第62話 フィーナさんとの月夜の語らい①
廃聖堂のフロアには、月の他にもう一つ光源があった。
隅の方にランプが置かれており、周囲は案外明るい――続けて、その隣で壁にもたれかかる竹箒に視線が引き寄せられた。
「こんばんは。本当に掃除してくれていたんですね」
「ええ。私にできることは、これくらいのものですから。それに、せっかく道具をお借りしましたもの」
俺が問いかけると、フィーナさんは月明かりのスポットの中でニコリと微笑む。
実は、泊まり込むにあたって『掃除道具があれば貸してほしい』と頼まれたのだ。空いた時間で廃聖堂の清掃をしたいから、と。
この様子を見るに、おそらくたった今まで手を動かしていたに違いない。
そもそも、真珠が手に入るまで泊まり込むと決めたのも、この廃聖堂の惨状を気掛かりに思ってのことらしい。
言い出したときは、ガンドールさんたちに反対されていたが、本人がどうしてもと押し通した。結果、建物の外で交代制の護衛を置くことで話はまとまった。
とはいえ、流石にお姫様を地べたで雑魚寝させるわけにいかない。
そこで俺は、ポップアップテントや来客用の布団一式、クッションなんかをサリアさんと協力して運び込んだ。温かい地下通路に快適な寝所を作ってあるので、雨風や寒さも問題ない。
そして、うちの獣耳幼女たちを寝かしつけてから、温かい紅茶を詰めた水筒を差し入れにきた次第である。ただ地下通路に姿が見えなかったので、こちらにいるのではと足を運んでみれば案の定、といった具合だ。
「何か足りないものがあれば、遠慮なく言って下さい。できる限り融通しますので」
「ありがとうございます。ですが、すでに十分良くしていただいていますから」
「そういえば、真珠……海神の涙ですが、近日中に手配できそうですよ」
「まあ……そんなに早くとは驚きました。重ねてお礼申し上げますわ」
セイちゃんとの通話を終了してほどなく、例の知り合いのコンサルタント(便利屋)の方とコンタクトが取れた。それでこちらの要望を伝えたところ、『二日ほどお時間を頂戴すれば問題なく揃えられます』との返事が届いたのだ。
肝心の真珠のサイズは、『9ミリ』をリクエストした。一般的に大玉と呼ばれる範囲は8ミリ以上とされているが、狙うはそれを超す上物である。
もちろん、フィーナさんにも確認済み。
大きさが視覚的にわかるよう紙に円で記し、寝所を設置するついでに見てもらったのだ。好奇心に誘われて顔を出したガンドールさんたちも含め、特使団が探し求めていた物よりも間違いなく大きい、と目を丸くして驚いていた。
ちょっとサイズオーバーかな……と心配したものの、大きい分には祭具の方を調整すると了承が取れたので、俺としては満足いく逸品を買い求めるつもりだ。
真珠の品質には、色艶や形、傷なんかも影響するそうだが、やはり一切妥協ナシでいく。
必要な数は十粒。気になるお値段は……未加工で納品する場合、トータルで約40万円。鑑定書付きで、コンサルタントさんの手数料込みの金額である。ミレイシュ様への捧げ物だからね、奮発しちゃうよ。
当日に実物をしっかり確認できるようなので、慎重に吟味するとしよう。
ついでに、うちの祖母の真珠のネックレスを手入れする専用クロスと新しい保管箱も注文した。
コンサルタントさんの補足説明によれば、真珠にも寿命が存在し、高品質なものでも10年ほどで劣化が顕著になっていくそうだ。
鑑定書の記載を見るかぎり、うちの祖母のネックレスがちょうどそれくらい。しっかり手入れして、少しでも長持ちさせないとね。
こうなってくると、当然フィーナさんたちに真珠を譲ったあとのことが気になってくるわけだが……国元ではどのように管理しているのだろう。
「ところで、フィーナさん。海神の涙って、何年か経つと劣化しますよね? どうやって保管しているんですか」
「劣化というと……海神の涙が、茶色く変わってしまうことをおっしゃっているのですよね? やはり年月の経過によるものでしたか」
ああ、やはりな――俺は返事を聞いて腑に落ちた。
知っていたのだ、このお姫様は。それどころか、劣化した真珠をその目で見たことがあるのではないだろうか。
「海神の涙を耳飾りにしたくなった、なんて嘘だったじゃないですか?」
「あら、どうしてそうお思いに? 私は、国ではお気楽で評判の末姫ですのよ」
月の光の中から歩み出て、薄闇に紛れつつ問い返してくるフィーナさん。
俺は劣化と言っただけで、色についてまでは触れていない。であれば、記憶にあった光景が思わず口をついて出た、と考えるのが自然だ。
「おそらく、フィーナさんは変色した真珠を見た。それはきっと、祭具に付随していた物でしょうね。同時に、莫大な修繕費用がかかることに気づく――すなわち、お兄さんの王位継承に瑕疵がつくと危惧した。だから、スッポ抜けたふりをして壊した……」
あるいは、お兄さんも協力者なのでは?
王位継承するにあたり必要な祭具の真珠が劣化した。その修繕に莫大な費用がかかるとなれば、国民からの支持にも影響する。
日本で言うと、巨額の税金を消費して総理大臣に就任するようなものだ。非難轟々で、ろくな政権運営など望めまい。
こういうのは、自分に恩恵がないと受け入れ難いし、いくら本人のせいでなかろうと大衆の理解は得づらいものだ。おまけに、ネガティブなイメージが付いてしまえば後の執政にまで支障が出る。
そこで、フィーナさんは一計を案じた。
国が乱れるくらいならばいっそ自分が悪者になればいい、と。
彼女は奔放で知られつつも、民からアイドル的な人気を誇る。ましてミレイシュ様の巫女ともなれば、その名声で王家へ悪影響を相殺できるかも。それどころか、『あの姫様のやることだ』と消極的ながらも容認される可能性まである。
「どうでしょう? 意外と核心をついているのでは、とか思うのですが」
「ふふ、それはサクタローさんの過大評価ですよ。海神の涙が変色することは、いくらか把握しておりました。ただ、年月が理由というのは初耳ですけれど。でも、そうですね……素敵な夜ですから、少しお話をしましょうか」
フィーナさんはまた月光のスポットの中へ戻り、淡い微笑みを浮かべる。続いてどこか懐かしむような語り口で、自分の過去を明かしていく。
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