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余生、もう一度  作者: 金雀枝
第2章:芽吹きの輪郭、記録という名の種
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名もなき調合、かすかな評価

クライネル邸の厨房では、いつも香草の匂いがわずかに漂っていた。

料理に使われるハーブのほか、日常の洗い物や手入れに使われる調合品――とくに保湿用の軟膏や水薬の香りが、それに混じっている。

朝食のあと、スミレはマーヤに呼ばれて、応接室へと案内された。

そこは書類と帳面が整然と並んだ空間で、淡い陽がガラス越しに差し込んでいた。


「突然お呼び立てして申し訳ありません、スミレ様。実は……こちらについて、少しお話を」


マーヤがそっと差し出したのは、見覚えのある小瓶だった。

淡い香りを持つ保湿用のクリーム。これは、孤児院で使っていた調合品と同じものだった。


「……この保湿剤、もしかして――」


「はい。以前、スミレ様が孤児院にて記された調合記録をもとに、シスターの方々が実際に作られていた品のひとつです。私がお願いして写し等を持ち帰らせていただいたものなのですが、使用感が非常によく……屋敷内でも自然に広まりまして」


スミレは、少し驚いたように目を見開いた。


「私が書いたのは、レシピと材料の管理票だけです。調合そのものは、全部シスターたちがやってくれていて……。でも、効果があったなら、よかったです」


「それだけではありません。配合の試行や反応の違い、保存経過まで記録されている――これほど実用に堪える記録を、私はあまり見たことがありません」


そう言ってマーヤは、一冊の帳面をスミレに手渡した。

そこには、彼女自身が記した試験結果や素材の特性、調整の変遷などが並んでいた。


「夫人からも、『これほどの精度で管理された記録は珍しい』とのご評価を頂いております。もしよろしければ、この保湿剤を正式に“製品”として流通させる許可を頂ければと存じます」


スミレはしばらく考えたあと、静かに頷いた。


「はい。必要とされているのなら……大丈夫です」


その返答に、マーヤは少しだけ言葉を選ぶようにして続けた。


「ありがとうございます。ですが――スミレ様のお立場や背景を考慮し、当面は“製作者名非公開”という扱いとさせていただければと思います。……万が一、思わぬ方面から注目が集まった場合の対策として」


スミレはその意図をすぐには読み取れなかったようで、けれど反論することもなく頷いた。


「……わかりました。そのほうが良いのなら」


応接室を出ると、廊下の先でリタがこちらに手を振った。


「お疲れさま。マーヤと何を話してたの?」


「えっと。保湿剤のこと……ちょっと、話すことになって」


「もしかして、商品として流通させたいとかかしら? もしそうならスミレって、すごい人だと思う」


「すごくはないよ。ただ、こういうことは……慣れてるだけ」


スミレが手元に持っていた帳面をリタがちらりと覗き込む。

整った字で記された素材名、抽出温度、肌質ごとの差異、保存の条件――びっしりと並んでいた。


「……これ、自分で書いたの?」


「うん。あとで見返すために、ってだけ。正確な記録がないと、うまく改良できないから」


「それ、普通の人には“ちゃんとできる人”っていうんだよ……?」


スミレは少しだけ困ったように、けれど穏やかな笑みを浮かべた。


「……そうなんだ?」


その何気ない返しが、リタには妙に嬉しかった。

この人は、自分がどう見られているかを、まだ知らない。

だからこそ――もっともっと、そばで見ていたいと思った。

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