽しめましたね」
「うむ。最後に良い想い出ができた」
しかし部長の調子は戻らず、依然として静かな口調で呟いたのだった。
「さ、最後……?」
「本日で『帰宅 (させる)部』は活動終了だ。私は受験生ゆえ」
そうだ。部長は三年生、牧羊犬のように輩共を追いかけている場合ではない。
本来であれば、夏休みに遊んでいる時間の一秒すら惜しいはずだ。
「ちなみに志望校って……聞いてもいいですか?」
「殿様大学の理三だ」
「と、殿様大学……!」
その単語は、耳にしただけで絶句してしまうほどの迫力があった。
偏差値47の蛙高校から国内最難関である殿様大学に合格すれば、万国ニコどころではない。この高校の歴史に永遠に名を刻むことになるだろう。
そして部長が殿様大学に進学することは、俺たちの永い別れを意味していた。
偏差値47の蛙高校に実力で入学した俺では、幾度浪人を重ねても殿様大学の門戸を叩くことは到底不可能である。
また、殿様大学は首都にキャンパスを構えている。部長が見事に合格した際には物理的な距離も離れてしまう。
そうか……。もう部長に会うこともないのか……。
その姿を初めて図書室で目撃したときはとんでもない変人が現れたと思ったが……いや、今でもだいぶ変人だと思っているが、お別れとなるともの寂しさを感じる。
しかし「不合格になりますように」なんて言えるはずもなく。
「勉強頑張ってください。応援してます」
と月並みな文句を言うしかなかった。
「ああ。今日まで本当にありがとう」
部長はそう言い残すと、人混みに紛れて独り帰路に着いた。
今までの高校生活を振り返ってみれば、むしろこの数ヵ月が特異点だったのだ。
一年前の俺は学校の誰にも心を開かず、自宅と学校を往復していた。
二学期からは何人にも振り回されることのない放課後が待っている。
自由に遊び、連中を一人睨む、そんな寂しい日常が。
孤独を恐れるようになったのはいつからだろう?
「ぶ……し、師走さん!」
自然と足が動いていた。
帰路に着く人々の間を縫い、師走さんの背中を追いかける。
再び師走さんと顔を会わせてどうするのか、俺自身ですら分からなかった。伝えたい言葉もまとまっていなかった。ただ、ここで別れてはいけない気がしていた。
やがて人混みの中、濃紺の浴衣姿が視界に飛び込んだ。
目の前の人間を避けて、押し退けて、手を伸ばせば届くほどの距離にまで近付く。その瞬間だった。
「待て!!!」
俺と師走さんとの間に、突如として人影が立ちふさがった。
学ランを着た中学生だ。鋭い眼光を刺すように俺に向けている。
「お、お前は……」
目の前に急に現れたこの男の正体を、俺はよく知っていた。




