初めてのまなざし
その日は、冬にしては少しだけ暖かかった。
中庭の落ち葉を掃いていると、いつもとは違う馬車の音が近づいてくる。
音の質が軽い。車輪がよく手入れされていて、布張りの車体が風を吸っていた。
(……誰か、偉い人)
スミレは音だけでそう判断した。
門が開き、馬車から降りてきたのは、上品な衣装の男女――そして、彼らのあとからふわりと降り立った少女がひとり。
金髪を結い上げ、明るい色のドレスに身を包んだ少女は、まるで光を引き連れてきたようだった。
「やあやあ、お嬢さまのご登場ですか。今日も眩しいですねぇ」
真っ先に声をかけたのは、やはりユウトだった。
さっそく軽口を飛ばして、まるで舞台の幕が上がったかのように、空気が華やぐ。
「軽い。今日も軽い。落ち葉より軽い」
「風流だろ? 俺のジョークは季節を感じさせるんだぜ」
「ただの寒さじゃなくて? 風邪、引くわよ」
「お、辛辣~。だがそれも愛と受け止めよう!」
スミレはその掛け合いを、掃き掃除の手を止めずに聞いていた。
けれど、次の瞬間、少女――リタの視線が自分に向けられたことに気づく。
「……あら。あなたが“スミレちゃん”?」
少しだけ間を置いて、スミレは頷いた。
「……そうです」
「はじめまして。私はリタ・クライネル。ここの孤児院には、昔からちょくちょく来てたの」
そう言って、リタは一歩、距離を詰める。
「この前、お母さまが使ってたの。“例の保湿剤”。……すごく良かったって。
あなたが書いたって聞いて、会ってみたかったの」
スミレは驚きも戸惑いも表に出さなかったが――指がほんの少しだけ止まった。
「ありがとう。……それだけ言いたくて」
リタの笑顔は、まっすぐだった。
誰かに気を使っているでもなく、飾っている様子もない。
ただ、“伝えたい”という意志だけが、そこにあった。
「……私に、ですか?」
「もちろん。本人に言わなきゃ意味ないでしょ?」
スミレは、掃いていた落ち葉をひとまとめにしてから、ようやく小さく言った。
「……どういたしまして」
***
昼過ぎ、職員と話す両親を残して、リタは中庭のベンチにいた。
その隣に、なぜかスミレも座っていた。リタが「話そうよ」と手を引いたのだ。
「ねぇ、ここって静かでいいわね。都会より好きかも」
「……そうですか」
「うん。人が多いと、空気が混ざっちゃう感じがするの。
でもここだと……“その人”の声がちゃんと届く気がするのよね」
スミレは少しだけリタを見る。
話し方は明るい。でも、言葉を選んでいるのが分かる。
軽やかなようでいて、実は周囲をよく見ているタイプ――そんな印象。
「……あなた、すごいわね」
唐突に言われて、スミレは小さく瞬きをした。
「私は、何も作れない。言われたことをするだけで、いっぱいいっぱい。
でもあなたは、自分で考えて、手を動かして、形にして、誰かを助けた。……すごいと思う」
「……そんな、大したことじゃ」
「それ、“言われ慣れてない”人の反応よ」
「……そうなの?」
リタはくすっと笑った。
「ごめんなさい。でも、私はそういう人の方が好きなの」
沈黙。けれど、気まずさはなかった。
落ち葉がひとひら、ふたりの間を通り抜けていく。
「ねえ、スミレ」
リタがそっと言った。
「もしよかったら、“友達”になってくれない?」
スミレは、はっと息を呑んだ。
その言葉は――想定外だった。
“取引”でも、“協力者”でもない。ただの、“友達”。
「……どうして」
「だって、気になるから。もっと話したいし、一緒に笑ってみたいし……」
リタはまっすぐに言った。
「それって、友達になりたいってことじゃない?」
スミレは、視線を落としたまま、小さく呟いた。
「……なったこと、ないから……わかりません」
「じゃあ、なってみようよ。そこから、教え合えばいいじゃない」
その声は、冬の空気よりもずっとあたたかかった。