【ルーイス家の秘密】
カレッジを出たあとで、私は街の商店街に向かった。
日没間際のこの時間帯では、商店街の店のシャッターはほとんどが下ろされていた。
商店街を歩き、一軒の店の前で足を止める。店はまだ営業中のようで、中から明かりがもれていた。木造二階建ての建物で、看板は出ていないので一見すると普通の家屋のようだ。しかし、玄関の扉に貼られている紙を見れば、そうじゃないことがわかる。
『原因不明の体調不良・なにかしらの不幸が続いている方は、ぜひご相談ください』
紙にはそう書いてあった。うーん、怪し過ぎる。
怪し過ぎるがここまで来て引き下がれない。藁にも縋る思いで窓から店内を見たが、誰の姿もない。
ええい、ままよ。
意を決して玄関の扉を叩くと、「はーい」と返事が中からして、しばらく待っていると扉が開いた。
「えっと、お客さんかな? ……こんな遅い時間になってからお客さんが来るのは珍しい」
顔を出したのは、二十代半ばくらいの実直そうな青年だった。清潔そうな白いシャツを着て、黒いパンツを履いている。
「……いえ。実は客というわけではないんです。ここは、ディケ・ルーイスさんがかつて住んでいた場所、で合っていますでしょうか?」
私の声に、青年の眉がぴくりと動いた。
「なぜ、それを……? 確かにディケは私の姉だけれども」
「少し、お話を聞かせていただいても、よろしいでしょうか?」
しばし逡巡している様子だったが、青年は小さく頷いた。
「ここで立ち話もなんだ。まずは中に入ってくれたまへ」
「ありがとうございます。お邪魔します」
「それで、話というのは?」
通されたのは、アンティーク調の家具がいくつか置かれている、落ち着いた雰囲気の応接室だった。木製のテーブルに、対面するかたちで今私たちは座っている。
彼が準備してくれた紅茶が、テーブルの上で湯気を上げていた。
「シェルド・ルーイス、という少年のことを、ご存じありませんか?」
「シェルド・ルーイス?」
単刀直入に訊ねると、彼は天井を見上げた。考え込むみたいに沈黙する。
「……いや、存じてはおりませんね。ですが、とても私好みの名前です。……その方が何か?」
「私の友だちなんです。……友だちというか、同じカレッジで勉強している同級生で、同い年である、ということ以外は何も知らないのですが」
「ははん?」
閃いた、という顔を彼がした。「その子のことが、気になっているんだね?」と言われ、顔が一瞬で火照った。
「……ち、違います! そういうんじゃないんです。ただちょっと、気になっているというか」
ここまで言ってから、まったく否定になっていないことに気が付いた。心臓がどきどきしているのがわかった。たぶん、顔も真っ赤になっているのだろう。
はっはっは、と彼は愉快そうに笑った。自分が思っているよりも、私はシェルドのことが気になっているらしい、と高鳴る胸をなだめながら考える。
それもこれも、彼が急にキスなんてしたせいだ。言うならば、吊り橋効果みたいなものだ。
繰り返される世界の中で、緊張をともなう行動を彼としてきたので、必要以上に彼のことを意識してしまったのだ。頭ではそう理解していた。けれど、心はそう思ってくれないらしい。
「いいんだよ、別に恥ずかしがることじゃないさ。その気持ちを大切にしなさい」
「……ありがとうございます」
釣られて礼を言ってしまった。言ってしまってから、これでは肯定しているのと同じだと頭を抱えた。
「ああ、ごめんなさい。名乗るのを忘れていましたね。私は、アベル・ルーイスと言います。ルーイスというのは珍しい性だからね。それでここを訪ねて来たのだろう?」
「……そうです! あっ……それから、私も名乗るのを忘れていました。レイチェル・サリスと言います。自分から訪ねてきたのに、不躾でした」
「いやいや、いいんだよ」
自分がエルストリン・カレッジに通っていること。そこでリアンダー先生から授業を受けていて、彼の師がディケ・ルーイスという名であると聞いたこと。同じ性だったので、もしかしたらシェルドのことを知っているのでは、と思い訪ねてきたことを順番に話した。
「なるほどねえ。なら、その彼に直接聞いたほうが良かったのに」
「そ、そうですよね……! ごめんなさい」
「だから、謝らなくてもいいよ。踏み込んで聞くのが恥ずかしいという気持ちは、私にもよくわかるから。それに、こうして若い女の子と話をするのは、刺激があってとてもいい」
「そんな、私なんて……」
緊張を紛らわす目的で、紅茶を一口すすった。
「私の姉であるディケは、退魔の力を持っていたんだ」
「退魔の力……?」
「そう。それが、この店をやっている理由でもあるんだ。話すと少し長くなるのだが、それでも聞くかい?」
「はい、聞きたいです。聞かせてもらってもいいでしょうか?」
魔物の退治を行う者のことを退魔師と呼ぶことがある。退魔とは、聖職者や魔法使いが行う行為のことで、魔法の力を用いて、悪霊や幽霊などを退治する、または退けることを指す。
ディケさんが持っていた『退魔』の力はこれに近いもので、魔物や魔族といった人に害をもたらす存在を、排除することができたのだという。
「それはすごい力ですね」
「ああ。姉に退魔できない存在はなかったのではないだろうか? それくらい、力が強かったらしい。だが、姉はこの力を実際に退魔のために使うことはほとんどなかった」
「なぜですか?」
「……なぜだろうね? 力は有限だったのかもしれない。だから、力の枯渇を防ぐために、出し惜しみをしていたのではないかと、思っている」
「なるほど」
「もっとも、真相を知る術はすでに失われているんだけれどね。姉がどういった経緯を辿ったのかは、知っているんだよね」
「はい。知っています」
ディケ・ルーイスは、この街で流行した流行り病によって命を落としたのだ。その話はすでに知っていたので、掘り下げて聞こうとは思えなかった。
「退魔の力は、誰にも継承されなかった。姉さんは直接の弟子を取らなかったし、退魔の力は遺伝するものであったらしいが、あいにく姉さんは子を持たなかったから」
「え? それじゃあ……」
リアンダー先生は弟子であったはずだが、あくまでも魔法使いとしての弟子であって、退魔の力は指南しなかったのだろう。それはそれとして、おかしなことがあった。
「なぜ、私に退魔の力が継承されていないのか、ということだろう?」
私は無言で頷いた。
「私と姉は、腹違いの姉弟なんだよ。だから、私に退魔の力は継承されていないんだ」
「ああ……そうなのですね」
「退魔の力はないけれど、私は聖職者ではあるからね。祈りによって、世界の安寧を願ったり、簡単な除霊なんかはできる。表に出しているのは、祈祷の仕事を募集する貼り紙さ」
そういって、アベルさんは子どもみたいに屈託のない笑顔で舌を出した。
その笑顔は、なぜかシェルドとよく似ているもので、思わずどきりと心臓が跳ねた。彼の面影が、重なる。
リアンダー先生が釈放されたあとで、面会に行ったときのことを思い出す。「弟思いもいいですが、自分のことも大事にしないとダメですよ」と私は先生に言った。
「すまんな」「よけいに迷惑をかけてしまった」と頭を下げる先生に、確認の意味をこめて私はこう問いかけたんだ。
「モンテ導師の言うことを聞いたのは、彼の娘がディケ・ルーイスさんと同じような死因だったからではないですか?」と。
もちろん、モンテ導師の娘の死因は本当は違っていたわけだが、真実を知っていたとしても知らなかったとしても、ディケさんのことを思い出して、情にほだされたのではないかと考えたのだ。
先生は曖昧に笑って、「気を付けるよ」と呟いた。否定はしなかった。私も、それ以上の追及はしなかった。
「この壁に飾られているものは、なんですか?」
不思議な文字が書かれた紙が収められている額縁が、壁に飾ってあった。
「ああ、これかい? これは退魔の力を発動させるときの術式のひとつだと聞いている。もっとも、継承者がすでにいないので、無用の長物だけどね」
読めそう?
古代の文字のように見受けられたが、なぜだろう、読めそうな気がした。
「読める……気がします」
「……!? 本当に?」
アベルさんが驚いたように目を丸くした。それから額縁のほうへ歩み寄り、壁から外した。
「これは、退魔の力を継承している者にしか読めないと言われている文字なんだ。良かったら読んでみてくれないかな? 私にはさっぱりわからなくてね」
退魔の力の継承者を探すために、この文字は残されているのだろうか。そう思いながら頷いた。
「『闇より出でしものよ』……それから、『光よ、在れ』……でしょうか。すべては読めないんですが、ここまではわかりました」
「不思議なこともあるものだね。……もしかして、君には退魔の力が?」
「いえいえ、そんなものはありません。それに、読めたというよりは、自然と言葉が頭の中に浮かんできたというか、そんな感じで。本当に、どうして理解できたのか私にもわからないのですが」
なぜ読めたのか、何度考えてみてもわからない。私とディケさんとの間に血のつながりはないし、私には退魔の力なんて備わっていない。
「不思議なこともあるものだ」とアベルさんがしきりに繰り返していたのが印象的だった。
「もし良かったら、また遊びにきてくれないか? ……君に少し興味がわいてきてしまったよ」
「迷惑でなかったら、ですが」
はい、と頷きながら、今度はリアンダー先生も連れてこようかなと、ひそかにそう思った。
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