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【私の罪】

 鳥のさえずりがしていた。自室の窓から、真っ白な朝陽が差していた。そんな、穏やかな朝だった。

 どうやら、思惑通りに戻ってこられたようだ。


「おはようございます、お嬢様」

「……おはよう、ルーチェ」


 ベッドから身を起こすと同時に、ルーチェに声をかけられた。


「指輪を」

「指輪ね。わかっている」


 枕元から指輪を手に取って、素早く右手にはめる。部屋中をぐるりと見渡した。いつもと同じ朝――に見えた。問題は、今日が何日かなのだが。

 ルーチェが、制服を用意してくれている。手際よく着替えさせられながら、訊ねた。


「ルーチェ、今日は何日?」

「五月の二日でござます」

「……五月の?」


 これまでの私なら取り乱していたところだが、もう特段驚きはしない。ただ、なるほど、とだけ思った。

 以前予測した通り、なんらかの理由によって私のループする力が弱まってきているんだ。だから、起点がまた一日ずれた。それがわかっていれば、動じる理由はこれといってない。

 深く静かに思考を巡らせていく。

 私は覚えている。自分が背負っている過酷な運命の話も、この指輪に隠されている力の話も。そして、二人の子どもの名も。

 みんなが時間を稼いでくれたから。

 みんなが、この世界に記憶をつないでくれたから。

 私がどうやって死んだのかだけは、思い出せなくなっているけれど。

 もっとも、それはたぶん忘れていいことだ。ふふっ、と笑みが漏れた。案外便利な能力じゃない。


「お食事の準備ができておりますが……どうなさいますか?」

「いらない」

「……え? お嬢様」

「あとで食べるから、キッチンにでも置いておいて」

「……かしこまりました」


 階段を駆け下りて、まっすぐ父さんの部屋に向かった。一階にある重厚な木の扉を叩いた。


「……誰だね? 鍵なら開いているぞ」


 扉を開けると、ひげをたくわえ、少しやつれた顔の男性が部屋の奥にあるデスクに座っていた。私の父である、サマスだ。


「どうした? レイチェル。どこか具合でも悪いのか?」


 相変わらずだな、と苦笑してしまう。父は少々過保護なところがあって、私がいつもと違う行動をしたり、少しでも調子が悪そうにしたりしていると、すぐに私の体調をおもんぱかるのだ。

 私は、今暗い顔をしているのだろうか? 自分の運命を知ってしまった今なら、父が私を過保護にすることにも合点がいく。父のこの過保護さが、継母が私のことを嫌っている理由のひとつであるのだろうが。


「ううん、大丈夫だよ。ねえ、父さん」

「なんだね? 言ってごらん」


 父がにこりと目を細めた。その優しい瞳に、気持ちがゆらぐ。だけど……。


「私に、何か隠していることがあるよね? 母さんのことで」

「……は? いったい何を」


 さすがの父も驚きを隠せないようだ。だが、それも当然だと思えてしまう。娘が突然こんなことを言い出したなら、誰だって驚くに決まっているのだから。


「朝から何を言っているんだ。そんなわけないだろう。くだらないことを言ってないで、さっさと朝食にするぞ」


 我関せずを貫き、立ち去ろうとした父さんの前に立ちはだかる。私が真剣な顔をしていると気付いたのだろう、父さんの顔色が変化した。父さんは、嘘をつくのがうまいほうじゃない。

 右手の指輪を、父さんの眼前に晒した。


「私、もう知っているんだよ。この指輪を、なぜ私が四六時中付けていなければならないかも。どうしてこれが、母さんの形見であったのかも。全部をね。母さんが亡くなったあの日、本当は何があったのか、話してくれるよね?」

「なんだって? じゃあ……母さんが狼に殺されたわけじゃないことも知っているのか?」

「やっぱり、そうだったんだね」


 本当に、嘘をつくのが上手じゃない。誘導尋問をしたらあっさりと口を割ってしまった。

 そうか。やっぱりそうだったのか……。


「いいよ、父さん。全部教えて。いずれは言わねばならないことだったんでしょう?」


 ごくりと父さんが喉を鳴らしたそのとき、背中から声がした。「あの日起きていたことについては、私から話しましょう」と。


「……ルーチェ」


 後ろに立っていたのは、メイドのルーチェだった。


「ルーチェも知っていたんだね。……まあ、あの日、私の側にずっといてくれたのは、ルーチェだったしね」

「はい。十八歳の誕生日がくるまでには、話さなければならないだろうと、旦那様とも相談はしておりましたので」

「……うん。ぜひ聞かせて」

「わかりました」


 ルーチェは、いつもの無表情で淡々と話し始めた。


 月が綺麗な夜だったのだという。満月の夜だったのは、魔族や妖魔など、闇の眷属の力がもっとも活性化するのが、満月の夜だったからかもしれない。

 私と義母さんが夜に散歩に出て、三十分くらい過ぎたときのことだった。母さんの悲鳴を最初に聞いたのは、ルーチェだった。

 父さんを呼ぶべきかどうかルーチェはしばし逡巡したが、声の様子から切迫している状況であると判断し、単身果樹園に向かった。そこで彼女が見たのは、腹部に重症を負ってうつ伏せの姿勢で倒れている母さんと、傍らで気絶している私だった。

「何があったのですか!」とルーチェは母さんに訊ねた。

 涙に濡れた瞳をわずかに開き、最期の力を振り絞るようにして、母さんはルーチェに語ったのだという。

「これから話すことを、決してレイチェルには伝えないでほしい」と。


 ルーチェの話に、私はごくりと息を呑んだ。


 あの日、私の中にあった、奈落の君の魂が突如として目覚めたのだという。うめき声を上げながら、全身の筋肉が隆起し始めた私を、母さんは必死に抱き留めた。

 自我が失われゆく娘の体を抱きしめて、母さんは『退魔の力』を私に用いた。自身の寿命のすべてを、使い切る覚悟で。


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