タイトル未定2025/09/08 00:19
ハイキュー!!が大好きです。
宮城県、春高予選の決勝。
「あと一点!あと一点!」
頭に響くような音がこの空間全てを満たしている。自チームにとってこの声がどれだけ力になるかを知っている分、この声は煩わしくて仕方がない。
「大丈夫大丈夫」
息が止まるような緊張感、彼女がぽんと肩を叩いた。爽やかで確かな存在感をでチームを安心させられる彼女がそう言うだけで、こんなに根拠のない「大丈夫」と言う言葉も信じたくなる。
「…大丈夫」
自分で自分に言い聞かせる。そうしている間も、彼女はチームメイトを励ましてまわっている。人間力の違いは見せつけられるたびに新鮮な痛みを私に与えるが、今はそれを言っている暇はない。
今、ここで点数をとったってまだ3点の差がある。それでも逆転できる回数はゼロでは決してない。
ぴーーーっ
笛の音がして、ボールを高く振り上げる。ボールは放物線を描きながら眩しい光の中へ吸い込まれていく。その軌道を辿る刹那、世界から溢れるほどの情報が消え、目の前のボールだけが煌めいて存在を轟かせているようだ。
あっと思う間もなかった。それは永遠のような一瞬で、起こった瞬間忘れられない光景になることが約束づけられた。
ネットに当たったボールが重力に従って地面に落ちる、それをただ目で追っていた。
一泊置いてわっと会場中が揺れるような歓声に包まれる。その熱気に全てを吸い取られるように足がもつれ、そのまま座り込んだ。
ぱんぱんと私の視界の前で手が叩かれる。顔をあげた先、彼女が笑顔でこちらを見ていた。
「大丈夫大丈夫、私もミスあるから。仕方ない!」
他のチームメイトは呆然とするばかりで動けずにいた。
彼女は天才と謳われるような選ばれた人間で、当たり前のように危機的場面で点数をかっさえる主人公性を持ち合わせていた。ミスなどしない癖に人を慰めるたびにミスがあると嘘がつける、彼女の人の良さを初めて邪魔だと思った。
夢、という言葉が自分とは無関係になってからどれほど経っただろう。息苦しいほど一途に夢を目指した高校時代、バレーは結局私のミスで幕を閉じ、一度も全国に手が届いたことはなかった。
本屋に寄りたいという会社の同僚の言葉から、本屋の棚の間をゆっくりと歩いていく。何冊も読むわけではないが新本の並びを辿るのが好きという同僚に合わせて進む。私はさまざまな表紙を眺めたとてなにも感じないが、同僚は「あ、これ面白そう…」「へえ、あの人新作出したんだ」とつぶやく言葉ときらきらとした瞳で楽しさを訴えかけてくる。
あ、バレーボールやってたの?私もバドミントンやっててさ、とか言っても弱小なんだけどね。全国とか、いってみたかったんだけどなぁ。
無邪気に趣味を追いかけているこの人が、悔しさや後悔に息苦しくなったことがあろうなんて想像もつかない。
「あー、なんか本買おっかな」
「そう言って買わないじゃん」
「あはは、なんだかんだ小説とか読んでる暇ないしね」
笑いながら、そっと本の表紙をなぞる。『苦しくても夢をあきらめない方法』暑苦しいタイトルを、同僚は労わるように微笑んだ。
「ま、付き合ってくれてありがと。今日はもう帰ろっか」
手を離した途端ぱっと笑った彼女は、夢をすっぱりとあきらめた人間特有の清々しさで笑った。
家のベッドで横になって、SNSを開く。私の名前とは一切関係のないアカウントをただひとつ私は持っている。
『新咲玲が嫌い』
「大丈夫大丈夫」どんなときでもチームを鼓舞し続けた彼女の声を思い出す。見たくなくても、彼女は朝のニュースにも会社での話題にも出てきて私を縛り付ける。
「え、あの新咲玲と同じチームだったの!?」
「いいなあ、羨ましい!」
「この人が主将って最高すぎでしょ!」
みんな勝手に讃えて、勝手に訝しがってこう言う。
「…なんで、全国一度も行けなかったの?」
その度、自分のせいだなんて言えなくて、チーム全体のせいに相手がしてくれるように笑って誤魔化した。
夢を追いかけ続けた青い日々は、最後の最後にオセロがひっくり返るように毒のような妬みや痛みで染まった。
眩しいほど夢を追いかけて走る人や捨て切れた夢を踏み越えて笑う人を見るたび帰ってきてしまう場所がある。自分が毒を吐いたときの痛みを繰り返してなんとか息をする私は、きっと一番過去に縋り付いている。
『新咲玲 嫌い』検索した途端154件と出てきた数字に笑ってしまう。
辿っても辿っても似たような毒を持つ言葉の中に私のコメントは埋もれてしまっていて、指が疲れるほどスクロールしてからスマホを投げだしてあきらめた。
痛みを誤魔化すように「あーーーー」と声を出す。喉を締め付けるような苦しさが心地よい。
一瞬だけ、ときが止まって欲しい。死にたいわけではなくても息をすることさえ嫌になる、そんな時が私にはある。
有名税は、悪口を言われる有名人にだけかけられている言葉ではない。目が焼かれるほどの眩しさに当てられ悪口を書かずにいられなくなって、その途端、その人は有名人に悪口を言う有象無象の中のひとり成り下がる。
私の痛み全てがのった言葉が154という数字に溺れて見えなくなったような、切り裂かれるように身体を貫いて蠢くこの痛みも有名税の一種だろうかなんて、悪魔が痛みを正当化させようと囁く。その声に少しだけ身を浸していたくて目を瞑った。
新咲玲を、心の底から尊敬し、頼りにしていた。その想いが長く強いほど、妬む自分を蔑むような痛みは尾をひいていつまでも私を睨んでいる。
新咲玲の活躍を誰かと讃えあう度、その足を引っ張ってこんな地獄まで引き摺り下ろしたくてたまらない。
高校時代の痛みくらい、笑って受け流せたらいいのに。それができないから、癒せない痛みと向き合うように、眠れない夜を抱きしめた。