巡る縁、ふたりの来訪者
その日、孤児院にふたりの来客が現れた。
門の向こうから聞こえてくる甲冑の音は、いつもの配達員のものとは違っていた。
中庭でほうきを持っていたスミレは、ふと顔を上げる。
陽を受けて光る銀の装束。その後ろに続く落ち着いた足取りの長衣姿――。
覚えがあった。あのとき、自分を連れ出したふたりだ。
(……騎士の人と、神殿の人)
名を思い出せるほどの親しさはまだない。けれど、拒絶もしなかった。
むしろ、ふたりの姿はスミレにとって数少ない“無理に踏み込まない存在”だった。
***
「ガゼルさん!」
門を抜けた瞬間に、ひとりの少年が駆け寄った。
スミレにも馴染みのある背中――ユウト。孤児院の年長組。
普段は茶化し役の彼が、今はどこか緊張気味な声で話しかけていた。
「来てくれるって聞いてましたけど、本当に……。今日、あの体術の構え、見てもらってもいいですか?」
「見せてもらおう。前より身体の使い方、よくなってるか確認したかった」
「ありがとうございます!」
スミレは廊下の影から、その様子をそっと眺める。
ユウトは、普段からガゼルに強く憧れていた。
軽口と自信家ぶった態度の裏に、真っ直ぐな目標を持っていることは――もう何となく分かっていた。
一方、もう一人の来客――エリオットは、いつものように静かだった。
神殿服に身を包み、足音ひとつ立てずにスミレの近くに立つ。
「……こんにちは、スミレさん」
スミレは小さく頭を下げる。それだけだった。
「お元気そうで、安心しました。今日は孤児院との定期報告があって、少し立ち寄らせてもらいました」
声は変わらず穏やかで、気を張る必要がなかった。
言葉の数が少なくても、それを咎めない相手。それが、エリオットという人だった。
***
「構え、入ります!」
ユウトの掛け声が中庭に響く。
ガゼルは黙って頷くと、腕を組んでじっと見守っていた。
スミレはその様子を物陰から見ていた。
ただの訓練のはずなのに、そこには妙な緊張感が漂っていた。
(張り合ってる……のかな)
ガゼルに向けるまなざしは、ただの尊敬ではない。
追いつきたいという焦燥、追い抜きたいという欲――スミレは、どこか自分にはなかった種類の“熱”を感じていた。
「……だいぶ良くなったな。力みが取れてきた」
「マジですか!?」
「ただ、左足に体重が偏ってる。踏み込み時に癖が出る」
「っ……はい、直します!」
ユウトは汗を拭いながら笑っていた。悔しさと嬉しさの混じった顔。
スミレは、そっと自分の両手を見下ろした。
(ああいうふうに、自分を“認めてもらいたい”って……)
言葉にするのは難しかった。
でも確かに、胸の奥がすこし――わずかに、熱を持っていた。
***
夕暮れが近づく中、エリオットは書類を職員に手渡しながら、スミレに声をかけた。
「ところで、何か困っていることはありませんか?」
「……特には。雑務にも慣れました」
「それは何よりです」
彼はそれ以上詮索しない。けれど、静かに観察する。
その視線が心地よいとは思わないが、不快でもなかった。
(……見られている、のは分かる)
それでも、自分の中で何が起きているのか――まだうまく説明はできなかった。
***
その日の夜、スミレはノートを開いた。
何を書くでもない。けれど、指先が動いて、何かをまとめようとしていた。
気温、洗い物の頻度、水の硬さ、職員の手荒れ――
ふと、自分が書きかけた言葉に目を留める。
“乾燥対策”――
それは、どこか見覚えのある単語。けれど、確かな記憶とは結びつかない。
ページの隅に残したそのメモは、やがてひとつの“きっかけ”になるのだった。