第8話 旧友の影
王都が静まり返るまでに、三日かかった。
炎は雨に消され、瓦礫は泥になり、死体はようやく数えられるようになった。
誰もが「神の怒り」と口にしたが、誰も神を信じてはいなかった。
ただ、焼けた街の匂いと灰の味が、祈りの代わりに残っただけだ。
俺は城壁の外に立っていた。
黒い外套は煙の匂いを吸い込み、どこへ行っても影のように見える。
リディアはまだ聖堂跡にいる。瓦礫の下から人を掘り出し、葬り、また祈る。
あれが彼女の戦いなのだろう。俺はその背中を見たまま、一度も声をかけなかった。
燃え尽きた王都の西門には、かつて勇者の旗が掲げられていた。
今は、半分焦げた布が風に揺れている。
俺はそれを一度見上げて、背を向けた。
◆
港の倉庫に戻ると、マーヤが待っていた。
長机の上に古びた瓶を並べ、無言で一つ渡してくる。
瓶の中身は酒じゃなかった。乾いた土。王都の焦げ跡を拾ってきたものだ。
「記録に残すんだろ、いつもの癖でさ」
「ああ。これで全部だ。勇者の劇は終わった」
「終わってない顔してるぜ」
マーヤが軽く笑う。
笑いながらも、目は探っている。
俺は瓶の蓋を閉め、棚の一番奥に置いた。
「……何か見つけたのか?」
「ある。
港に“勇者の仲間”を名乗る奴が現れた。
十年前、最初の遠征に同行してた古参らしい」
「生き残りが、今さら何の用だ」
「言葉は少なかった。
『勇者はまだ死んでいない』ってさ」
静寂が倉庫に降りた。
外の波音まで遠ざかるようだった。
俺は視線を落とし、足元の影を見た。
ゆらぎがある。まるで誰かが立っているように。
「マーヤ、その男はどこに」
「港の灯台だ。
お前が来ると思って待ってるって」
「……“影の仲間”ってやつか」
「気をつけろよ。そいつ、笑ってた。死人みたいな笑い方で」
俺は外套の裾を翻し、倉庫を出た。
◆
灯台は、王都の再建が始まる前から放置されている。
石の壁には苔が張りつき、風が笛のように鳴る。
扉を押すと、錆びた hinges が悲鳴を上げた。
中は暗い。
階段を上がるたびに、木の板が軋む。
頂上の小部屋に、ひとりの男が座っていた。
黒い外套。片腕はない。
しかし、その横顔には見覚えがあった。
「……リューク、か」
「覚えていたか、クロウ。
いや、“影の男”と呼んだ方がいいか?」
「お前は勇者と一緒に死んだと思っていた」
「俺も、そうなるはずだった。
だがあの夜、光が爆ぜた時——“声”を聞いた。
神の声でも、勇者のでもない。“お前の声”だ」
俺は眉をひそめた。
「何を言ってる」
「お前が影を撒いたろう? 噂を、恐怖を、罪を。
あれが俺の中に入った。
今、俺の中には“勇者の残り”と“お前の影”が混ざってる。
お前の劇はまだ終わってない」
リュークが立ち上がる。
片腕の袖が風に揺れ、赤黒い光が滲んだ。
あの加護と同じ色だ。
「勇者は死んだ。でも、“力”は生きている。
そしてその力は、影を選んだ。……お前をな」
灯台の窓が震え、光が差す。
リュークの眼に赤い閃光が宿った。
「クロウ。
お前が望んだ通り、“堕ちた勇者の続き”を見せてやるよ」
その言葉と同時に、加護の光が爆ぜた。
床が砕け、壁が裂ける。
俺は咄嗟に後ろへ跳び、足元の木片を掴んだ。
リュークの背後に、巨大な影が立ち上がる。
それは形を持たない人の姿——勇者の幻だった。
「……やれやれ、舞台の幕は勝手に上がるもんだな」
俺はナイフを構え、闇の中の光に目を細めた。
「今度は、俺が脚本を書き直す番だ」
◆
外では、また雨が降り出していた。
王都の鐘は鳴らない。
光と影がぶつかる音だけが、夜を裂いていた。
次回 第9話「影の継承」




