第88話 名前は大切の印
同じ布団で獣耳幼女たちとピッタリくっついて眠るのがすっかりお馴染みとなってきた、ある冬の日。
いつもながら賑やかに朝ごはんを済ませ、台所で洗い物を片付けた俺が居間へ戻ると、昨日届いたばかりの自由帳がコタツの上に広げられていた。もちろん全員分ある。それぞれ頭を寄せ合い、ページを覗き込みつつ水性のカラーペンを走らせている。
「おや、お絵かき中かな。俺にも見せてくれる?」
「ちがう! フィーナに、なまえおしえてもらってるの!」
キラキラな瞳でこちらを見上げたリリが、元気いっぱいに教えてくれた。
どうやら文字のお勉強中みたい。先生はフィーナさんで、先ほど説明して貸したばかりのペンをサラサラと使いこなしている。握りは少し独特だけど見事なものだ。
画用紙を覗き込んでみれば、カラフルな異世界の文字が躍っていた。ぎこちない線で綴られ、今にも崩れてしまいそう。それでも、獣耳幼女たちが一生懸命に記そうとした事実が極めて尊い。
何より自発的に、お勉強に取り組むその姿勢……お利口さんすぎて天使すぎる。
俺なんて、『今日は特に予定がないから何して遊ぼうかな』とかさっきまで考えていたのに。急にめっちゃ恥ずかしくなってきたよ。
「どうだ、三人とも! これがサリアで、こっちが無双の餓狼だ! よく覚えておくように!」
「これは、セレフィーナ・ルミルテ・フィルメリス・ドゥ・レーデリメニアと書いてあります。私の名前ですから、ちゃんと覚えてくださいね。もしくは、我が国の民が口々に讃える『レーデリメニアに咲く一輪の気高き白百合姫』でも構いませんよ」
ふんす、と鼻息荒く自由帳を見せつけるサリアさん。
彼女は、もとから自分の名前や異名を書くことができていたようだ。しかも獣耳幼女たち相手にとても自慢げ。相変わらず微笑ましい。
それとフィーナさん……素敵なフルネームですが、初心者にはちょっと難しい気がします。謎の異名の方も同様だ。獣耳幼女たちも小首を傾げてしまっている。この人も案外お茶目さんだよね。
というか……みんなが楽しげにペンを走らせる様子を眺めていたら、ふと自分のことが気になってきた。なにせ俺も異世界の文字を書けないからね。
ありがたいことに、女神ミレイシュの権能によって読みは完璧。しかしこれは、自然と理解できる概念のようなもの……上手く言語化できない感覚だけど。
書く方については、うちの獣耳幼女たちと大差ない。いくつか記憶している異世界の単語はあるが、知識はほぼゼロ。これまでも契約書関連でサインを求められたけど、そちらは代筆や日本語で問題なかった。でも、この先はなにがあるかわからないからなあ。
そんなわけで、俺は興味深く文字のお勉強を見守る。
と、そこで。
「んっ、できた! ルルちゃんえらい?」
「わあ、よくできたね! えらいえらい!」
自分の自由帳を抱えたルルが、俺の膝の上に滑り込んでくる。
判別には多少の愛を必要とするものの、間違いなくこの子の名前が記されていた。あまりのお利口さんぶりに堪らず頭を撫で回すと、黒い獣耳が満足げにピコピコと揺れる。
「わたし、サクタローさんとフェアリープリンセスのやつ書きたい!」
「あ、リリも! ねぇサクタロー、どうやってかくの?」
今度はエマとリリがやってきて左右に陣取り、俺の腕を引っ張っておねだりしてくる。
はて、『フェアリープリンセスのやつ』とはなんぞや……と少し頭をひねってみて、すぐに日本語を指していると気づく。
サリアさんとフィーナさんも興味津々みたい。俺の生まれ故郷を好きになってもらえたように感じられ、純粋に嬉しいね。思わずニッコリである。
俺は張り切って自由帳を拝借し、みんなの名前を丁寧に書いていく。
さくたろう、えま、りり、るる、さりあ、ふぃーな。すべてひらがなで、しかも違うカラーで並べてみた。目にも楽しく、ぱっと弾むような歓声が返ってくる。
ぜひお手本にしてね、なんて俺はまんざらでもない気分に浸っていた……のだが、エマとリリとフィーナさんの飲み込みのよさにビックリさせられる。
三人はまず自分の名前を覚えたと思ったら、すぐに全員の名前を書けるようになってしまった。ぎこちないながらも、素晴らしい習得速度だ。
対照的に、サリアさんは苦戦気味。それでも頑張ってペンを動かし続けている。とてもえらいので、晩酌にレモンサワーを一本追加します。
膝の上のルルも苦戦中。むうむう唸りながら、獣耳をピクピクに動かしている。ちょっと難しかったかな。
それなら、と軽く手を添えて補助してあげた。たちまち調子外れな鼻歌が聞こえてくる。お勉強は、できるだけ楽しくやれたらいいよね。
そんな俺たちの隣では、エマが自分で書いたカラフルな名前の羅列を嬉しそうに眺めていた。が、ふと素朴な疑問をこぼす。
「でも、おなまえはいつ書けばいいの?」
「うん? サインするタイミングは色々あるけど……そうだね。まずは大切なものに、自分の名前を書いておくのはどう?」
俺が返事をしながら頭を撫でると、腰の後ろで優しく尻尾が揺れる。
ただ学ぶだけでなく、自ら疑問と向き合うその姿勢……間違いなく天才だ!
それにせっかく覚えたのだから、積極的に活用していかなければ。その方が記憶定着もいいだろうからね。
ところが、エマはこの提案に予想外の反応を見せる。
身を乗り出して話を聞いていたリリと、何やら視線で通じ合ったかと思えば……自由帳を眺めてご満悦のルルの頬に、二人揃ってサラサラとペンを走らせた。
「これでいいね!」
「うん! かわいくできた!」
「んっ! ルルちゃんはたいせつ!」
ふっくらした頬に名前を書かれたルルは、手を叩いてきゃっきゃと大喜び。
大切なものと聞いて、エマとリリは真っ先に末の妹を思い浮かべたのかな。
続けて三人は、代わる代わる頬や額へ自分の名前を記していく。あっという間に顔がカラフルに。
微笑ましすぎる光景だ。堪らず俺がまとめて抱きしめると、獣耳幼女たちは楽しげに『きゃーっ!』と声を上げた。
「つぎはサクタローさんね!」
「俺も? 三人の大切なもの?」
「そうよ! たいせつでしょ!」
エマの提案にリリが大賛成し、揃って俺の頬にペンを走らせた。
こそばゆいのをじっと我慢していると、今度はこちらへ向き直ったルルが、鼻をふんふん鳴らしながら額にサインしてくれた。
「おい、三人とも! 私は大切じゃないのか!」
「あら、私はもちろん大切ですよね?」
痺れを切らしたように、こちらへ転がり込んでくるサリアさん。フィーナさんまで微笑みつつ、獣耳幼女たちから『大切』の印を顔に書いてもらっていた。
気がつけば、全員の顔がカラフルに。ふと思いつき、仕上げと称して近ごろ獣耳幼女たちが夢中のシールを張ってクオリティアップだ。
持ってきた手鏡を見れば、自分の顔にも可愛らしい名前が躍っている。
肌が荒れるといけないから、なるべく早く洗い流さないと。でも、その前にみんなで写真をとろう。いい記念だね。プリントアウトして飾ろうかな。
ますます冬冴ゆる風が吹きすさび、窓ガラスを白く曇らせる。しかし我が家の居間は今日も、心地よい温もりと穏やかな笑い声に満ちていた。
***
さほど間を置かず実施した二回目の炊き出しは、予想を上回る盛況ぶりだった。
集まった孤児たちの数は、なんと初回の倍近く。タリクくんと小悪党スクワッド、それにゴルドさんたちが根気強く宣伝を続けてくれたおかげだ。
ほぼ全員がやせ気味で、ボロの衣服を身にまとっている。その中には、もちろん当のタリクくんの姿もあって、他の子どもたちが混乱しないよう率先して声をかけてくれている。とても頼りになるね。
大人たちの顔ぶれは変わらず、前回と同じく持ち込んだ椅子とテーブルを並べている。もはや恒例となりそうな流れだ。温かな紅茶を提供したこともあり、周囲はピクニックめいた和やかな空気に包まれていた。
出来立てのラビットサンドを手渡していくと、一口かじるなり目を見開き、ぽろぽろと泣き出す子どもが続出した。温かくて、夢みたいに美味しい――そんな嬉しい感想が飛び交う。おかげで俺は、もらい泣きしないよう唇を噛みっぱなしである。
だが、次の瞬間。
広場の雰囲気が、わずかに固くなる。
「なあ、アンタ。その食事は、子どもしか食べられないのかい? ずいぶんいい匂いをさせてるから、気になって仕方ないんだよ」
不意に投げかけられた野太い声に、俺は顔を上げた。
視線の先にいたのは、見知らぬ獣人の中年男性。すぐお隣にはエルフの騎士さんが立っており、これ以上近づかないようしっかりガードしてくれている。
「サクタロー殿。この者が、どうしても食わせろと聞き入れぬのです。ご希望なら即刻追い返しますが……いかがいたしましょう?」
騎士さんが状況を説明してくれた。
曰くこの獣人の男性、風に乗って届く芳醇な香りに誘われて来たとのこと。問答無用で追っ払っても構わないが、近所の住人だというから念の為に連れてきてくれたらしい。
素晴らしい判断だ。こういう活動は、地域の理解が重要だからね。
平和な昼下がり、予期せぬ闖入者――ジュウジュウと肉の焼ける音を聞きながら、俺は対応を思案する。
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