表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された暗殺者、勇者が堕ちる瞬間を見届けることにした  作者: 妙原奇天


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/12

第11話 祈りの残響

 山を下りると、春の匂いがした。

 雪解け水が谷を流れ、野花が一斉に顔を出している。

 王都を離れてから、季節が変わったのだとようやく気づいた。

 冬の終わりは、思ったより静かで長い。

 それでも世界は、何事もなかったように息をしていた。


 マーヤは先を歩きながら、指先で花を摘んだ。

 「生き返ったみたいだね、街も人も」

 俺は頷き、目を細めた。

 「壊れるたびに、世界は少しだけ優しくなる」

 「……皮肉だね」

 「皮肉こそ現実だ。神より正直だ」



 王都に戻ると、街の空気が変わっていた。

 人々は新しい聖堂を建てはじめている。

 だが、そこに神像はなかった。

 祈る相手を描かず、ただ空を見上げるだけの建物。

 信仰ではなく、記憶を留めるための場所だった。


 リディアはその中央に立ち、子どもたちと石を積んでいた。

 顔にかつての聖女の威厳はなく、

 代わりにひとりの女性の穏やかな笑みがあった。


「クロウさん。帰ってきてくださったんですね」

 「……ここが、お前の祈りの場所か」


「ええ。

 もう“神のため”ではなく、

 “人のため”の祈りをしたいんです」


 彼女の指先は泥に汚れ、爪には石の欠片が挟まっていた。

 かつて加護を降ろした手が、今は瓦礫を積み上げている。

 それだけで、十分だと思えた。



 夜。

 俺はひとり、王城跡の塔に登った。

 崩れた屋根の隙間から見える星は、驚くほど多かった。

 風は柔らかく、遠くの聖堂の灯が瞬いている。

 そこから、リディアの祈りの声が微かに届いた。

 ——神ではなく、人へ向けられた祈り。

 声は震えていたが、確かに届く強さがあった。


 その音を聞いていると、不思議と胸が静かになった。

 俺は、かつて影であることを誇っていた。

 光を利用し、真実を暴き、崩壊を観測する。

 それが俺の生き方だった。

 だが今、その役目が少しだけ色褪せて見えた。

 崩壊の先にも、祈る声が残るのなら——

 影は、光の亡骸を温めるために存在しているのかもしれない。



 足元に、小さな音がした。

 振り向くと、マーヤが階段を上ってきていた。

 「相変わらず、屋根の上が好きだね」

 「景色がいい」

 「いや、逃げ場がないからでしょ」

 彼女は笑い、腰を下ろした。

 手にしていた紙袋を俺に投げてよこす。

 中にはパンが二つ。温かかった。


「お前、珍しくまともな飯を持ってくるな」

 「リディアが焼いたやつ。あんたに食べさせてやれって」

 「……聖女がパンを?」

 「今じゃ“聖女”じゃないよ。ただのリディアだ」


 俺は袋を開け、ひと口かじった。

 焼きたての香ばしい匂いが広がる。

 それは、信仰の味でも奇跡の味でもない。

 ——生きている味だった。


「どうだい、影の王。久々の人間の食い物は」

 「悪くない。……泣けるほど、悪くない」

 「そりゃ結構」


 マーヤは夜空を見上げた。

 星がひとつ流れた。

 願いごとを口にするでもなく、

 ただ静かにその軌跡を追う。



「なあ、マーヤ」

 「ん?」

 「もし、神が本当にいたとして——

  あいつは、今どこで何を見てるんだろうな」


「そんなの決まってるさ。

 “もう自分がいなくてもいい”って、笑ってるんだよ」


 俺は少しだけ笑った。

 それは、影の男が初めて浮かべた、安らかな笑みだった。



 夜明け前。

 塔の上から見た王都は、煙も血もなく、

 ただ人々の灯りが点々と並んでいた。

 それは星空と同じ形だった。

 神はもういない。

 でも、誰もが少しずつ祈りを取り戻していた。

 それで十分だと思った。


 俺は立ち上がり、東の空に向かって歩いた。

 マーヤが後ろで声をかける。

 「どこへ行くんだい?」

 「次の舞台へ」

 「今度は、どんな劇を?」

 「——誰も泣かない劇を」


 風が吹き抜け、朝の光が街を染めた。

 その光の中で、影は薄れ、やがて消えた。

 けれど確かに、歩き出していた。

 祈りの残響を背に。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ