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後編

 九月に突入し、大学の夏休みも残りわずかとなった。

 将司や警察からの連絡はまだないが、この夢のような生活に終わりが刻一刻と近づいているという事実からは逃れられない。

 夢の終末から逃げるために、新多と透琉は、隣県まで足を運んで一泊二日の温泉旅行をしてみたり、湾岸沿いを新多の運転でドライブしてみたり。外でアクティブに活動した後は、一日中ベッドの上で過ごして怠惰を極める。そんな今しかできない時間の使い方を、これでもかというほど堪能していた。


 遠出ばかりしていたので、今回は約束していた近場の美術館を訪れた。

 都心にあるそこは、建物の周りに小川が流れていたり噴水があったりと、清涼感のある夏にぴったりな場所だった。

 透琉は、帆布トートに紺色のポロシャツと白いパンツ。高校の夏服とほぼ同じコーディネートだと新多に笑われたが、楽なので気に入っている。

 一方、新多は落ち着いたターコイズブルーにダメージ加工が施されたとろみのある柄シャツと黒いスキニー。髪はハーフアップにして結んでいる。美術館だからと高校時代に履いていたローファーを合わせたようだが、それがかえってホストのような雰囲気を際立たせていた

 友人、ましてや恋人とは思えないほど、ちぐはぐなコンビの完成である。

 襟付きのシャツの方が良いとアドバイスしたのは自分であったが、下手をしたら展示物より目立っているような――。

 顔が良すぎるせいか? と透琉は首を傾げた。

 これは恋人贔屓ではなく、事実である。

「さすが猛暑日。想像以上に閑散としてるわ。でも冷房ガンガンで最高」

「そうだね!」

 他の来場者も暑さのためか、透琉たちとさほど変わらぬ格好をしていて一安心。やはり注目を集めていたのは、服装ではなく新多自身だったようだ。


 美術館の敷地内にある一軒家のような外観のレストランは、予約をせずとも本格的なフレンチを楽しめる人気店で、焼きたてパンはバイキング形式になっていた。

 透琉は、相変わらず良く食べていたし、パン好きの新多も一人で七個もパンを食べた。

 大変満足したと膨れた腹を撫でる。

「レストランにも絵が飾ってあるとは、さすが美術館。入口の右側にいた猫の絵可愛かったな」

「猫? あれライオンじゃないの?」

「ありゃ猫だろ。ああ~なるほど。透琉画伯はライオンのような威厳や迫力を感じたってわけですねぇ」

「もお~! また意地悪言う! キュピズム的な絵画がある度に僕の方じっと見てるの、わかってるからね⁉」

「わっはは、うっかり」

「うっかりじゃないよ、まったく。悪いと思ってるならちゃんと最後まで付き合ってよね」

「わかってるって。これから鏡見るんだから、そんな頬っぺた膨らませてないで、にっこりにっこり~」

「……誰のせいで」

 一日で回るには広大な敷地だが、透琉は最後にどうしても見たい展示があった。

 ミラードームという、部屋が全面鏡張りになった、客を入れて成り立つ演出を含めたアートだ。

 透琉がここに行きたいと告げた時、新多はなぜか微妙そうな顔をしていたが、透琉の熱心な説得に負けて、最終的には頷いてくれた。


 足を踏み入れたそこは、二十畳ほどの空間がすべて鏡になっている。

 ミラードームは美術館の敷地の一角に建てられているが、他の施設とは少し離れている。炎天下の中わざわざ屋外に出る物好きは中々いないようで、貸し切りだった。

 カツン――カツン――と自分達の足音が響くミラードームに、おっかなびっくりな新多だったが、凄いとはしゃぐ透琉を見て安心したらしい。

 四方八方に映る自分たちが面白く、互いの写真を撮り合っていると、新多がピタッと動きを止めた。

「やべぇ、チョビひ――……上司から電話来た」

「いいよ。僕ここで待ってるね」

 部屋を出る新多を見送ると、透琉は鏡に映った自分と向き合う。

 あと少しで元の生活に戻る。

 新多と過ごした日々は、楽しくて、嬉しくて、この時間が一生続けばいいのにと本気で思った。

 ふとした瞬間に、寿美子にはこういった時間がなかったのだろうかと想像するのだ。

 見合い結婚した夫からは無視同然の扱いを受け、従順だった息子は反抗期。心の拠り所がないのかもしれない。

 祖父は、実の娘どころか孫でさえも使える道具として見ている節がある。今思えば、透琉の見合いも祖父母の指示だったのだろう。

 だからといって、気持ちを蔑ろにされ続けて来たことを簡単には許せないし、和解したいとは既に思えない段階まで来てしまっている。

 新多という心の支えを得た今だからこそ、冷静に現実と向き合うことができそうなのだ。

 今の寿美子に必要なのは、歪な形だけの家族ではなく、第三者を介した治療だ。

 将司も寿美子の言動の不可解さにはとっくに気付いているはず。入院が長引いているのも、おそらく外傷的な問題だけではない。精神的な治療が継続的に必要になったとしても、今まで通り金銭的な面でのサポートくらいはしてくれるはずだ。

「透琉!」

 これから先のことを考えているところに、新多が血相を変えて戻って来た。そして転びそうな勢いで透琉の手を引く。

「ど、どうしたの⁉」

「えっ、ああ、仕事が……そう、仕事! 急なやつが入ったから、悪いけど、今すぐここを離れ――」

 一つしかない出入り口に人影が見える。

 そこにいたのは、病院を抜け出して来た入院着姿の寿美子だった。


「私の息子から離れなさい!」

 一体どれほど叫んで暴れたのか。

 鈴のような美しい声から一転して酒に焼かれたようなしゃがれた声に、透琉は、目の前にいるのは本当に自分の母なのかと疑った。

 顔を合わせていなかったのは、約一ヶ月ほどだ。血走った眼に艶が失われたボサボサの髪。寿美子は老婆のようにすっかり窶れてしまっていた。

「返して……返して……」

 壊れたラジオのように同じことを繰り返す寿美子は、ひたひたと近寄って来る。

 新多は透琉抱きしめて寿美子から隠す。

 得体の知らない男が息子を誑かしている――。

 寿美子の怒りや不安は、新多に向かった。

「私の透琉さんを返してえええ!」

「止まれ!」

 般若のような顔をした寿美子を制したのは、透琉だった。

「ト、マレ……? 母に、向かって、止まれと言ったの?」

「そうです。これ以上近づかないでください。新多君に何かしたら、僕はあなたを一生許せなくなる」

「どうして……? 私を閉じ込めて、透琉さんを誘拐した人間の味方をするの?」

「あれは竜巻のせいで、新多君のせいではありませんし、自分の意志で彼を頼ったんです!」

「違うわ! ようやく分かったの……。そうよ、去年、あなたを見かけたことがある。髭面の怪しい男と家の周りをうろついていた。透琉さんを私から奪うつもりだったんでしょう! こいつのせいで透琉さんがおかしくなってるのよおおおお!」

「母さん!」

 身を乗り出す透琉を新多は強く抱きとめる。

「離してよ新多君! 母さんがっ、母さんが君に酷いこと言った……っ!」

「俺は大丈夫だから、落ち着け透琉!」

 鏡がミシミシと鳴る。

 繊細なアートのため、室内ではお静かにと注意書きが出ているほどだ。寿美子が暴れたら鏡が割れてしまうかもしれない。

 しかし寿美子はお構いなしに自分の主張を続ける。

「さあ帰るわよ、透琉さん! そんな男より母の元にいた方が幸せになれますから!」

 時間が解決してくれるのを期待していたが、その希望は断たれた。

 無気力感に襲われて、血の気が引いていく。

「母さんは、僕の好きなものを知ってますか……?」

「……何を言ってるの?」

「僕は和食よりも洋食の方が好きだし、本当は、理数系よりも文系に進みたかった。色も青より白が、真っ白が大好き」

 透琉は目を細めて新多の頬を撫でる。

 新多は瞳を大きく揺らした。

「ゲームは下手だったけど、料理は得意みたい。海岸沿いをドライブするのも、公園でぼんやり日向ぼっこをするのも好き。それを知れたのは、全部、新多君のおかげなんです」

「透琉……」

 新多の手から力が抜けた。

 透琉は、涙で顔をぐちゃぐちゃにした寿美子と向かい合う。

 あれほど恐れていた光景を前にしても、心は凪いでいる。もう何もできない自分ではない。好きなことはたくさんあるし、何よりも大事な人がいる。

 この主張は、人に何かを押し付けるものではなく、決意の表明だ。

「母さんが理想とする華々しい人生よりも、僕は新多君と一緒にご飯を食べて美味しいねって笑い合える、そんな日常を積み重ねた人生の方が魅力的に思える。だから、そうする」

「そ、それは今だけよ。あとで私の言うことが正しかったと思うはず! 失敗してからじゃ遅いの!」

「失敗したっていい。思い出は残るし、失敗しても新多は笑い飛ばしてくれる、よね?」

「ああ……。俺は、ずっと透琉を見守ってるよ……」

 新多は泣きそうな顔で頷いた。

「ありがとう!」

 透琉が新多の胸の中に飛び込むと、寿美子は言葉にならない金切り声を上げ、懐からカッターを取り出した。

「えっ?」

 想定外の行動に体が強張る。

 そして次の瞬間「透琉!」と名前を呼ばれ、物凄い力で後ろに投げ飛ばされた。


 カッシャ――ンとカッターが床に落ちる。

 そして、ぼたぼた――と鮮血が散らばった。

「新多君! いやだ……どうしよう! 血が……きゅ、救急車!」

 新多が腕を切ったのだ。

「かすっただけ、ヘーキヘーキ! 実はさっきお前の母ちゃんが病院を抜け出したって情報が入って、警察呼んでるんだわ。だから心配すんな」

「で、でも……」

 こちらの事情などお構いなしの寿美子は「嫌あああ!」と嘆き、物凄い力で暴れる。

 言葉も通じず獣のようになった母親を見ていられない。

 透琉は必死で抵抗した。

「やめて、もうやめてよ! 母さん!」

 二人掛かりで拘束するも、寿美子は言うことを聞かない。

 床がパリン、パリンと割れ始めた。

 カッターにさえ怯まなかった新多は、割れた鏡の破片を見て狼狽える。

 次の瞬間「確保!」という男の声がして、ぞろぞろと人が雪崩れ込んで来た。


 新多に抱えられた透琉は、寿美子から引きはがされる。

 バチンっと電流が走る音がして、ミラードームは静寂に包まれた。

 寿美子はプツンと糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。出血はしていないので、ただ気絶しているだけのようだ。

 新多は透琉を抱きかかえたまま、スーツ姿の御門に懇願する。

「撃つな! 透琉は何もしていない!」

「数値が跳ね上がっている。今ここで保護しなければ、もっと大勢を巻き込んだ事故を起こす可能性もある」

「母親と決別した! もう問題は取り除かれた!」

「この床のヒビを見ても、そう言えるのか?」

 温度のない声色が恐ろしくて、透琉はぶるっと身震いした。

 どうして新多は、透琉を撃つなと言っているのだ。この人たちは一体誰なのか。どんな関係があるのだろうか。

 二人が自分のことで揉めているということ以外、何一つピンとこない。

「新多君……。どういうこと? この方は、たしかうちの回りで起きた竜巻の調査していた人だよね?」

「そ、それは……」

 海外のレスキュー隊のような格好をした人たちは、困惑する透琉の横を通り抜けて寿美子を担架に乗せ、建物外へと運び出す。

「こんにちは、土岐透琉さん。私はそこにいる新多の養父である御門隆一。残念ながら、竜巻の調査員ではない」

「みかど……」

 養子だと言っていたので、親子で苗字が違うこともあり得るのかもしれないが、さきほどから新多と視線が一度も合わない。

 新多は唇を嚙んで震えている。

「警察と救急車だけ呼んでくれって言ったのに……。なんで局長(あんた)まで来るんだよ……」

「我々も警察のようなものだろう」

 その言葉に新多はガクッと首を折ってうな垂れる。

 御門は、新多を支える透琉に、透琉が現在置かれている状況を詳しく説明した。



「特殊能力保護協会……それから超能力者がいる、ということは理解しました。ですが僕には、超能力なんて……」

 口では否定しているが、新多が「エスパーだからだったりして……」と言い出した時から薄っすら勘付いていた。

 塾の窓。ボコボコに凹んだペットボトル。高校のトイレの鏡。実家の窓――。

 そして、成人女性が暴れただけにしては大袈裟なほどの無数の亀裂が入ったミラードーム。

 思い当たる節が多すぎる。

 気づかないふりをして無視していたのは、新多がなんとなくそう望んでいた気がしたからだ。

 このミラードームにも行きたくなかったわけではなく、万が一の可能性を考慮し、自分を連れて行きたくなかったのだ。

 時折はっきりしない態度の新多に抱いていた違和感が氷解する。

「心の底では、君は自分の力の存在に気づいていたはずだ。そうだろう?」

「……はい」

 目を丸くした新多は、口を開いたが何も言わずにまた俯いた。

「ご安心を。我々は国家機関なので、衣食住は生涯補償されているし、能力が消えたあとも内勤として働くこともできる。アフターサービスもばっちり~。訓練すれば、能力も手足を動かすように使えるようになるし、副反応の眩暈も軽減するだろうね」

「拒否権は……」

「残念ながら」

「そう……ですか……」

 急な展開に頭が追い付かない。冷たい汗で背中がびっしょり濡れている。

 おそらく今は、自身に能力があることに恐怖を抱いているわけではない。

 ずっと黙り込んでいる新多の反応が恐ろしいのだ。

「あ、新多君……」

 助けを求める声に聞こえたのか、ハッとした新多はその場で土下座した。

「わわっ、えッ⁉ 新多君⁉」

「透琉は見逃してやってくれ! 俺は死ぬまで働く! この先親父の言うことを何だって聞く! だから、やっと自由を見つけた透琉だけは、どうか……」

「……はあ、駄目だ」

 懇願する新多に、御門は容赦のない言葉をかけた。

「親父!」

「局長命令だ。これでも譲歩した方だと思うがね? お前の中途半端な態度が土岐透琉の能力を閉じるどころか開花させた。その事実を受け止めるべきだ」

「だけどまだ完全に開花したわけではないだろ!」

「少々私情をはさみすぎじゃないのか? ハニートラップを仕掛けておいて、ミイラ取りがミイラになるとは情けないなぁ、御門新多(みかどあらた)捜査員」

 目の前が真っ暗になった。


 ()()新多と呼ばれた恋人は、こちらを見て青ざめている。

 制服で夏空を見上げた日も、透琉の一番がいいと言った言葉も、隠れるように狭いベッドでくっついて寝た日々も、すべてまやかしだったというのか――。

 喉がひゅうひゅうと鳴って、息が詰まった。

「御門……新多……」

「透琉、俺は……俺は……!」

「君の隣にいると、僕はありのままの自分でいられたけど、君はずっと偽りの岡崎新多を演じていて苦しかったの……?」

「違う! 違うんだ、透琉! 話を……」

 伸びてきた手から思わず逃げると、新多の方が傷ついた顔をした。

「ずるいよ、僕はもうとっくに君を嫌いになんてなれないのにっ!」

 新多のことを信じたい。

 だけど、寿美子や自身の能力のこと、非現実的なことが起こり過ぎて感情が追い付いてこない。

 透琉は、新多と御門から逃げるように後退り顔を覆う。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

「話しを聞いてくれ! 透琉!」

「本当はずっと前からわかってた……。自分の周りでおかしな事故が多発してることも、父に見放され、母に愛されているわけじゃないことも。岡崎新多が……君が僕に何か隠し事をしていることも」

「待ってくれ、透琉……俺は……」

「もう自分が生まれてきた意味がわからない……」

 透琉が部屋の最奥までたどり着くと、背中と触れた面が派手に砕け散った。そして壁にぽっかり穴が開いて、外の熱気が部屋にどっと流れ込んでくる。

 室内は半壊状態だ。射しこんで来た太陽光が割れて散らばった鏡に吸い込まれて乱反射している。

「総員撤退! 建物の裏手に回れ! 対象を保護しろ!」

 御門は部下に大声で呼び掛ける。

 天井から大きな鏡がガラガラと落ちて、新多と透琉は分断された。

「透琉!」

「新多、状況を良く見ろ!」

「うるせぇ! 離せよ! 透琉が!」

 新多は抵抗するが、それ以上の力で御門に引きずられていく。

 元より逃げるつもりのなかった透琉は、新多と御門が部屋から出たのを見届けて、部屋の中心部へと進み始めた。

 落下してくる鏡で顔や腕が切れてもお構いなしだ。

 今まで抑え込んでいた力が全身に行き渡り、指先をほんの少し動かすだけでパリンッパリンッと鏡を破壊していく。

「バケモノみたいだ……。こんなんじゃ、愛されるわけないか……」

 奇しくも透琉はたった今、力の解放の仕方を本能的に理解してしまった。

 自分に関わったせいで、母も父もおかしくなって、新多は苦しんだ。

 誰にも、お前のせいで不幸になった、と責められているわけではないのに、辛くて、哀しくて、寂しくて、自分を罰せずにはいられないのだ。

 だが死にたいわけではなく、この瞬間から、消えてしまいたい――ただそれだけ。

 その結果自身がどうなるかを考えられるほど、透琉には余裕がなかった。

 負の感情に飲み込まれた透琉は、自身の胸倉をわし掴み、大粒の涙を流す。

「今まで、付き合わせてごめんね……新多君……」

 建物が崩れる音に透琉の声はかき消され、聞こえるはずがない。

 それなのに、新多とバチンと視線がぶつかった。

 透琉は、さよならの代わりににっこりと微笑んだ。

 それを合図に残りの鏡も一気に割れて、足元も崩壊し始めた。

 ドンっと地鳴りがして、真っ暗な宙に放り出された。

 御門を振り切ってこちらに飛び込んで来る新多の姿は、自分の願望だったのか――。

 透琉の視界は闇に飲まれていった。

 



 全国各地にある特殊能力保護協会が保有するセーフハウス。

 新多の自宅も実はその一つで、今いる場所もどこにでもある普通のマンションの一室のようだった。

 御門やトクノウのメンバーに連れて来られた場所は、必要最低限の家具しかない。

 カーテンを閉め切ったその部屋で、透琉は御門から組織や能力のことについて丁寧な説明を受けた。


 白いベッドと背もたれのない丸椅子が一脚。

 透琉がミラードームを破壊してから丸一日が経過した。

 首と腕に包帯を巻いた透琉は、同じく傷だらけになった新多の手を握り、目覚めるのを待っている。

 カーテンの隙間から西日が射しこんで、新多の顔にかかった。

「とお……る……」

「いるよ、ここにいる! 新多君! 新多君……っ!」

 透琉を探しているのか、彷徨うもう片方の手も取り、何度も名前を呼ぶと、新多はゆっくりと瞼を上げた。

「……透琉? 透琉!」

 腹筋を使って勢いよく起き上がった新多は、傷口が痛んだのか眉間に皺を寄せた。

 透琉は新多を落ち着かせるためにやんわりと抱きとめる。

「無理しないで。怪我させてごめんね……」

「違うんだ、謝んなきゃいけないのは、俺の方」

「それでも新多君やトクノウの皆さん、自分の母親まで、大勢を巻き込んで死なせてしまうところだったことには変わりないから……。本当に、ほんと、に、ごめんなさい……。新多君が生きてて、生きていてくれて、よか、た……」

 わんわんと泣く透琉を強く抱きしめて、新多もはらはらと涙を流した。

「全部、俺が悪いんだ。ずっと、お前を騙してた……。嫌われて、当然のことをしたんだから」

「最初はそうだったかもしれないけど、僕の将来を守ろうとしてくれていたんだよね?」

 透琉は見逃してくれと土下座までして懇願してくれたのだ。あの時の新多は、今まで見たことのないくらい鬼気迫る表情だった。

 その姿に偽りなど微塵もないということは、冷静になればすぐにわかったはずなのに、様々な事情が重なり合った結果、負の感情に支配されてしまった。

「新多君の能力のこと、御門局長……君のお父さんから聞いたよ。出会ってから今日まで、僕が能力に気づかないように無意識に割ってしまったものを、新多君が能力を使ってこっそり直してくれてたって」

「でも透琉は察してたわけだろ……。意味ねぇじゃん」

「そんなことない! 新多君のおかげで、母の操り人形でも、超能力者でもない、ただの土岐透琉を生きることができた」

 それは透琉の人生において、一年と数ヶ月のボーナスステージのようなものだった。

 自分で選んだ未来を夢見て、期待に胸を膨らませた時間は、決して無駄ではなかった。

「ガラスドームも、一瞬で何事もなかったかのように直してくれたって、目を覚ましてすぐに教えてもらった。かなり無理させてしまったね……」

 透琉は、さらに色素が抜けて白から銀色へと変色した新多の髪に指を通すと、両頬を包んで視線を合わせる。

 新多は叱られた子どものように顔を涙でぐしゃぐしゃにしていた。

「それでも、俺のこと許すなよ……。お前の気持ちを利用して巻き込んだ挙句、未来まで奪ったんだ。本当はもっと早く能力を減退させていれば、俺がもっとお前と一緒にいたいって欲を出さなければ、今頃もっと自由な明日を手にしていたはずなのに……」

「許すも何も、謝るのは僕の方だ」

 自分が悪いといって両者譲らない。

「だからお人好しのレベル超えてんだって……。母親に利用されて、今度は国に利用されるつもりか⁉ 監視が付いていても関係ねえ。今からでも俺がお前を逃がしてやる」

 すっかりネガティブになってしまった新多は、変な方向に使命感を燃やしている。

 透琉は、割れた鏡の波から新多に庇われたので軽傷で済んだ。セーフハウスに運ばれたが早々に目覚め、御門から直接事の顛末を教えられている。

 つまり新多が目覚めるまで、心の整理をする時間があったのだ。

 一方新多は、目覚めたばかりの興奮冷めやらぬ状態。混乱していたとはずの恋人から、心機一転して謝罪されても混乱するだろう。

 新多でなくとも、目の前で恋人が己の人生に幕を下ろそうとしていたら、恐ろしくて堪らなくもなる。

 透琉は、赤子を寝かしつけるように新多の背中をトントンと優しく叩く。

「僕は、僕の意志でここにいる。むしろ国を利用して、冷え切った名ばかりの家族から離れられて、新多君と一緒に生きていけるんだ。ありがたい話だよ」

「俺と……」

「うん。僕を好きだって言ってくれたことも嘘で、金輪際僕の顔なんて見たくないって言うなら、別の案を考えるけど」

「好きだよ、本当に好きだ! これは嘘じゃない! 俺は透琉の笑ってる顔をもっと見ていたい。二人でしわしわのジジイになって、寿命を全うして逝くまで……。死んでも、生まれ変わっても、お前の隣にいたい」

 赤くなった目尻に鼻先と頬、それから唇。

 出会った頃の余裕たっぷりな姿は見る影もない。

 けれども、愛おしさで心が華やぐ。

 透琉は、ふはっと吹き出した。

「熱烈なプロポーズだなぁ。僕は破壊する能力みたいだけど、それでもいいの? 新多君に負担ばかりかけるかもしれないよ……」

「んなの割れ蓋に閉じ蓋じゃねぇの……? こんな相性いいやつ、俺しかいないだろ?」

「ええ~ここでいきなりポジティブになるんだ。あっはっは!」

 あまりにも透琉が笑い転げるため、新多はさらに顔を真っ赤にして圧し掛かって来た。

「僕はもう大丈夫。これで逃げ続ける人生は終わりにする。新しい自分に生まれ変わって、君と生きていくよ」

 これまで破壊していたのは、透明な板状のものと鏡。

 窮屈な人生から逃れたい一心だと思っていたが、それだけではない。

 一人で食事をするためだけのリビングの大窓には、家族にさえ愛されなかった憐れな未練がましい幼い子ども。

 暗くなった夜の塾の窓には、将来を見据えて努力する同級生の中に迷い込んだ透明で空っぽな人形。

 学校の鏡には、別れを想定して誰かと深い仲になることを避けていた保身の塊。

 己が映る物を無意識に破壊してしまうほど、心の底ではそんな自分が嫌で仕方なかった。

 きっと誰かのせいにするのではなく、弱い自分を壊して、愛せる自分を手に入れたかったのだ。

 そして今、もがき苦しんだ時間が、ようやく報われた。




 特殊能力保護協会に属するために、土岐透琉は事故で死亡したことになった。

 寿美子は悲しむだろうし、将司も何か思うところはあるかもしれないが、透琉がそれを知る術はもうない。二度と土岐家に返されることはないからだ。

 土岐透琉はこの世からいなくなった。

 戸籍も、名前も、経歴もすべて失った。

 名前はまだ決まっていない。

 本来ならトクノウから言い渡された名に強制的に決まるものらしいが、御門の計らいで猶予をもらっているのだ。


 トクノウの本部は、高層ビルが立ち並ぶオフィス街のさらに奥まった場所にあった。

 六階建てのコンクリート打ちのビルは、どこにでもある一般的な建物だ。表向きは防衛省の支部だが、トクノウが管理しているらしい。

 トレーニング施設なども兼ね備えているため、当分はここに通うことになっている。


「二人ともおはよう。さあ、早速お披露目と行こうじゃないか」

 局長室のソファーに腰かけ、御門と向かい合う新多は少し緊張している。

「反対されても変えるつもりはねぇから」

「もお~なぁんで反対する前提なの? お父ちゃんが新多のいうこと聞かずにデート邪魔しに行ったことまだ怒ってんのか?」

「ああそうだよ、このチョビ髭オヤジ」

「と、とにかく確認してもらおうよ! 規則上難しいかもしれないし、その時は新多君がもう一度考えてくれるんだろう?」

「うん……」

 差し出された紙を受け取った御門は、ある程度予測していたのか、さして驚いてはいなかった。

 そして自慢の顎髭を触り、ふっと口角を上げた。

 御門の様子を見た新多は、自信満々で名を呼ぶ。

(とおる)岡崎徹(おかざきとおる)。これからは自分の気持ちを貫いて、自由に生きていけるようにっていう俺の希望を込めた名前」

 読み方は元の名前と同じだ。


 新多は、名付けに悩んでいた。

 そんな中、これまで何度も呼ばれた〝とおる〟という響きが消えてしまうのは、少し寂しい、とこぼすと、新多は紙に徹と書き綴った。

 岡崎という名字になったこと、とおるという愛されなかった名前を新多は自分以上に愛してくれていたことがわかって、徹は胸を打たれた。

 御門は眉を下げて二度ほど深く頷いた。

「まあ、いいんじゃないか。他にも元の名前の一部を使ってるやつはいるし」

「ありがとうございます!」

「良かったな、徹! とーおーる!」

 新多に肩を抱かれ、新しい人生の門出を祝福される。

「これで今日から岡崎徹もトクノウの一員だ。よろしく頼むよ」

「はい! よろしくお願いいたします!」

「戦闘訓練は、来週からスタートだから、今のうちにゆっくり療養しておくように」

「だああ! 俺はまだ徹が戦闘班になるのは認めてねぇからな!」

「おっ、かっこいいね彼氏! やんややんや」

 戦闘班に配属されるのは、訓練を積んでからだ。

 徹自身は受け入れているが、新多は徹が戦闘班に配属されることを未だに納得していないので、親子喧嘩は続いているようだ。



 新しい戸籍を用意するので何枚か書類にサインしてほしい、と副所長から声をかけられたため、徹は副局長とともに隣の部屋へと移動した。

 局長室と繋がるドアがパタンと閉まると、新多は御門に質問を投げかけた。

「なあ、親父。なんでミラードームの中にいるにも関わらず、興奮状態の徹を煽ったんだよ。あんな強引な作戦、見た目に似合わず慎重派な親父らしくない」

 肩眉を上げた御門は、わからないのかとほくそ笑む。

「息子のトートバッグに仕掛けたGPSを追って土岐寿美子が病室から抜け出した。想定外だったから現場は混沌としていた――って感じかねぇ」

「精神疾患で隔離されている患者のスマートフォンがたまたま患者の手元に渡ったと? トクノウにそんなヘマする人間がいるわけねぇだろ……、聞きたいのはそういうことじゃないんだけど」

 新多も御門がわざと寿美子を息子の元に向かわせて、決別させるきっかけを作ったのだということを理解している。

 だが、そこまでして徹の能力を欲しているとは思っていなかったのだ。

 確かに徹ほど広範囲に強力な攻撃を仕掛けられる者はいないが、常に人手不足のトクノウには、その証拠を隠滅できるほどの資金や労働力はない。

「あっ、そうだわ、忘れてた。お前も徹君と一緒に来月から戦闘班に異動だからよろしく」

「は、はあ⁉」

「徹君が戦闘時に壊した場所を誰が復旧させると思ってるんだ? 能力者の存在は世間一般には知られたくないんだから、瓦礫を一個ずつ丁寧に運んでる暇なんてないよ。それに俺は息子思いだからね。パートナーと離れずにいられる方法を考えてあげたわけだ。徹君が心配なら、お前が彼を守ってやればいいじゃーん」

 いけしゃあしゃあと後出しであれこれ言い渡す御門に新多は苛立つ。

 最初からすべて御門の手中で踊らされていたのだ。

 御門の中では、一年以上前から新多が徹と共に戦闘班に配属される未来を視て知っていた。御門が曲者ぞろいのトクノウの頂点に立つ確固たる理由が、未来視だ。一秒先の未来から、新たな能力者が現れる場所まで、視ることができる。

 副反応は、低血糖。遠い未来を視ようとすればするほど、体に負担が掛かる。

「そういうことは最初から言っとけよ……」

 新多はガクッとうな垂れる。

「言っちゃうと運命から抗おうとして、未来が変わる可能性もあったからなぁ。それに俺が視たのは、土岐透琉が能力を初めて発動した日と場所。それから十五分後にお前らが仲良く手を繋いで帰るところだよ」

「ぐっ……、ああ~もう!」

 新多は腹の底から声を出して叫んだ。



 その帰り道。

 岡崎徹として生まれたてほやほやの徹は、心なしか足取りがふわふわしていた。

 新多は御門新多に戻ってしまったが、土岐透琉と岡崎新多の絆の証は、徹が守っていく。

「はあ、岡崎徹か……。こんにちは、岡崎徹です!」

「そうそう、これからは言い間違えないようにしねぇと」

「うん。頑張る」

「俺も間違えないようにしないとなぁ」

「そうだね。ふふっ、なんか堅苦しい書類にサインして提出して帰ってきたからか、新多君と結婚したみたいな気分で、このまま空まで飛べそうな気分」

 徹は弾けるような笑顔を見せる。

 今ではすっかりスキンシップにも慣れて、新多の方がたじたじだ。


 オフィス街を抜けると、大きな交差点に差し掛かった。

 二人は歩道の端っこで信号が変わるのを待つ。

 通行量の多いそこは、街灯モニターが二つも設置されていて、正面のモニターは一年前に大ヒットした男性シンガーの曲が流れていた。

「徹さぁ、塾の窓が割れた時のこと覚えてる?」

「新多君と初めてちゃんと話した日のこと?」

「そう。あの時もずっとこの曲が流れてたの、覚えてる?」

「覚えてるよ。一ヶ月くらいずっと流れてたし」

「実はこれ歌ってんの、俺を昔ボコボコにしてたやつ。もう血だけ繋がってる赤の他人だけど」

 衝撃の事実に徹は目を丸くした。

 何気なく、声が似ていると言ってしまったような気がするが、新多は嫌だったのではないだろうか。

「ご、ごめん! そうとは知らず、僕は酷いことを言ったかもしれない……」

 徹が頭を下げると、新多はふっと頬をほころばせた。

「あの男より俺のが良い声だって、好きだって言ってくれたじゃん。あれ、すげぇ嬉しかったんだ……。あの瞬間から、徹に救われていたのかもしんないな」

「僕が新多君を救った……?」

「忘れたはずの嫌な声が街中で響き渡っててさ、家族愛の曲とか歌ってんだよ? まさかすぎ、笑わせんなよって思ってた。それでも、投げられた時計の固さとか、割れた皿で切った足の痛みとか、どうしても思い出しちゃって、未だに俺は弱いままで、過去から逃げらんねぇのかって、焦ってたんだ」

 特殊能力は、本人の願望が強く反映されたものだと御門から教えられた。

 小さい頃の新多は、投げつけられたものを直そうと必死だったのかもしれない。能力が発現してトクノウに助け出されるまで、どれほど一人で泣いて苦しんできたのだろうか。

 徹は、そっと新多の手を握る。

「そうだったんだ……」

「それがさ、徹からサラッと俺の方が良いって肯定されて、ほっとしたっつーか、トラウマをバーンって壊してもらった気がしたんだ。見た目派手でも意外とつまんねぇやつって言われることも多かったけど、望んでこの髪と顔になったわけじゃねぇし? それでも徹は、静かな場所でのんびりしてる俺が、俺らしいって言ってくれて、嬉しかった。ずっと幸せにしてもらってた」

「僕だって、いつも救われてた……。幸せを教えてもらったよ」

 新多の悲しみを壊すことができたなら、破壊の能力も悪くないと思える。

 この先も、新多の幸福を脅かすものがあれば、徹は何にだって立ち向かうだろう。

 いつの間にかノイズだった歌声は消えて、大好きな甘い声だけが心に届いた。

「徹、俺と出会ってくれてありがとう。大好き」

「僕も新多君が大好き……これからもずっと一緒にいようね!」

「ああ、ずっと一緒だ」

 徹と新多は顔を見合わせ笑った。

 しっかり繋いだ手をぶんぶんと振って、二人は自宅へと帰っていく。

 これからは、何もない部屋に好きなものを増やしていっぱいにしよう。幸福な時間を刻む時計も、二人分の全身が映せる大きな鏡も置いて、心が安らげる居場所を作ろう。

 この先、笑えない日も訪れるかもしれない。

 そんな時は、新多のそばにいたいし、いてほしいと思う。

 二人で支え合って生きていこうと、徹と新多は心に誓った。



ご覧いただきありがとうございました!


(途中文章を抜かして投稿してしまったので、訂正しました!すみません……!)

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