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【エピローグ】

   エピローグ


 私はこの場所が好きだった。何度も足を運んだ丘であったが、夜に来たのはもしかしたら今日が初めてかもしれない。

 満天の星空の、中心に浮かんでいるのは満月。月の光に照らされて、丘の表面を覆っている若草色の絨毯が青白く輝いていた。山中にぽっかりと口を開けているこの丘からは、ラテルナの街が一望できる。夜景を見たいとの一心で、気が逸ってしまうのだろう。私の静止に耳を貸さず、息子が一目散に駆けていってしまった。

「転ばないようにね」と背中に声をかけた。


「うん、わかってる」


 振り返った息子の、ブロンドの髪が吹く風になびいた。

 息子は今年で八歳になる。さらさらとしたその髪質は、どちらかと言うと父親譲りだ。

 密度の濃い闇は恐怖心をあおるが、叙情的なその雰囲気は、同時に好奇心を見るものに抱かせる。純真な子どもであればなおさらだろう。はしゃぎながら駆けていく小さな背中を見つめ、かつては私もそうだったと懐かしく思う。子育ては追体験の連続とはよく言ったものである。


「きれーい」

「絶景だろ。気にいったかい、シェルド」

「うん」


 隣に主人がやってきて、息子の頭を撫でた。息子が無邪気に微笑む。その笑顔が、一瞬だがあの日のシェルドのものと重なった。

 夜なので、街の景色はおぼろげにしか見えない。けれど、ぽつぽつと見える街の灯は、ここからではそれを確認することが叶わなくとも、たくさんの人たちがこの街で暮らしているのだということを予感させる。

 あれから、十年の月日が過ぎた。今から十年前、この街で起きた事件のことをほとんどの人は知らない。

 知らないままで、いいのだと思う。

 お互いに不干渉のまま、それでも時は流れていく。

 私の知らないところで。


「ちっぽけだなあ……」


 あれほど思い悩んでいた日々のことも、こうして今想起してみると他愛のないことに思えてくる。

 ふと視線を下ろすと、いつの間にか息子が隣に立っていた。私を見上げて、「母さん」と呟いた。


「ん? なあに?」

「……ううん。やっぱりいいや」

「なあに、気になるじゃない」

「……母さん、ずっと元気でいてね」

「シェルド?」


 息子はそれっきり口を噤んでしまった。

 何か声をかけなければと思い、しかしやめておいた。二人はどちらも大切な自分の息子であって、それでもやはり二人は違うのだ。同じであって、同じじゃない。あの日のことは忘れない。大切な思い出として、胸に仕舞っておこうと思う。


「父さん」

「なんだい? ……たまには俺にも甘えてくれていいんだぞ?」

「……じゃあさ、……ぎゅってしてよ」


 主人が微笑む気配がした。主人は息子を優しく抱きしめて、それを後ろから見ていた私の肩にも手を回して、二人一緒に抱きしめられた。


「三人でぎゅーだな」

「もう、馬鹿ね」


 息子は顔をくしゃくしゃにして笑った。その笑い顔はまさにあの日のシェルドのもので、私は胸が締め付けられるようだった。思わず泣きそうになるが、なんとか堪えた。

 ――ラテルナの街が一望できるあの丘にもう一度二人で行きたい。

 あの日君が語った願いは、少し形は変わったけれども、こうして叶えられた。


 君が未来からやって来て、運命の輪に捕らわれていた私を助けてくれてから、もう十年もの月日が流れたよ。

 私の中にあった邪は消えて、それ以後、私が『奈落の君』として目覚めることはなくなった。

 モンテ導師は罪を償ったあとで職場復帰をして、それから気持ちを入れ替えたように模範的な教師となった。

 カレッジを卒業後、エドは著名な冒険者パーティからスカウトをされて冒険者になった。今ではすっかり世界を股にかけて活躍する有名人で、数年に一度しか顔を合わせない。時々昔の話はするが、彼はシェルドのこともプレアのことも忘れてしまっているので、時々話がかみ合わなくなる。

 いなくなった人間は、人々の記憶から忘れ去られてしまうのだ。

 私だけが覚えていることを、時々寂しく感じてしまう。

 リアンダー先生には何度も感謝をされた。先生の恩師であったディケさんの生家を教えたところ、ぜひ挨拶に伺いたいとのことで二人で行くことになった。

 リアンダー先生とアベルは、ディケさんのことを懐かしそうに二人で話していた。

 穏やかな顔で、思い出話に花を咲かせている二人を見ているだけで、私まで幸せな気持ちになった。

 またいつでも遊びにきて、と声をかけられて、そこからアベルとの交流が始まった。

 二人で一緒に過ごしているうちに、いつしか私は恋に落ちた。

 アベルの横顔に、彼の面影を感じていたせいかもしれない。きっとこれは運命なのだと、そう思った。

 私とアベルは結婚をして、それから息子を授かって、幸せと苦労が一緒にやってきた。子育てに追われる毎日を過ごしているうちに、私が駆け抜けた冒険譚は、遠い昔の記憶となった。


 ――本音を言うと、怖かった。


 一度世界からその存在が抹消された人間は、もう二度と歴史の表舞台には出てこないのではないかと、そう思っていたから。私のせいで存在が否定されて、シェルドとはもう会えないのではないかと思っていたから。

 けれど、彼との運命の糸は確かに繋がっていた。

 無事、元気な男の子が生まれた。シェルドと名付けた息子は、日々すくすくと成長している。息子はアベルの面影を色濃く引き継いでいる。髪の色と仕草は、十中八九アベル譲りだろうと思う。瞳の色は私と同じなので、そこは私に似てくれたようだ。成長するごとに、あの日の君の雰囲気に近づいていくことに、人知れず目を細めてしまう。

 十六歳で人生を終えてしまった君に、その先の人生を与えるのが当面の目標だ。

 私の運命を変えてくれた君に、今度は私が恩返しをする番だ。

 空を見上げると、無数の星々が瞬いていた。

 この星たちと同じように、この世界には数えきれないほどの人が暮らしている。一人ひとりの人生は、星の瞬きくらいに一瞬で儚いものなのだろう。

 それでも、その一瞬の輝きのために、誰しも懸命に命を燃やす。

 彼がつないでくれたこの生を、一生懸命に輝かせたいと私は思う。

 母さんから私へ。私から君へ。命のバトンをつないでいくよ。

 君が生きていて良かったと、そう思える人生を送れますように。

 この命が尽きるまで、君に精一杯の愛を捧げ続ける。

 ありがとう、シェルド。


「母さん、なんか言った?」


 息子が振り返って私を見た。息子の金色の髪を見るたびに、私は愛しい人のことを思い出す。


「ううん、なんでもないよ」と息子に微笑みかける。

「そろそろ帰ろうか」と主人が言うので、私は頷いて息子と一緒に丘を下った。


 私のお腹の中には、新しい命が宿っている。

 私が生きる意味がまたひとつ増えるのだと思うと、今から楽しみだ。男の子か女の子かまだわからないけれど、きっと女の子だろうと私は思う。

 娘の名前はもう決まっているんだ。

 それは、この世界で、私だけが知っている、名前なんだ――。


 了


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