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【私はあなたを否定する】

 玄関の扉を開けると、制服姿のプレアが立っていた。らしくもなくはにかみながら、それでいて澄ました顔をしている。「おはよう」と挨拶を交わし合った。


「じゃあ、カレッジに向かおうか」


 プレアは無言で頷いた。

 昨日の出来事はすべてが夢だったのだと、そう思いたくなるような晴れやかな笑顔だった。

 空はよく晴れていて、風は少しだけ冷たくて、隣には一緒に戦ってきた友がいて。

 それは、いつも通りの朝だった。何度も繰り返されてきた、物語のスタートだった。

 私がすべてを忘れていたら、本当にそうなったのかもしれない。


「今日の一時限目、なんだっけ?」


 沈黙に耐えられなくなって、私から会話の口火を切った。


「ジェラミー先生の、化学の授業だね」

「うーわ、最悪。私、あの先生苦手なんだよね」

「それは、レイチェルが実験で失敗ばかりしているからでしょ?」


 プレアがくすくすと楽しげに笑う。


「授業をちゃんと聞いていたら、八割はうまくいくんです。昔の偉い人もそう言いました」

「誰よ? それ」

「私のお母さん」

「ははは」


 冗談にしてはきつすぎる。

 カレッジまでの道を歩きながら、いろんな話を交わす。授業のこと、友人のこと、将来のこととか。

 将来のことを話したのは、思えば初めてのことだった。これまでは、話題に出す必要がなかったから。


「レイチェルは、昨日のことを覚えているんだよね」


 瘡蓋を剥がして傷口に触れるときみたいな、ためらいのある声だった。プレアにしてはらしくないが、お互いの感情をぶつけ合った翌日なのだからしょうがない。腹の探り合いは、ここまでということなのだろう。


「全部覚えているよ。正確には、昨日の記憶じゃないけれどね」

「だよね」


 このやり取りだけで伝わるのが、すべての答えだった。私も彼女も全部覚えている。

 死の間際の記憶が消える法則のせいか、自分がどうやって死んだのかはわからない。だが、そこに至るまでの出来事はすべて記憶していた。


「今、何パーセントくらいなの?」


 曖昧な質問だったが、これで伝わると確信していた。


「三十くらいかな」

「意外と低いね」

「満月の夜が過ぎると、急激に力が衰えてしまうからね」

「なるほど」


 プレアは霊界から来たと言っていた。この世界の住人ではない彼らは、月の満ち欠けの影響を強く受ける。満月の夜以外は、ろくに力を発揮できないと見てよいのだろう。

 三十パーセントか。思っていたより低い。六月一日の彼女がしかけてくる時間帯は、雨上がりの空に満月が出ていた。あのタイミングであれば、きっと百パーセントなのだろう。


「今、私がプレアを倒そうと思ったら倒せるのかな?」

「倒せるんじゃない? レイチェルの魔法の力は、素の私よりもたぶん強いから」

「これ、あまり友だちっぽくない会話だね」

「実際、友だちじゃないからね」


 自虐的な笑みで返すと、数秒沈黙が漂った。

 朝の空気が冷え込んでいるから――なのだろうか。ぴりりとした緊張感が漂っているせいだろうか。大気が刺々しく感じられて、全身にうっすら鳥肌が立った。

 ごくりと、喉が鳴った。


「ねえ、レイチェル」

「うん?」

「レイチェルのこと、母さんって呼んでもいいかな?」


 突然どうしたの? と思うが、彼女がそうしたいという気持ちはうっすら理解できた。私も、母さんのことを、もっと名前で呼びたかったから。


「いいんじゃない? 本来、それが正しい呼び方なのだろうしね」

「ふふ、ありがと。じゃあ、遠慮なくそう呼ばせてもらうわ。……ねえ、母さん」

「なに、プレア。……ってこれ、なんだか恥ずかしいね」

「あははっ」


 屈託のない顔でプレアが笑う。それは、私がよく知っているプレアの姿だった。


 カレッジに着いた。カレッジの敷地内にはどこもかしこも砂が敷き詰められているから、歩くたびにジャリジャリと音がする。そこに、私たちの足音が重なった。


「もう、気付いているかもしれないけれど、母さんが邪悪化するかどうかで、生まれてくる子どもが違ってくるみたいなの」

「この間、それには気付いたよ。それを知っていたから、プレアはこの世界に来たの?」

「ん~……」


 プレアが、少し考える時間を置いた。


「それは、少し違うかな。自分がより大きな力を得るためであると同時に、自分が生まれてくる未来を確定させるのが目標ではあったけれど、自分が母さんの娘になれない可能性があるとは思っていなかった。それを知っていたら、もう少し本気になったよ」

「……驚いた。あれで本気じゃなかったの?」

「なんてね。……本気だったけどさ」


 プレアが寂しそうな顔になる。ガラス玉を弾いたときみたいな、硬くて澄んだ声だった。


「前々回は、しかけを早くしていたものね」

「……ああ、やっぱり気付いていたんだ?」

「ぎりぎりまで、気付かなかったけれどね。四周目のしかけが五月の中旬だったのは、そこが満月の日だったからなのね?」

「そう。……でも、あのタイミングで覚醒条件を整えるのは厳しかった。無茶をして条件を整えても結局妨害をされた。だから、あれを最後に無茶をするのはやめたの」

「……まあ、賢明な判断だね」


 私でもそうするだろうなと思う。そもそも、何度も図書館を燃やされたのではたまらない。プレアも、気に病んでいたのではないか。それはないか。


「自発的にイレギュラーな行動を取るのは、因果の外側にいる者に限定される。こうして考えていくと、おのずとわかった。この条件に当てはまる人物は、思えば二人しかいなかったしね」

「……そうだね。私も、もう少し早くシェルドの存在に気付くべきだった。そうしたら、何かが変わっていたのかな?」

「私は変わってほしくなかったけど?」


 プレアには申し訳ないが、それには同意できなかった。あなたの思う通りにはさせられない。「そっか」と彼女は呟いた。


「鉢植えが落ちてきたとき、助けてくれたのはシェルドだったのだから、落とした人物は別にいる。図書館が火事になったときもそう。火を放ったのがシェルドであるなら、私を救出する意味がない。最後のモンテ導師のときもそうね。私を陥れようとしている犯人がシェルドであるとしたなら、蚊帳の外に自らを置く理由がない。それこそ、黒幕は他にいるのだと宣言しているも同義だよ」

「そっかあ……確かにそうだね。最後の最後で、詰めが甘かったなあ……」

「ガーゴイルを召喚したときは、現場検証に同行したときに魔法陣を消したんでしょ? 見つかる前に、ね」

「さすが母さんだね。それでこそだよ」


 諦念が滲んだ笑みをプレアが浮かべた。


「ねえ、母さん」

「なに?」

「母さんがいる場所は、ここじゃないんだよ。……私のお母さんになってもらえないかなあ? 私のこと、嫌い?」

「質問が多いよ」


 こんなところだけ、妙に子どもっぽかったりするものだから、思わず笑ってしまう。


「プレアのことは好きだよ。でも、ごめんね。私の居場所は間違いなくここだし、あなたのことを娘だと認めることもできない。私は、あなたの存在を『否定』する」

「そっか。そうだよね」


 プレアが、目に見えて浮かない顔をした。


「じゃあ、いいや。……でもね、母さん」

「今度はなに?」

「……ううん。なんでもない。しょうがないことだもんね」

「うん」


 私は、それ以上は追及しなかったし、プレアもそれきり口を閉ざしたから、この話はここで終わった。

「じゃあ、さようならだね」とプレアが言う。プレアの姿が次第に薄れてくる。


「もう時間みたい。そろそろ、霊界に帰る時間みたい」

「いろいろあったけれど、仲良くしてくれてありがとうね、プレア」

「今回はここまでみたい。でも、たぶん母さんは私とまた出会うことになるよ。……もしかしたら、きっとね」


 プレアの体が眩い光に包まれる。真っ白な光にかき消されるようにして、彼女の姿は見えなくなった。

 私がプレアの存在を認識し、かつ否定したことで、彼女はこの世界で存続していく術を失ったということだろうか。

 安堵と、寂しさと。ふたつの感情が渦巻いている心は、少々複雑な色をしていた。


「おはよう、レイチェル」


 そのとき、背中からエドが声をかけてきた。


「今、ここに誰かいなかったか? 俺の見間違いかな」

「見間違いじゃない? 誰もいなかったよ。最初からね」

「そうだな。レイチェルには、俺以外に友だちなんていないしな!」

「なにそれ! ひどーい!」

「わはは」


 叩こうとすると、エドがひらりと身をひるがえした。

 あなたはもういない。だけどこんなにも、私の心の中にいるよ。


   * * *


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