第22話 奴隷契約の成立
「どうやら交渉はうまくいったようですな。では、このまま条件について詰めてしまいましょう」
俺とサリアさんが元のテーブルに戻ると、ヴァルドさん主導で契約に関する協議が始まった。
ゴルドさんにお願いして新しいお茶を入れてもらい、軽く喉を潤す。それから、気を引き締めて交渉に臨む。
まずは、奴隷となるサリアさんの条件から。
護衛を中心とした任務のほか、日常の雑用なども義務に含まれる。
契約主(俺)は衣食住を保障し、働きに応じて日ごとに報酬を支払う。その累計が購入代金に達した時点で、奴隷は解放される。
命令には従うが、主の命を脅かす場合に限り拒否が許される。逃亡や反逆は、『隷属の首輪』によって制裁される仕組みだ。秘密保持にも同様の処置が適用される。
そのほか、ヴァルドさんの取りまとめによって、この街で一般的とされる項目が盛り込まれた。全体的にかなり自由度の高い内容となっている。
これは俺が希望したのと、サリアさんが高級な奴隷ゆえの措置らしい。通常はここまで配慮されることはないし、もっと大雑把だそうだ。
「ふむ。私としては、あとは娯楽と迷宮に関連する記載があれば問題ない」
ヴァルドさんのお付きの方が、用意した羊皮紙らしきものに羽ペンを走らせていく。どうやらこれが契約書らしい。二枚用意し、主と奴隷がそれぞれ保管するのだという。
加えてサリアさんの要望通り、例の迷宮関連の条項もきっちり反映された。もちろん俺に異論はない。
「ではサクタロー殿、次は支払いのほどよろしくお願い申し上げます。サリア・グレイファング――この者の身請け代金は、リベルトリア金貨で『五百枚』となっております」
おお、結構なお値段……現地の物価を正確に把握しているわけではないが、感覚的に相当な高額だと理解できる。そのうえ予想通り、たった今ヴァルドさんが提示した額は、俺の手持ちの金貨では到底足りるものではなかった。
ならば、どうするか?
答えは決まっている――日本の品々を売って資金を作るのだ。
今回の目玉だったティーカップはお礼として贈ってしまったが、持ち込んだスーツケースの中にまだたくさんの物が残っている。
「ゴルドさん、少し相談が……」
「いかがなされた? サクタロー殿。もし資金のことであれば、心配はいらぬ。先日お売りいただいた品々に想像以上の値がつきそうでな。その分をお返しせねばと思っていたところである」
聞けば、前回売った品々に思ったより高値がついたそうだ。そして、過剰な利益分を俺に還元しようと考えていたらしい。
この商談にも、もともと資金を負担するつもりで立ち会っていたのだとか。もちろんヴァルドさんにも事前に話を通してある。
本当にいい人だ……誠実すぎる商人のおかげで、手持ちの金貨と合わせれば問題なく支払いを済ませられそう。
「資金の方も問題ないようですな。それでは、契約の儀に移りましょう」
前回手に入れた金貨を差し出して精算を終えると、いよいよ本契約へと進む。
ヴァルドさんが合図を出すと、お付きの方が小箱をテーブルの上にそっと置く。続けてフタが開けられ、中には……細身の黒いチョーカーのような装飾品がひとつ、ふっくらとした内張りに収められていた。
「こちらが『隷属の首輪』でございます。サリア、にはこれを。サクタロー殿は指先に針を立て、血の印を」
ヴァルドさんはチョーカー……改め隷属の首輪を取り出し、サリアさんの背後からその首に装着した。俺には、おつきの方が布に包まれた針を差し出してくる。
指先を傷つける必要があるらしい。血判みたいだ。清潔かどうか気になって尋ねれば、新品だと答えてくれたのでちょっと安心した。
「ではサクタロー殿、血の付いた指でこの首輪をなぞってくだされ」
色々と疑問はあるが、今はヴァルドさんの指示に従う。
俺は血のにじむ指先で、隣に座るサリアさんの隷属の首輪をまっすぐなぞった。直後、それは唐突に淡い光を放ち――数瞬ののち、すっと元に戻る。
幻想的で、ファンタジー感満載の光景だった。異世界ならではの不思議体験である。
「以上で契約は完了でございます。サリア、なにか不調などはないか?」
「やや魔力の流れに違和感を覚えるが……まあ、そのうち慣れるだろう」
え、もう終わりなの?
あまりにもあっさり奴隷契約が完了してしまい、拍子抜けして思わず尋ねてしまう。すると、ヴァルドさんは「問題ありませぬ」と穏やかに微笑んだ。
今後、主である俺に対してやましい感情を抱くたび、隷属の首輪はサリアさんの魔力の揺らぎを捉えて反応するらしい。原理は意味不明だが、先ほど交わした契約が基準になるという。これが『神器』を元にした道具の力なのだとか。
「サリアよ、これからはサクタロー殿によく仕えるのだぞ。博打も控えるようにせねばな。それと、何でも暴力で解決しようとする考えも見直す必要があろう」
まるで都会へ出る孫を心配するかのように、穏やかな眼差しでヴァルドさんは注意する。対するサリアさんは、『あー、はいはい』と気のない返事をしていた。完全に聞き流しているな。
周囲もちょっと呆れ気味……そんな空気を変えるように、お茶のカップをカラにしたゴルドさんが口を開く。
「ところで、サクタロー殿。他にも何か、珍しい品をお持ちのようですな?」
「ええ、よろしければご覧になってください。気に入った物があれば、ぜひお求めいただければと」
ゴルドさんは、テーブルの横に置いてあるスーツケースに興味津々のご様子。こちらとしても手持ちの金貨をすべて吐き出したところなので、まさに渡りに船である。
さあ、異世界貿易のスタートだ。
「……と、その前に。サクタロー殿、あちらを」
ゴルドさんは手のひらで示しながら、俺の斜め後ろへ視線を向けた。つられて振り返ってみれば、謎の地下通路と繋がる廃聖堂内の小部屋から、代わる代わるこちらを覗き込む小さな頭を三つ発見した。ピコピコ揺れる獣耳がなんとも可愛らしく、思わず頬が緩む光景だ。
「エマ、なにかあった?」
「……サクタローさん、おなかすいてないかなって」
俺が声をかけると、エマが壁に体を半分隠したまま答えてくれた。その背後には、リリとルルの顔も見える。
肝心の用件を聞けば、お腹をすかせてないか心配になって見に来たという。キッチンにあったバターロールを持ってきてくれたみたい。
まったくもって天使だ。嬉しさのあまり、すかさず手招きする。
エマ、リリ、ルルの三人が、揃って小さな体でトテトテとこちらへ駆け寄ってきた。俺が膝をついて迎え入れると、楽しげな悲鳴を上げながら勢いよく胸元に飛び込んでくる。
「ゴルドさん、よければ自由にご覧になっていてください。この子たちにサリアさんを紹介したいので」
ゴルドさんたちは、幼女たちがどこから出てきたのか気にしていたが、曖昧な笑みでごまかす。次いでスーツケースを広げ、しばし品を見ていてもらうことにした。
その間に、俺は足にしがみつく幼女たちにサリアさんを紹介する。
「こちらは、サリアさんだよ。この聖堂を守ってくれるんだ。三人ともご挨拶してね」
護衛が必要なくなった段階でサリアさんは解放するつもりだ。なので、どれほどの期間を共に過ごすかは不明である。けれど、幼女たちとは異世界の生まれ同士、ぜひとも仲良くしてもらいたい。良い関係を築いてくれたら将来的にも安心できる。
「は、はい……あの、わたしはエマです。六さいです」
「これはご丁寧に痛み入る。私はサリア・グレイファング、十八歳だ」
え、サリアさんって十八歳だったの!?
バターロールの袋を抱えるエマが真っ先に自己紹介をしてくれたのだが、俺はその頭を優しくなでつつも驚きを隠せなかった。
外見から、勝手に二十歳そこそこかと思っていたよ……最近の子が大人っぽいのは、異世界と日本の共通事項なのかも。
ちなみに、こちらでは十五歳が成人らしい。ヴァルドさんがそう教えてくれた。
「さりあ……? ねえ、あなたってあのサリア? 迷宮のスゴイひと?」
「うむ、その通り。迷宮のスゴイ人でサリアといえば、この私を置いて他にいるまい」
続いてリリが、俺のズボンを掴みながら問いかけた。
発言の内容から、この子たちですら知っているほどの有名人らしいことが判明し、さらに衝撃を受ける。エマも「スゴイひとだっ!」と目を丸くしていた。
この反応には、サリアさんもふさふさ尻尾を揺らして満足げ。幼女にまで知られていたのが嬉しかったのだろう。
唯一ルルだけは興味がないようで、さっきからずっと俺の体をよじ登ろうとしている。
この子は本当にマイペースだな。こらこら、服がのびるから……仕方ないので抱き上げると、ようやく落ち着いてくれた。
「あ、ずるいっ!」
「わぁ、いいな……」
こうなれば、リリとエマが羨ましがるのはいつもの流れ。もちろん俺は、『順番にね』と声をかけようとした。
ところが、ひょいっと。
サリアさんが、二人の幼女を左右の腕でそれぞれ抱き上げてしまう。
「わっ、サリアすごい!」
「重くないの?」
「まったくだ。これくらい、小石を持ち上げるのと大差ない」
すごいパワーだ……はしゃぐリリとエマを左右に抱え、まったく揺らぐことなく立つサリアさんに再び衝撃を受ける。
女性の細腕で、いくら小柄とはいえ二人を同時に抱え上げるなんてなかなかできることじゃない。俺でもちょっと躊躇するくらいの重量はあるぞ。
「サリアは、大岩を軽々と放り投げたこともありますゆえ。可愛らしいお嬢さん方くらいであれば、まったく負担に感じないでしょうな」
こちらを眺めていたヴァルドさんが、サリアさんの武勇伝をひとつ披露してくれた。
本人は「他の探索者とケンカになってしまったときの話だ」なんて、ちょっと照れくさそうにしているが……もう驚きすぎて、逆にすんなり受け入れられた。
ともあれ、頼もしい仲間を得た。
金貨はすっからかんになったが、それはまた稼げばいい。何より、身の安全には代えられない。
そんなわけで俺は先行きに期待を抱きつつ、ゴルドさんだけでなくヴァルドさんも含め、日本の品々を売り込んでいった。
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