ひび割れに寄せる記憶
午後、スミレは図書室の奥にいた。
棚に並ぶ薬草や調合に関する古文書に指を滑らせ、手元のノートに静かに記録を取っている。
(……この成分構成、ルワリ樹脂の代用になるかもしれない)
植物の性質や抽出法。冷帯地域に見られる乾燥対策。保存処理に使える天然の乳化剤――
頭の中に、断片的だった知識が、今は滑らかに繋がっていく。
スミレ自身も驚いていた。
覚えようとしたわけでも、意識して調べていたわけでもない。
ただ、“必要だ”と感じた瞬間、頭の中に浮かぶのだ。化学的な分類も、応用方法も、何年も研鑽を積んだかのような確信を伴って。
(たぶん……これが、“加護”)
記憶ではなく、知識が浮かぶ。
戻ってきたというより、“起動した”ような感覚。
それは彼女にとって、自分が“まだ生きている”という証にも思えた。
***
厨房で使える素材を中心に選びながら、スミレは調合法の下書きをまとめていく。
――ルワリ樹脂
――シェラミ草の根
――ロトの実
似たような性質を持つ代替素材も同時に書き出しておく。
裏庭にあるもので再現可能な配合比率。熱処理の時間。保存期間の目安。
知識が頭に浮かぶたび、それを書き残していった。
誰に頼まれたわけでもない。ただ――
(厨房のシスター……あのひび割れ、痛そうだった)
その記憶が、動機のすべてだった。
***
その夜、スミレは小さな紙片をシスター・ラーナに手渡した。
「……これ、手のひび割れに効くかも」
「え?」
「全部、裏庭にある材料で作れる。香料なし。火にかけて混ぜるだけで……たぶん、うまくいくと思う」
ラーナは戸惑いながらも紙を受け取り、じっと内容を読み込んだ。
「これ、スミレちゃんが?」
「……うん。前に、似たようなものを見た記憶があって」
曖昧な返事。けれど、ラーナはそれ以上追及しなかった。
「ありがとう。……本当に、助かるわ」
その声が、スミレの胸にじんわりと残った。
***
深夜。スミレは自室で、手帳に書き加えていた。
〈塗布後の乾燥軽減あり〉
〈使用感:刺激なし。3〜4時間持続〉
〈保湿剤としての基礎調合、仮成功〉
誰かに褒められたかったわけではない。
でも――書いておきたかった。証として。
この力が、本当に“ある”のだと、自分自身に言い聞かせるように。