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中編

 塾の冬期講習が始まった。ほとんどの受験生はピリピリとしていて、張り詰めた空気が漂っていた。

 ところが、試験に関して一切不安のない透琉は、大学生から自分で予定を立て行動したいと母親に直談判する計画を練っており、受験よりもそちらの方が怖いと言っていた。

 新多は、目にかかるほど長い髪をワックスで後ろに流し、黒いショートダウンコートに着慣れたスーツを纏い、オフィス街の一角で人を待っていた。

「冬休み、長すぎ……」

 白い息が空に吸い込まれて消えていく。

 暴力を振るう父親と過ごす時間が増える長期休暇は苦痛と恐怖でしかなかったが、今は違う意味で長いと感じる。

 透琉とは、年が明けるまで会えない。

 大晦日や初詣も一緒に行きたかったが、透琉は、受験目前のため自宅で軟禁されている上、新多も仕事がある。

 これまで何度も二人で遊びに出掛けたが、なぜか自宅には来てほしくなさそうな態度だったため、アポイントなしで訪ねるわけにもいかない。

 心配性らしい母親の方が透琉の受験でナーバスになっていると言っていたので、おそらくそのためだろう。


「待たせたな」

「おはようございます。私も先ほど到着したばかりです」

 新多が腰を折って頭を下げると、局長であり養父でもある御門龍一(みかどりゅういち)は大きなため息をついた。

 長身の新多と同じ背丈だが、身体の厚みが違う。ワイシャツのボタンは今にも弾け飛びそうである。

 どこかのスポーツ団体の上役のような短髪は、五十を越えているというのに白髪は一本すらなく、出会った当初から変わらない。顎と口元の髭も綺麗にデザインされていて、抜け感はありつつもいつも余裕がある。

 大人の男の魅力とは何たるかを体現している養父に、新多は密かに憧れていた。

 しかし、喋ると台無しなのが玉に瑕である。

「敬語は不要だって何度も言っているのに~」

「今は仕事中ですから。お黙りくださいチョビ髭親父」

「うーん、なるほど。これが、反抗期の息子を持つ親の気持ちか。悪くないねぇ」

 車の鍵を宙に投げては掴む御門は、新多の肩に腕を回し歩き始めた。


 十歳で御門の養子となった新多は、既に職に就いている。

 御門が局長を務める特殊能力保護協会、通称トクノウの特殊能力捜査班。そこが新多の在籍している組織だ。

 簡単に言えば、国が管理する最高秘密レベルのエスパー集団だ。

 地球には一年に数人、特殊能力を持った人間が生まれる。二本で存在を確認されているのは、十八人。

 その十八人全員が、特殊能力を持つ人間の捜索と保護を目的とする捜索班、又は国益のため防衛相の指揮の元、暗躍する戦闘班に分かれて、秘密裏に活動している。


 目視した物体を直す能力を持つ新多は、力を使うと髪の色素が抜ける。若くして髪が白いのもそのためだ。

 御門や他の捜査員にも、能力を使った際の副反応が身体に現れるが、新多の白髪ように一目瞭然な者は少ない。

「監察対象Tですが、やはり副反応は自律神経の乱れのようです。最近は、心情に変化もあり、精神的負荷の原因となっている実家から自立しようと画策しています。受験が終わった頃に、再度ストレス値が跳ね上がるかもしれません」

「普通は受験が終わったらストレスから解放されるもんなんだけどねぇ。そしてなんだ、その心情の変化は、お前の誘導ってか?」

「誘導した覚えはありません。ですが、対象の信頼も得ていますし、この調子でいけば、能力消滅まで上手くメンタルをコントロールできると思います。本人もまだ自分の能力には気付いていません」

 すべては透琉の能力を抑え込むため。

 一度限界まで開花してしまえば、普通の人生は歩めない。現代の日本にはエスパーなどいない――と、いうことになっているため、能力が開花する前に芽を摘むのも捜査班の仕事である。

 能力が消えない場合は強制的に、出生、経歴、容姿に名前、すべてを変えて国に従事する人生を歩むことになる。

 これまで窮屈な思いをして生きてきた透琉には、自由でいてほしいのだ。

 卒業後、二度と会えなくなっても。それがたとえ岡崎新多のエゴであっても――。

「対象が持つ能力である、物体の破壊。今のところ透明なガラスと鏡に限定されているが、非常に強い能力だ。仲間に引き入れられれば良いが、反国家勢力に渡れば、一体どうなってしまうのか……。考えるだけで恐ろしいね。このままお前に任せていれば、我々の望む結末を迎えられると?」

「……はい。想定より長引いておりますが、できれば対象の能力が完全に消滅するまで、高校卒業後も監視していたいと考えております。あまりにも強力な戦闘系能力者は、存在するだけで争いの火種になりますから」

「うーん。能力の消滅を待つよりも、やはり私はこちら側に引き入れた方が良いと思うがねぇ」

 新多は、職務中であることを忘れ、御門を睨みつける。

「こちらに所属しても対象の能力では、確実に戦闘班に配属されます! 泣く母親のために今よりもっとチビの頃から自分を殺して抑え込むようなやつだ。今度は死ぬまで戦い続けるに決まってるだろ!」

「おー怖い怖い。冗談だよ。いやぁ、それにしても今まで誰にも懐かなかったお前が絆されたか。小動物っぽい可愛い系がタイプだったとは、意外~」

 透琉のぱっちりした猫のような瞳と、さらさらと揺れる艶やかな髪。さらに不安になるほど軽くて薄い身体に男らしさはないが、内面は誰よりも我慢強くて芯が強い。本音で人を心から称賛できる、尊敬に値する人間だ。

 下世話な視線で透琉を見るなと、苛立ってはいるが、自分はどうだ。

 あの柳のような腰に触れて、すべてを暴いてしまいたいと思ったことはないのか。

 肩を抱いた際に、赤く染まる耳に口づけたいと考えたことは、一度や二度ではない。

 奥歯を嚙み締めた新多は、平然を装って「局長もご冗談を仰ることがあるんですねぇ」と嘲笑を浮かべる。

 ところが御門はそれもお見通しといった顔でニヤニヤと笑っている。

「ごめんごめん。お詫びに父ちゃんがどうにかしてやるから。せっかく恋人ができたんだもんな」

「……ですから恋仲ではありません。友愛以上の関係になるのは、懐に入るには一番手っ取り早い方法でしょう? 捜査班では、よくある話です。今後も余計な手出しは無用です。余計なことしたらまっじで一生帰省しねぇから」

 これ以上、自身の恋愛事情を明かしたくない新多は、早口で捲し立て目的地であるビルに入っていく。職人が復元に失敗した美術品を直すためだ。


 今日の美術品は、日本の技術を見込んだ他国から依頼されたもののため、失敗は許されない。どうかよろしく頼む、と国のトップから至極丁寧にお願いされたが、能力があるとはいえ、一介の国家公務員でしかない新多からすれば、それは命令と同じだ。

「もうすぐ対象Tを監察し始めて一年が経つねぇ。不良少年が退屈な生活を送るヒロインを連れ出して、自由を謳歌する。塾の前で偶然出会ったのも、ドラマのような始まりだったなぁ。あれもずっと観察していたから、その場に立ち会えたわけだけど」

 再び透琉の話題をほじくり返す御門は、のんびりとした口調でそう言った。

 些かドラマチックすぎた始まりがいけなかったのか。

 塾の窓が割れた日も、偶然あの場に居合わせたわけではない。

 監視対象が、怪我をするかもしれない。出血がトリガーとなり、能力を開花させた前例を思い出し、咄嗟に窓の破片に触ろうとしていた透琉を制止してしまったのだ。

 接触したからには、それを利用しない手はなかった。

 新多は、精神的に参っていた透琉を支えるために全力で肯定し続けた。

 人見知りで、自我のない、母親の操り人形を懐柔することなんて容易いと思っていたのに、上辺だけの言葉がいつしか本音に変わり、気づけば篭絡していたのは自分の方だった。

 透琉自身は、新多を手中に落としたとは微塵も思っていないだろう。

 あの純粋無垢な瞳が演技だというならば、主演男優賞ものだ。

 透琉がいつまで経っても体に馴染まない【岡崎新多】の名前を呼ぶ度に、心が満たされて行く。

 何もない場所でも、空を見上げて幸せだね、と微笑みかけられると、一生このままでいいのにとさえ思う。

 依存しているのは透琉ではなく、自分の方だ。それはきっと御門もわかっている。

「どちらにしても、あと数ヶ月の任務ですから」

「あまり入れ込みすぎるなよ。このまま順調に対象Tの能力値が下がれば、卒業と同時に彼の人生から、岡崎新多という人間には、フェードアウトしてもらうからな」

「……はい」

 生気のない声が薄暗い廊下に響く。

 新多はもう透琉に会いたくて堪らなかった。




 第一志望校に合格して大学生になった透琉は、就職した新多とほぼ毎日のように会っていた。

 新多が透琉の通う大学の目の前にあるマンションで一人暮らしを始めたからだ。

 今では、講義の空き時間に合鍵を使って出入りしている。

 在宅ワークをしている新多の邪魔にならぬよう、透琉は、リビングで勉強したり二人分の料理を作ったりする。

 同じ空間にいながら、別のことをしていても、そこにいるだけでほっとする。そんな関係へ変化を遂げていた。

 受験が終わってから根気強く寿美子を説得し続けた透琉は、この春から自身で予定を決めて行動している。

 自分が泣いても喚いても頑なに意志を曲げない息子の反抗に戸惑い、寿美子は早々に夫の将司に相談していた。

 しかし、将司は昔から一人息子であるはずの透琉には興味がなく、今回も全く干渉してこなかった。

 志望校大学の合格が発表されたことで、寿美子も多少気が紛れたのか、事前に一週間分の予定表を寿美子に提出する折衷案でひとまず決着がついた。

 いずれは完全に自立することが目標だが、高校卒業後も新多と共にいるという目的はクリアしているので、透琉は心穏やかに過ごしていた。


 試験期間が終わり、長い夏季休暇へと突入した。

 大学で勉強すると言って家を出た透琉は、いつものように新多の自宅で何でもない日を過ごした。

 その晩に事件は起こった。

 寿美子が、自身の両親が代表を務める会社の役員とその娘を自宅に招き、こともあろうに縁談を薦めてきたのだ。

 透琉は、その場で見合いを断ったが、寿美子は相手が帰った後に、透琉の将来を勝手に悲観して泣き叫び始めた。

 将司は寿美子の金切り声から逃げるように、さっさと自室へと籠ってしまった。

「どうして、どうしてなの……透琉さん、ううっ、ううわああんッ‼」

 足元に縋りついて来た寿美子の虚ろな瞳が恐ろしく、透琉は思わず自身の顔を覆う。

 ようやく自分の意見も聞いてもらえるようになったと思ったのに、寿美子にとってはその場しのぎの返事だったのだろう。

 だからこの様な事態になるのだ。

「去年の今頃あたりから、あなた変よ……。どうして私を困らせるの?」

「母さんを困らせたいわけではありません。僕は自分のことは自分で決めたいだけなんです」

「家柄も容姿も完璧なお嬢さんよ! あの方以上に素晴らしい方なんていないわよお!」

 確かに寿美子の言う通り、穏やかで聡明な女性だった。

 それでも一緒にいたいのは新多しかいない。

 緊張の糸を丁寧に解いてくれる「透琉」と呼ぶ甘ったるい声。

 寂しがり屋な一面は、自分が支えてやりたいと思うし、楽しい、嬉しい、と言われると心の底から力が溢れてくる。

 カッコいい、かわいい、と撫でてくれる自分より大きな手が恋しい。

 理屈ではなく、心が新多の隣にいたいと痛いほど訴える。

 ああ、そうか僕は新多が特別なんだ――。

 こんなタイミングで友愛以上の感情を抱えていることに気付くなんて、なんて間が悪いのだろう。

 愛を知った今、家族という固定概念に囚われて、縛られて、泣きじゃくる寿美子が哀れに思えてならない。

「母さんの言う通りの道を進んで、指定された人と結婚して、僕が本当に幸せになれると思いますか? 自分の意志が一切反映されない人生は、幸せと言えるのですか……」

「大事な一人息子には幸せになってほしいから言ってるのよ。こんなに尽くしてきたのに、あなたまで私を否定するつもり⁉ なんで夫にも息子にもいないもの扱いされなくちゃいけないの⁉」

 こちらの希望や要望は透明化され、心を無下に扱われる。昔からずっとそうだ。

「いない者扱いしているのは、母さんの方です。僕の意志は、なかったことにされた声は、一度も感じ取れなかったんですか? 聞こえなかったんですか?」

「ううぅ……っ」

「自分は透明扱いされたって泣き叫んでいるのに、透明扱いされた息子の気持ちもわからないんですか……」

「あああぁ! やめて……っ! 私だって、どうしたらいいのか聞きたいわよ! うあああぁぁん」

 話し合いにならない。これでこちらが折れてしまえば、今までの人生と同じだ。

 今までは、どこかに家族というぬくもりを諦めきれない自分もいたが、決別する覚悟をせねばならない。

 今がその時だ。

 こんなことが一生続くのであれば、これが家族というのならば、何もかもいらない。黒い靄のような感情が体を巡って抑えられない。

 全部、全部、壊れてしまえばいい――。

 透琉がそう願った瞬間、リビングの窓が内から外に向かって弾け飛んだ。

 何事かと将司がリビングに戻って来る。号泣していた寿美子も何が起こったのか判らないといった様子で、轟轟と雨が差し込む先を見つめていた。

 猛烈な眩暈に襲われた透琉は、とにかくこの場を離れなければと思った。

 あの窓を壊したのは自分だ、と直感したからだ。

 散らばったガラスの破片で腕を切った寿美子を見て、透琉は後退る。

「母さ……とうさん、にげ、て……」

 そう呟いた透琉は、崩れるようにしてその場に倒れた。



 右手がじんわり温かい。

 熱源の先には、ベッドに頭を預けてスヤスヤと眠る新多がいた。

 自分が寝ていたせいで新多のベッドを占領していたらしい。

 家主を差し置いて悪いことをしたな、と新多の頭をそっと撫でる。

「……んっ? 透琉!」

 瞬時に覚醒した新多は、透琉の両肩をがっと掴む。

「お、おはよう、新多君。僕は一体どうして新多君のご自宅にお邪魔してるんだろう? あれは……夢だったの、かな……」

「俺が透琉をここに連れてきたんだ。昨日のこと覚えてる?」

 透琉が首を横に振ると、新多は昨晩の出来事を教えてくれた。


 前日まで実家に帰省していたため、養父に一人暮らししている自宅に送ってもらっていた。すると住宅街を通り抜ける際に近所で何かが爆発したような音が聞こえた。

 音がした一軒家の表札を見ると土岐と書いてあった。

 庭に回り込んだ新多と養父は、気絶した透琉に、パニックを起こして泣き叫ぶ寿美子と、茫然と立ち尽くす将司を発見した。

 バタバタと救急車や警察を呼んでいる最中で透琉が目を覚ました。

 すると透琉は「新多君の家に帰りたい」と呟いた。

 透琉は、寿美子と違って外傷がなかったので、希望通り新多の家に連れて来られたということだった。


「ごめんね、迷惑をかけて……」

「迷惑とか一回も思ったことねぇよ。にしても、竜巻みたいな突風に襲われるとか災難だったな。都内で発生するとかすげぇレアらしいぜ。ほら、これ」

 新多のスマートフォンには、大手検索エンジンのトップニュースに【都内で竜巻発生⁉ 猛暑による異常気象が原因か】と記事が載っていた。

 透琉は、なぜか自分が窓を割ったと思い込んでいたが、触れずに窓を割れるわけがない。

 気が昂って、おかしな妄想をしていたのだろうか。

 ベッドに乗り上げた新多は、腑に落ちない様子の透琉と向かい合う。

「竜巻が起こる前、もしかして親と喧嘩でもしてた? 母親が心配症だってことは聞いてたけど、思ってたより大変そうだな。なあ、土岐家ってどんな家族?」

 今まであえて触れて来なかった込み入った質問が飛んでくる。

 傍から見れば、大手企業に勤める父親、専業主婦で子煩悩な母親、成績優秀かつ品行方正な美しい一人息子。そんな理想的な家族なはずなのに、蓋を開けてみれば、家族として互いを必要としていなかったり思いのままに操ろうとしていたり、血が繋がっているだけの奇妙な関係――それが土岐家だ。

 大企業レッブルの代表取締役会長の三女である母と、その娘婿の父。愛のない見合い結婚であり、いくら聞き分けの良い優秀な子どもがいても、終ぞ家族になることはなかった。

 とてもじゃないが、養父と良い関係を築いている新多には、恥ずかしくて打ち明けることができなかった。

 ぐちゃぐちゃになった感情がよみがえって、呼吸が苦しくなる。

「家は、レッブルに勤めている父と、専業主婦の母がいる」

「へぇ、親同士が不仲とか?」

「良いとは言えない。物心ついた頃から、家族そろって食事をした記憶もないんだ。母が父に僕のことをあれこれ言っているのは、たまに見るけど、父はいつものことか、みたいな感じで興味ないみたい」

「母親は、透琉を大事にしてくれてんの?」

「外から見ればそうなんだろうね。だけど、高校や塾、大学と就職先、それから結婚相手まで、母の希望通りの道しか許されない。昨日も勝手にお見合いさせられそうになったんだ。それで拒否したら、窓が割れて……」

「お、おおお、お見合いだ⁉」

 素っ頓狂な声を上げた新多が動いた反動で、透琉もびょんっと跳ねる。

「もちろん断ったよ。でも、僕がちょっとでも強く言うと昔からすぐに泣き叫ぶんだ。私は透琉さんのために尽くしているのにどうしてって……」

「お前の優しさにつけ込んで従わせてんだな……。言葉の暴力だろ、そんなの……」

 怒りに震える新多は俯く。

「自分のことみたいに怒ってくれてありがとう……。僕は、新多君のおかげで、初めて自由ってこんなにも楽しいものなんだって気付けたんだ」

「俺のおかげっていうけど、それは透琉が勇気をもって、新しい世界に一歩踏み出したからだよ」

「新多君は褒め上手だなぁ。本当は、家族にも受け入れてもらえないなんて、こんなこと恥ずかしくて新多君には、新多君だからこそ知られたくなかった……。ねえ、たまにでいいから、またこうして、僕を連れ出してくれないかな……?」

「当たり前だろ! 俺は、透琉が笑ってくれるだけで、それだけで、嬉しくて舞い上がるくらい幸せになるんだよ。家族のために、できることはもう十分やっただろ……? これからは、ずっと……ずっと俺といよう……」

 今にも泣き出しそうな新多の頬に手を当てるが、泣いているのは自分の方だった。

 透琉は、おかしいなと言って笑う。

「……うん。新多君といる。一緒にいたい人、ちゃんと選べるようになったよ。新多君と出会えて、僕の世界は広がった。本当に感謝してるんだ」

 両親にありのままの自分では受け入れてもらえない寂しさと、新多への想いでいっぱいになる。

 透琉は、生まれて初めて、声を上げて泣いた。


 こんなにも感情を露わにしたことがなかったため、泣き方がわからず、しばらく涙が止まらなかった。

「ぐすっ……はぁ、ごめん。なんだか自分のことばかり話しちゃった。新多君のことも聞かせてよ」

「俺のこと?」

「うん。好きな食べ物とか、好きな場所とか。次、遊びに行く時に参考にしたいから」

「俺は……柔らかいものが好きかな。パンとか。うん、俺、パンとか柔らかいもんが好きかも」

 新多は、じっくり考えたあと、確かめるように呟いた。

「じゃあ美味しいパン屋さんに行こう。それから?」

「場所は、静かなところがいい、かも。でも無人がいいわけじゃない。視界に人がいた方が、なんかいい。ちょっとホッとする」

「それなら美術館は? 新多君、去年行った博物館もすごく楽しそうにしていたし、どうかな? 中学校の課外授業で美術館に行ったんだけど、結構面白かったよ」

「うん、いいな、美術館。でも静かな場所がいいとか、俺らしくなくない?」

「そうかな? 連れ出してくれた公園で静かに空を見上げてた姿がかっこよかったから、神聖な雰囲気の場所も似合うと思う。同性から初めて色気みたなものを感じたよ! 僕とは違って、なんか大人だなと思ったんだ」

 空を見上げて静かに微笑む新多を思い出して微笑む透琉。

 悩まし気なうなり声を上げた新多は、がばっと覆いかぶさってきた。体格差もあり、透琉はいとも簡単に組み敷かれる。

「あ、新多君……?」

「なんか透琉の褒め方がエロい!」

「えっ! わっ、い、いや! 色気っていうのは、人間力? 人生に深みがあるみたいな意味であって、下心があるとか、そういうことではなく!」

「下心、ねーの……? 俺は、結構前からあるんだけど……」

 透琉しか見ていない新多の熱の籠った眼差しは、先ほどまでの悩みを吹き飛ばすほどの威力がある。

 耳まで真っ赤に染めた透琉は、視線を彷徨わせる。

「友達とか、親友とか、そういう意味だよね……? また僕のことからかってるんでしょ」

 抱き着かれて顔を真っ赤にする透琉は、幾度となく勘違いしそうになっては、悶々としていた。

 今回は、明らかにいつもと雰囲気が違う。恋愛経験ゼロの透琉でさえ感じ取れるほどだ。

 新多は真剣な顔をして、はっきりと言葉にした。

「透琉の親友も恋人も家族も全部、俺がいい。できるなら、こうやって毎日触れ合いたい。そういう好きだ。出来る事なら、岡崎新多(おれ)が死ぬまでそばにいさせて……」

「よ、欲張り……」

 背中に腕を回されて、透琉は新多の太ももにぺたんと座る体勢になる。同じ目線になって、いつも以上に距離が近い。

 こちらの気持ちは既にお見通しだったのか、新多はニヤニヤと笑っている。

 マゾの気はないはずなのに、この意地悪そうな表情もきゅんとしてしまうのだ。

「俺が強引で独占欲強いことなんて前から知ってんだろ? ほら、透琉も。俺が好きって、必要だって言って」

「……あの、必要だから好きって言うんじゃないからね。ちゃんと好きだから、新多君のそばにいた――んんっ!」

 腰と後頭部をがっちり固定されて、キスされている。

 日頃からボディータッチの多い新多なので、納得ではあるが、最後まで言わせてほしかった。

「も、まってっ……新多くっ……ん」

 身体が燃えるように熱い。それ以上に新多の唇が熱くて、生理的な涙が溢れて来た。ただでさえ涙腺がおかしくなっているのに、何も考えられなくなる。

 強張っていた体から力が抜けて透琉はふにゃふにゃになった。抵抗を止めて受け入れたと思ったのか、新多は透琉の体をさらに引き寄せる。

 ファーストキスのため、呼吸の仕方も分らない。

 透琉が酸素を求めて咳き込むと、ようやく唇は解放された。そのまま新多に体重を預け、はぁはぁ、と荒い呼吸を繰り返す。

「っ好きだ、好きだ、透琉……」

 目の前で跳ねた白髪が嬉しそうに揺れる。

 いつも以上に甘く蕩けた声を聞いていると、あれほど勉強したのに、叫び出したくなるような気持ちを伝える愛の言葉は上手く出てこない。

 衝動のままに相手を求めるのも悪くないと、また新しいことを教えられてしまった。

「……ふふっ」

「なぁに笑ってんの?」

「新多君」

「ん?」

「もう一回、しよう……」

 左の口角だけ吊り上げて固まる新多。前にも見たことのある珍しい表情は、どうやら照れているだけのようだ。

「あ、ちょっ、と、透琉……」

 透琉はのっそりとした動きで新多の頬を手で包み込むと、今度は自分から口づけた。



 

 

 土岐家の自宅は、すべて窓が割れた状態で、警察が二十四時間警備している。とても人が住める状態ではない。

 新多の家に泊った翌日、着替えなど最低限の荷物を取りに戻った際に、竜巻が発生した原因なども調べるため、修復工事まで少々時間がかかることも聞かされた。

 一人だけ、警察官らしくない大きな男が自宅の庭をうろついていたので、透琉は声をかける。

「失礼します。この自宅の土岐という者ですが、あなたは……」

 サングラスに青いポロシャツの四十代くらいの男は、透琉をじっと見ると、白い歯を見せてにかっと笑った。

「ああ、失礼。窓が割れた原因を調べている者です。決して怪しいもんじゃありませんよ」

「そうでしたか、こちらこそ失礼しました。ぜひ、よろしくお願いいたします」

「もちろん。お任せください。では、お連れの彼にもよろしくお伝えくださいねぇ」

 そして男はひらひらと手を振って自宅の裏庭へとまわっていった。


「とーおーるー。誰と話してんのぉー?」

 玄関で待っている新多の声がする。

「今行く!」

 透琉は、自室にあったリュックと帆布のトートバッグを持って、玄関へと向かう。

「お待たせ。窓の外に竜巻の調査をしてる方がいて」

「……もしかして青いポロシャツにビーサンのチョビ髭オヤジ?」

「うーん、ビーチサンダルだったかな? でもその人で間違いないと思う。なんだか少し新多君に似てたかも、ふふっ」

「ま、マジで⁉」

 新多は、心底嫌だと眉間に皺を寄せるが、少し浮足立っているような、複雑そうな表情を浮かべる。

「顔がというか、雰囲気かな? あ、喋り方かも!」

「あー……そっか。んじゃあ、帰ろ」

「うん、お世話になります」

 祖父母宅や親戚は、あまり良い思い出がないので頼りたくない。

 将司からホテル暮らしをするならば金は出すと連絡が来たが、友人の家で世話になるため心配は不要です、と返す。もちろん息子の心配などしていないだろうが、それ以外の定型文など知らない。

 返信には、必要な金はカードを使え、寿美子はパニックで発作を起こしたため、大学病院に入院している、と必要最低限の情報が書かれていた。

 見舞いや退院時期などには触れられていなかったため、いずれにせよ、将司か警察から連絡が来るのだろう。透琉は、あえて深く考えるのをやめた。

 今、再会しても寿美子にも自分にも良いとは思えない。

 時間を置いて、また話し合えるくらいパワーを貯める必要がある。

 新多はそんな透琉の鬱々とした気持ちを察したのか、透琉の肩を抱くと、心配するなと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべた。



 付き合い始めたばかりで、半同棲のような生活をスタートさせ透琉と新多。喧嘩もせず、毎日のびのびと楽しく暮らしていた。

 仕事をしている新多の邪魔にならないように、透琉は大学の図書室に通い、料理本を読み漁っていた。

 二人分の食事を作るためだ。

 家族がバラバラであることを再認識させられ、窓が割れるという大事故まで起こった。

 心を無にして、心身のバランスを整えるためには、料理は最適であった。

 それに世話になるからには、食事くらい提供しないと気が済まない。

 皿やランチョンマットまでレシピ本の通りに準備したことがツボにはまったらしく、新多は毎食写真を撮っていた。


 小さなローテーブルに並んで座る二人は、夕食を終えて料理対決の特番を見ていた。

「遊び心が足らないかなぁ……」

 料理上手な芸能人や一流シェフたちの華やかな料理を見た透琉は、ボソッと呟く。

「なんの?」

「僕の作るご飯は、基本のおかずがメインだから、つまらないかなと思って」

「めちゃくちゃ美味いよ? 今まで包丁も握ったことなかったやつが、ここまで作れるようになったの、すげぇもん。それに皿とかランチョンマットとかまでレシピの写真と同じにするの、もはや達人級の遊びだろ。どこで見つけて来たんだよ、でっけぇ葉っぱ描いてあるランチョンマットとか」

「百円ショップだよ。あそこは何でもあるんだ」

 初めて訪れた百円ショップの品数の豊富さに圧倒され、今では常連になってしまった。

「すっかり所帯じみて……。透琉、毎日ご飯作ってくれてありがとな。しんどい時は無理せずに言えよ? 透琉が食べてみたいって言ってた中華粥の出前とってやるから」

「ありがとう。出前もあるんだね」

「あるある。この出前専用のアプリで――」

 新多の手元を覗き込むと、こつんとおでこがぶつかった。

 痛みはないが、お互い驚いて額に手を当てる。

 視線が合うと、新多は吹き出して笑い転げた。

「やっば! エグい音したけど⁉ 漫画かよ!」

「うわぁ~びっくりした。新多君、おでこ大丈夫?」

「へーきへーき。透琉は?」

「痛くないよ」

「あー、でもちょっと赤くなってるわ。ちゃんと見せてみ?」

「はい」

 前髪を上げて顔を近づけると、ちゅっと額に口づけられ、ぶつけたところがどこか分からなくなるほど透琉は赤面した。それ以上のこともしているのに、猛烈に恥ずかしい。

 新多は時折キザなことをするのだ。

 同じ男として悔しいが、ついときめいてしまう。

「それこそ漫画みたいなことを……」

「自分でやっといて照れたわ……」

 口元を抑えて同じく赤面する新多。

 目尻をとろんと溶かした透琉は、新多に「もう一回」と恒例となったおねだりをしてはにかんだ。


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