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追放された暗殺者、勇者が堕ちる瞬間を見届けることにした  作者: 妙原奇天


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第6話 聖女の涙

 王都の朝は、いつもより冷たかった。

 鐘の音が一度鳴るたびに、どこかで誰かが祈りをやめていくような空気。

 広場ではまだ勇者の像が立っていたが、その足元には花ではなく、石が投げられていた。

 花は枯れ、言葉は乾き、人々の信仰は砂のように崩れていた。



 聖堂の奥、祈りの間。

 リディアは膝をつき、両手を組んでいた。

 けれど祈りの言葉は声にならず、唇の動きだけが宙に浮く。

 十日間、彼女はほとんど眠っていなかった。

 勇者の加護は、日に日に乱れている。

 その光を鎮めることができるのは、神の声を聴く聖女だけ——

 ……のはずだった。


「……神よ、どうか——」


 言葉が途切れた瞬間、耳元で囁く声がした。

 ——神は沈黙している。

 ——だが“影”は、お前を見ている。


「っ……!」


 リディアは顔を上げた。

 天井の聖像が見下ろす中、彼女の視界に黒い残像が滲む。

 影が、柱の間を掠めて消えたように見えた。

 幻覚か。それとも、クロウが見ているのか。

 恐怖ではなく、なぜか安心が胸に満ちた。

 ——彼なら、まだこの国を見捨てていない。

 そう思う自分に、リディアは驚いた。



 一方その頃、勇者は王の間で荒れていた。

 机の上には、処刑命令書の山。

 「噂を広めた罪人」を次々と裁く判が押されている。

 王は沈黙し、臣下たちは目を逸らす。

 勇者の瞳だけが赤く濁っていた。


「この国は腐っている。

 神を疑う者は、すべて——罪人だ!」


 リディアが駆け込んできた。


「勇者様! お願いです、民を罰しないでください!」


「リディア……お前まで俺を疑うのか?」


「疑ってなど——!」


「なら、祈ってみせろ。

 俺の中にある“光”が、まだ神のものだと証明してみせろ!」


 勇者が手をかざすと、加護の光が迸った。

 白いはずの光が、紅く染まっている。

 それは血と同じ色。

 リディアの頬を撫で、床に燃えるような紋を残した。


「見ろ! 神はまだ俺に力を——」


「違います!」


 その叫びは、祈りではなかった。

 リディアの声が石壁に反響する。

 「これは、神の声ではありません……!

  あなたの怒りが光を濁らせているんです!」


 勇者の目が揺らぐ。

 彼は一歩、二歩と後ずさりした。

 その指先が震える。


「リディア……お前も、あの影に——」


 「影?」と彼女が問う前に、勇者は剣を掴み、叫んだ。


「俺を笑っている奴がいる! 闇の中から俺を——!」


 剣が振るわれ、聖堂の柱が砕けた。

 リディアは悲鳴を飲み込みながら、崩れる瓦礫の下を走った。

 勇者の叫び声が背後で響く。


「出てこい、クロウ! 貴様がこの国を壊したのだろう!」


 その声は、神の加護よりも深い狂気の色を帯びていた。



 その叫びを、俺は屋根の上で聞いていた。

 王城の尖塔から響く声は、街中に反響する。

 人々は怯え、祈りをやめる。

 劇は予定よりも早く燃えはじめていた。


「……勇者が、完全にこっちを“見た”か」


 隣でマーヤが低く口笛を吹く。

 「派手に燃やしたもんだね。こりゃ神様も逃げる」


「神は最初から舞台にいない。

 俺たちだけで、芝居を終わらせる」


「それで? あの聖女は? あんたの“観客”じゃなくなったんだろ」


「……彼女は、舞台の外から涙を流している。

 だが涙は、観客を呼ぶ。

 信仰よりも速く、噂よりも確実に広がる」


 俺はポケットの中の欠けた“祝福の印”を握った。

 リディアが返したそれは、もう微かな光も放たない。

 だが冷たく硬い感触だけが、確かに存在している。


 ——祈りは縛らない。

 彼女はそう言った。

 なら、俺がしてきたことは、ただの“縛り”だったのかもしれない。


 勇者を、神を、そしてこの国を。

 糸で縛り、動かし、壊した。

 それを正義と呼ばないなら、何と呼べばいい?


 俺は夜空を見上げた。

 雲が裂け、淡い月が顔を出す。

 その光の下で、ふと何かが頬を伝った。

 ——雨ではない。涙だ。

 俺はもう何年も、泣いたことなどなかったのに。


「……観客が、舞台に泣くとはな」


 マーヤが驚いたようにこちらを見る。

 俺は小さく笑って肩をすくめた。


「いい劇には、涙が必要なんだ。

 たとえ、それが聖女の涙でも。

 ——いや、俺の涙でもな」



 その夜、リディアは一人、崩れた聖堂の跡で祈っていた。

 瓦礫の隙間から差す光が、涙を照らす。

 彼女の唇が震え、かすかに名を呼ぶ。


「……クロウさん……」


 祈りではない。

 ただ、届かない誰かへの呼び声。

 その声を、誰かが暗闇で聞いていた。

 影の中、ひと筋の涙を指で拭いながら。

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