【正体】
「私の娘だなんて、よくもそんな嘘をついてくれたものね。プレア」
隣のシェルドが驚いたように目を見開いた。しかしそれは、魔物の正体がプレアだったことに対する驚きではなかったようで、すぐに唇を結んだ。
魔物は何も言わない。ただ私を見下ろしている。
「私を絶望させる方法としてもっとも効果的なのは、大切な人の死だった。そう考えたら、すべての情報がつながったの。私がループをする直前、側にいてくれたのはいつもプレアだった。私より先に必ずプレアが殺されてきた。……それはなぜか? そう演出する必要があったから。そうなんだよね?」
魔物の翼がはためいて、辺りに旋風を巻き起こした。発生した真空の刃は、しかし檻の力によって阻まれる。
「あなたはね、私が泣くのを見たいんでしょ? 私に嘆き悲しんでほしいんでしょ? 絶望感に、私の胸が押し潰されてほしいんでしょ?」
私の心が、奈落の君の魂に蹂躙されることを願っているから。
「そうなんでしょ! プレア!」
魔物の動きが停止した。造形のいっさいない顔なのに、不思議と口元が笑みを形作ったように見えた。
「いつか、気付かれるとは思っていた。……思ったよりも遅かったね、レイチェル」
魔物がくるりと身をひるがえすと、隆々としたその肉体が瞬時に小さくなって、プレアの姿に変わる。「こういうことだよ」と言ってさらに一回転。今度はシェルドの姿になった。
やはり思った通りだった。彼女は自分の姿を変えられる。
「自分が死んだと見せかけるため、死体を魔法で形成したんだよね? あるいは、時としてそれは幻術だったのかもしれないけれど」
『檻』を展開させておいて、その内側に侵入した――ように見せかける。
私を絶望させるには絶好のシチュエーションだ。よく考えたものだと感心してしまう。
談話室で攻防したときも、頭が冷静であったらもう少し早く気付けた。
あのとき私は、魔物に対して何度か全力で魔法を打ち込んだ。プレアの体をこれ以上損傷させたくないと考え、魔法を放つ方向に注意をしていたが、それでも何度か巻き込んだ。
ところが、彼女の体には傷ひとつ付かなかった。当然だ。彼女の死体は最初から幻術で作られたものだったのだから。
「なるほど。そうやって僕の姿を模倣して、罪をなすりつけようとしていたんだな? ……僕のことが邪魔だったから」
「そうだね。幻術をこれまで何度か使ってきたのは事実。でも、私は嘘はついてないよ? レイチェルにさっき話したことはすべて本当だから」
「どういう意味?」
腕を組んで、プレアがこちらを見ている。恍惚とした表情は、人間だったころの彼女の快活さからは想像もできないものだ。
「私がレイチェルの娘というのは本当。ただし、レイチェルが奈落の君として力を得たときの話だけれどね。……レイチェルが魔族化した先でのみ、私は私としての生を受けることができるの」
「その未来を確定させるために、この世界にきた、ということだったのね?」
「そういうこと」
プレアが、私の目の前で何度も凄惨な死をとげてきた理由がわかった。私を、魔族化させることで、自らの生を彼女は確定させたかったのだ。
ただ、ひとつだけわからない。
私の魂が堕落して奈落の君になったとしても、そうならなかったとしても、プレアには私を殺す理由がない。私を殺して、世界をループさせる必要がない。
「神様にお願いしたのも本当だよ。もっとも、レイチェルの世界では、邪神と呼ばれているほうの神様だけれどもね。ほら、嘘はついていなかったでしょ?」
「……そうだね。でも、どうするつもり? 檻の力がある限り、プレアは私たちに手出しできないよ? 真実をすべて知った以上、私の心はそう簡単には折れないよ? 私が邪悪化することは、もうたぶんないよ?」
「それは、どうかな?」
プレアは、シェルドの姿になって笑った。悪趣味な奴め。
「檻の力は三十分しか続かない。今のレイチェルの魔力だと、もしかしたらもっと早く効果が切れるかもね? 檻が破れたとき、私が真っ先に殺す相手は誰だと思う?」
プレアの瞳が、私の隣にいるシェルドをとらえた。
「卑怯者……!」
「なんとでも言って。世界を滅ぼす魔族になる。それがレイチェル――いや、母さんの運命なんだよ。あなたは、そっち側にいる人じゃないんだよ?」
そう……なのかな。私は、やっぱり自分の運命から逃れることはできないのだろうか。
「そいつが言うことに惑わされるな。自分から心が揺れてどうするんだ。自分の人生は自分で決めるものだ。もっとしっかりしろ。自分を信じるんだ。仲間を信じるんだ。大丈夫。レイチェルは魔族になんてならないよ。僕がここにいるのが、何よりの証拠だ」
シェルドがこの場所にいるのが証拠、か。本当にその通りだね。
「レイチェル。あなたの本質は魔族なんだよ。私と一緒に、世界を手に入れよう?」
憎いでしょう? お前の大事なものを奪っていく存在が。この世界が。
心の中で再び声がする。
そうだね。私の大事なものを奪っていく存在が憎い。けれど、そんなことよりも、そんな甘言に屈してきたであろう過去の自分が憎い。
エド。リアンダー先生。この騒動の中で、命を散らしたすべての人たちが、みんなでつないでくれたこの世界だから、私は諦めたくはない。
その上で、もう一度よく考えみた。
これじゃ嫌なんだ。
ごめんね。みんなが命を懸けて必死につないでくれたけれど、この世界は私にとって完璧なものではないの。
檻が解けた瞬間、プレアはシェルドを殺すだろう。
そのとき私がどうなるかはわからない。
邪悪化するのかもしれないし、ぎりぎりで持ちこたえるかもしれない。
もしかしたら、王国の警備隊が駆けつけてくれて、プレアは討伐されるかもしれない。
そうなったら、私たちの勝ちだ。
私は、シェルドを失ったことで心に深い傷を負うのだろうけれど、心の傷は時間が癒してくれる。いずれ私は今日の出来事をすべて忘れて、誰かと結婚をして、幸せに暮らしていくのかもしれない。
ハッピーエンドなんだよ。
私、そういうのは――。
「嫌なの……!」
ごめんね、みんな。
この世界は私にとって完璧なものじゃないの。
暗い淵に引きずり込まれたような虚脱感の中からでも、私はいつか立ち直れるかもしれない。でも、嫌なの。
みんなが揃っていない世界なんて意味がないんだよ。そんなの、耐えられないんだよ!
「シェルド」
「なんだい?」
「これまで、何度も手を汚させて、ごめん」
「どういうこと? いや、……えっ?」
「この世界は、私が死ぬことによってループしている。それは、おそらく私の中に奈落の君の魂があるからなのだと思う。……でも、プレアには私を殺す理由がない。プレアは私の娘だから」
たとえそれが、歪んでしまった未来で授かる命であったとしても。
「娘に、母である私を殺す理由はない。……時間がどれだけかかるかわからないけれど、私が邪悪化するまで待てばいいのだから、急いで私を殺す理由はない。であるならば、答えはひとつなんだよ」
これまで、数多の世界で私を殺してきたのは。
「シェルド。あなたなんだよね? あなたが、これまでの世界で、私を殺してきたんだよね? 私が、完全に邪悪化する前に」
これこそが、私が何度もループを繰り返してきた本当の理由。
「そうなんでしょ?」
「……」
返事はなかった。それは、無言の肯定だった。
「だから」
「待って! ……何を考えているんだ」
「私がやらなかったら、君がやらなくちゃならないでしょ? だから、私のケジメは、私でつけるよ」
腰から小刀を抜き出すと、「待て!」と声を荒げたシェルドを無視して素早く腹部に突き立てた。
「レイチェル!」
プレアが叫んだ。シェルドが、私に向かって手を伸ばした。けれど、それらは届かない。私は小刀をさらに押し込んだ。痛みは思ったほど感じなかった。ただ、熱いだけ。
制服の表面が真っ赤に染まった。腹部からとめどなく血があふれてくる。
そうか。私はいつもこうやって死んでいたのか。こんなに痛くて心がすり減るようなことを、私はあなたにこれまでさせてきたのか。
ごめんね。もう大丈夫。あなたは、もうこんなことはしなくていいんだよ。
「レイチェル!」
檻の効果が終わったのだろう。プレアが駆け寄ってくるのが視界に映ったけれど、もはや体は動かなかった。
シェルドの絶叫が響く中、私の意識は闇へと落ちていった。
でも、最期にこれだけは言っておきたかったな。
ねえ、シェルド――。
私ね。
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