欲しいと願う理由
翌朝。冬の陽射しが、石造りの窓から静かに差し込んでいた。
朝食後のひととき、スミレは食器を片づけながら、ふと誰かの視線を感じて振り返った。
そこにいたのは、リタだった。昨日と同じ笑顔――けれど、目の奥にほんの少しだけ、違う色があった。
「ねえスミレ、今日の午後って、少しだけ時間ある?」
「……はい」
「ちょっとだけ、続きを話したいの。昨日の……あの“友達”の話」
***
昼下がり、ふたりは中庭の木陰のベンチに並んでいた。
職員室の奥では、クライネル侯爵夫妻が院長と話し込んでいる。
その喧噪から少し離れた場所に、静かな時間が流れていた。
「……わたしね、あなたのことがうらやましいって思ったの」
リタは、小さな声でぽつりと言った。
「ちゃんと自分のやれることをやって、それが誰かのためになってて……それだけなのに、すごく芯がある。そんなふうに見えたの」
「……そんな、立派なものじゃ」
「うん、きっとそうなんだろうなって思う。だけど、わたしには……ないから」
スミレはリタをじっと見つめた。
彼女の言葉には、飾り気がなかった。明るく笑うのが得意な少女が、今はまっすぐに迷いを吐き出している。
「あなたと話してるとね、自分が“ふわふわしてる”ってわかるの。芯が欲しいって思うのに、どうしても持てないの」
「……だから、友達になりたかった?」
「うん。憧れ半分、負けたくない気持ち半分。……でも、もうひとつ、たぶんいちばん本音の理由があるの」
スミレがそっと問いかける。
「……なんですか?」
リタは、少しだけ視線を落としたあと、ふっと顔を上げた。
「“あなたに近づく誰か”に、なんとなくもやもやしてしまうっていう、それだけのこと」
「……誰か?」
「わかんない。名前があるわけじゃない。でも……ユウトがあの時、すごく自然にあなたの隣にいたの、ちょっとだけ気になった」
スミレは目を伏せる。
「……ただの、年上の人です」
「うん、そうなのかもしれない。でも……もし、わたしが遅れてたらって思ったら――ちょっとだけ、焦ったの」
「だから、ちゃんと伝えておきたかった。“あなたが欲しい”って」
その言葉は、穏やかな声で紡がれたのに、なぜかスミレの胸の奥を深く揺らした。
***
一方その頃、ユウトは厨房裏の井戸で水を汲んでいた。
ポンプを押すたび、金属の軋む音が響く。
(昨日のリタ……なんか、見たことない顔してたな)
リタとは長い付き合いだ。
いつも軽口を叩き合ってるけど、昨日の彼女は、なんというか――“本気の目”だった。
それが、自分じゃなくてスミレに向けられていたことに気づいたとき、
胸の奥に、何とも言えないもやもやが残っていた。
「……なんだろな、この感じ」
思っても、言葉にならなかった。
自分が気にする必要はないはずだった。
けれど――その「はず」が、ぐらりと揺れていた。
子どもたちの笑い声が遠くから聞こえる。
ユウトは汲み上げたバケツを持って、何も言わずに歩き出した。
その背中にある気持ちが、まだ“名前”を持つには――もう少し時間が必要だった。