第51話 お試しドライブ
「これがクルマ……本当にこの鉄の塊が動くのか? それも馬なしで……」
いったん洗面所へ戻り、鳩を捕まえたエマの手を念入りに清める。それからまた靴を履き、前庭へ戻ってきた。
すると、敷地内に止まっている黒の国産SUV――マイカーをじっと凝視するサリアさんが、不思議な生き物でも眺めるみたいに首をかしげた。アニメやテレビで知識はあっても、これが自走するなんてまるで信じられない様子。
飛行機とか間近で見たらどんな反応するんだろう。いつか国内旅行とかも行きたいよね。北海道の有名な動物園とか最高に楽しそう。
「ちゃんと動くから楽しみにしててよ……みんなも安心してね、怖くないよ」
「ほんとうにコワくない……?」
「このこ、リリたちのことたべたりしない?」
サリアさんに返事しつつ、足元にある三つの頭を順に撫でていく。車の側まできたら急に怖くなったみたいで、獣耳幼女たちがしがみついて離れなくなってしまった。
優しく声をかけるも、エマとリリはとても不安そう。ルルも怖いみたいで、俺のズボンをぎゅっと握りしめている……それにしても、獣耳がないとこんなに撫で心地が違うのか。いつもの手触りが恋しくなってきた。
いや、今は余計なことを考えている場合じゃない。
どうにか不安を拭って、お出かけを好きになってもらわねば。
「この子はね、もう何年も俺を乗せてくれているんだよ。だから、みんなも仲良くしてくれると嬉しいな」
この車は、元は実家で使っていたものだ。大学を卒業したばかりの頃、新車に買い替えるというので譲り受けた。以来、大切に運転している……とまではいかないが、それなりに愛着はあるので『怖がらないであげて』と笑顔で語りかけた。
「なんねん……? このこもお友だち?」
「じゃあ、やさしくする!」
真っ先に反応してくれたのは、エマとリリ。俺のズボンから手を離さないものの、そっと車に近寄ってボディを撫でてくれた。ルルも、恐る恐る指先でツンツンしている。
「三人とも、ありがとう。すっかり仲良しだね。さて、そろそろ出発しようか」
スマートキーをポケットに入れたままドアハンドルへ手をかけ、まずは後ろの扉を開く。
エマたちは音に驚いていたが、もうあまり怖がってはいない。むしろ好奇心が勝ったようで、サリアさんと一緒にかわるがわる中を覗いていた。
興奮が少し落ち着くのを待ち、それぞれ席に座らせていく。荷物のトートバックは助手席へ投げておいた。
マイカーは三列シートのウォークスルータイプで、すでに配置も決まっている……というより、各自の体格を考慮したら自然とそうなった。
実はうちの獣耳幼女たち、日本の平均と比較してかなり小柄みたい。なんとなく『小さいな』とは思っていたけど、測ってみてビックリした。これまで、成長に必要な栄養素が不足していたせいだろう。
それゆえ、リリとルルにはジュニアシートが必須。これは先日ネットで購入して、二列目に設置済み――他のシートには取り付けられない仕様だったので、二人はここで決定だ。
エマは体格基準をギリギリ満たしていたから、三列目でスマートキッズベルトを装着してもらう。隣にはサリアさんが座るので、寂しくはないはず。
俺がそう説明すれば、みんな聞き分けよく席についてくれた……末っ子の一人を除き。我が家きっての甘えん坊は、ジタバタしながら断固拒否の構えを見せる。
「んぅぅっ! だっこ!」
ジュニアシートに座らせるも、ルルは服を掴んだままイヤイヤと顔を横に振る。どうやら本人は、俺に抱っこされたままお出かけするつもりだったみたい。ドライブが何かなんてわからなかったもんね。
甘えられるとつい甘やかしたくなる(錯乱)……が、流石に今回ばかりはダメだ。安全に差し障りがあるし、今後を見据えると慣れてもらわねば。もちろん、こんな事態への備えもしている。
「ほら、よく聞いてルル。このお歌、何かわかる?」
俺はスマホを取り出し、画面のミュージックアプリをタップする。その途端、聞き馴染みのあるポップなイントロが車内に響き始めた。
「あ、フェアリープリンセスだ!」
イヤイヤしていたルルに代わり、三列目のシートに座るエマが弾けるような笑顔を浮かべ、元気いっぱいに正解を言い当ててくれた。さらに明るい歌声が流れ出せば、リリやサリアさんも加わって合唱スタート。
こうなれば、ルルもたちまちニッコニコ。
独特のテンポで体を揺らしながら、どこか調子外れな歌声を披露してくれた。
「それじゃあ、出発しようか。安全運転で進むから、外の景色も楽しんでね」
リアモニターがあればアニメを写してあげられたんだけど、オプション装備だからね……それはともかく、ようやく出発だ。
俺は運転席に座り、エンジンボタンをプッシュ。サイドブレーキのロックを解除し、シフトレバーをドライブに入れてゆっくりアクセルを踏む。
静かに動き出した車は、我が家の敷地を後にする。細い村道を抜け、緩やかなカーブを曲がって最初の信号を左折。都道三十三号線に入ったら、しばらくは自然豊かな渓谷沿いを進む。落葉の『秋川』もまた風光明媚だ。
ひとまずは、隣市にある大型スーパーを目指す。メインはドライブだが、せっかくなのでお菓子とか買ってあげたい。ついでに、食材を多めに確保する予定だ。
ただしスーパーに寄るかどうかは、みんなの体調などを考慮して判断する。今回は慣れるためのお試し外出だし、車酔いなんてしたら一大事である。
先ほどから元気いっぱいに合唱しているから、大丈夫だとは思うけど……他にも心配な点がいくつかあって、内心ではワクワクとドキドキがせめぎ合っている。
運転しながらも、頭の片隅にとりわけ懸念していた事柄がちらつく――それは、みんなの言葉の問題だ。
俺のこの耳は、エマたちが発する言葉を『異世界の言語』として捉えている。にもかかわらず、日本語として理解できるのだ。まったくもって不思議だが、きっとあの虹色ゲートがもたらした奇跡の一つだろう。
逆にエマたちがどうかと言えば、やはり似たような感じだった。
テレビや会話では日本語が聞こえてくるものの、自然と意味がわかるそうだ。先日、三人揃って拙いながらも頑張って教えてくれたので間違いない。
一方、サリアさんは違う。そもそも日本語が認識できず、異世界の言語として聞こえるらしい。
ゴルドさんやケネトさんなど、他の異世界人の方々もおそらく同様だ。でないと、これまで指摘されていないことに説明がつかない。
すなわち、俺たち四人は特別なのだ。もしかしたら、女神ミレイシュ様が贔屓してくれたのかもね。感謝を捧げます。
では、他の日本人、及び地球人はどうなのか?
仮に俺たちと一緒で、異世界の言語を認識できるとしたら……どう考えてもマズい。未知の言語ってだけでも問題なのに、自然と意味がわかるなんて不審どころの騒ぎじゃない。
そこで、検証してみました。
勝手に実験対象とさせてもらったのは、幼馴染のセイちゃんと実姉。
二人に順番で電話をかけて、サリアさんや獣耳幼女たちと会話してもらった。無論、こちらの事情はぼかしつつ口止めしたうえで。
結果は、想定の中でも最良――なんと、流暢な日本語のみが聞こえてきたらしい。
信用できる協力者のおかげで、言葉に関しては半分くらい安心できた。とはいえ、サンプル数が少なすぎるし、直接顔を合わせているわけじゃない。
つまるところ、ちょっとスーパーに寄ってみて、周囲の人々に怪しまれたらその時点で速やかに撤退する算段だ。
まあ、俺は『きっと大丈夫』と楽観視している。じゃないと、みんなに気兼ねなく日本を楽しんでもらえないからね。そんなの悲しすぎる。
もしダメだったら、異世界の廃聖堂の女神像にお供え物をして、いい感じになるようミレイシュ様にお祈りしまくろう。
「本当にクルマがたくさん走っているのだな……この街はスゴイな!」
「ねぇ、サクタロー。あれがシンゴー? テレビでみたのといっしょ? なんでたくさんあるの? こっちのは? あれなに?」
「おっきなマチだね~! あっ、あそこにちっちゃな子いる! わたしたちといっしょだ!」
赤信号に引っかかると、サリアさん、リリ、エマ、と順に三人の楽しげな声が耳へ飛び込んでくる。おかげで、さっきまでの思考が吹っ飛んだ。
現在は、ちょうど丘陵地を過ぎて隣市に入ったところだ。みんな歌を口ずさむのも忘れ、様変わりした周囲の光景に目を奪われていた。バックミラーで確認すると、ルルも夢中で窓の外へ目を向けている。
ここまで来たら、スーパーまでは十分もかからない。平日で道も空いている。
ふと遊び心が湧いて、車が走り出してから窓を少し空けてみた。すると思った通り、賑やかな声に強い興奮の色が混ざる。
それからまた、街の景色を楽しみつつ大通りを進み……とある信号の手前で、俺はウインカーを出してハンドルを切る。
続けて車はゆっくりと、大型の駐車場へ侵入していく。その奥には、若木のマークの屋上看板が印象的なスーパーマーケットの建物が鎮座していた。
さて、ひとまず目的地に到着だ。
みんな元気そうだし、予定通り買い物して帰りますか。
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