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【逃走】

 私の指先に白い光が宿ったかと思うと、キンと高い音がして鍵が開いた。集中して魔力を練り上げてきた甲斐があった。もしここで失敗していたら、一巻の終わりだったのだ。

 窓を開け放ち、魔法書を両手で握り締めながら闇夜に身を躍らせた。


「貴様! 逃げられると思うな!」


 全身を包み込む浮遊感。モンテ導師の叫びが背中に届いた。


「レイチェル!」


 下には、心配そうな顔で見上げているシェルドとプレアがいた。


「シェルド! 受け止めて!」


『浮遊』の魔法をあえて使わずに、下で待っているシェルドの元に最短距離で向かう。両手を広げたシェルドの胸に飛び込んだ。


「無事だったんだ。……ああ、良かった!」

「喜ぶのはまだ早いよ! ……エドは?」


 シェルドに抱きしめられながら一回転。プレアの声に、こんなことをしている場合じゃなかったと背後を見た。

 エドが窓から出てくる様子はない。


「エド……!?」


 もしかして、捕まったの?

 開いたままの実験棟の窓から、モクモクと黒い煙が流れ出てくる。モンテ導師が魔法でエドを倒したのだろうか? と戦慄する中、窓から踊り出してきたのは導師ではなく異形の魔物だった。

 プレアの背中を、爪で引き裂いたあの魔物の姿が重なって見える。

 隆々たる赤黒い体躯に、コウモリを思わせる漆黒の翼。爛々と輝いている双眸は、炎を思わせる赤だ。


「あいつは、中級の魔族だ……」

「エドを助けなくちゃ! とりあえず、こいつをなんとかしないと」


 杖を構えたプレアの気概を、「無理」とシェルドがぶった切る。


「なんですって?」

「あいつは下位魔族であるガーゴイルとは比べ物にならないくらい強いんだよ! 僕らで倒せる相手じゃない! ……いや、倒せるかもしれないけど、ただではすまないよ!」

「やってみなくちゃわからないでしょ? 火球(ファイアーボール)!」

「わかるから言っているんだよ!」


 こちらに向かって飛翔してきた魔族に、プレアが放った火球の魔法が炸裂する。

 顔を背けたくなるような熱風がおさまったあとに見えた魔族の体は、しかしまったくの無傷だった。


「効いてない!?」

「だから言っただろ!」


 魔族はわずかに動きを止めたが、動じることなくその翼を羽ばたかせた。

 あっと言う間にシェルドの眼前まで詰めてくると、かぎ爪でシェルドに切りつけた。彼はとっさに杖で受け止めたものの、勢いを殺しきれずに後ろに吹き飛んだ。


「シェルド!」

「……大丈夫」


 私は悲鳴を上げた。シェルドはすぐに起き上がったが、ひっかかれた腕には血が滲んでいた。


「そいつはお前らで勝てる相手じゃない! 早く逃げろ! 今、導師たちを呼んでいる。そいつは私と導師たちに任せておけ!」


 実験棟の窓から、モンテ導師が顔を出して叫んでいた。そのうろたえぶりから、こいつが相当にヤバい相手なのだということは伝わってくる。


「……だってさ」

「そうと決まれば逃げるまでだよ!」


 攪乱用に私が『煙幕』の魔法を使ったのを合図に、三人はカレッジの出口に向かって駆け出した。魔族が追いかけてくる気配がするが、振り向いてはいられない。


   *


 魔族が退治されたのは、それから約一時間後のことだった。

 夜遅い時間帯だ。カレッジの中に居残っていた導師クラスの先生は少なく、帰宅していた導師先生らも駆り出された。そうなってしまえば多勢に無勢だ。モンテ導師が魔法で捕縛していた魔族を、駆けつけた他の導師先生が攻撃魔法で倒した。

 騒ぎの原因を作ったモンテ導師はその場で査察部の人間に拘束された。騒ぎを聞いて駆けつけた王国警備隊に、身柄を引き渡された。

 こうして事件は無事解決した。が、しかし。

 モンテ導師が魔法で捕縛するまでの間に、魔族はカレッジの内外で大暴れをした。奇跡的に死者こそ出なかったものの、カレッジの外壁が一部倒壊、近隣の住居で家屋の一部が損壊する被害が出た。当然、それによる怪我人も。

 怪我人が出たことでカレッジの責任問題に発展する。隣国から戻ってきた学園長はただちに王城から呼び出しをくらい、国王陛下からたっぷり絞られた……というのはついでの話だ。

 それから、一週間が過ぎた。

 カレッジではこのようにひと悶着あったわけだが、期末考査は予定通りに行われた。「事件に巻き込まれたんだからさ、俺らだけ時期をずらしてくれてもいいのに!」とエドは憤っていたが、そういった配慮はいっさいなかった。あったらあったで、どこかから不満が噴出するのだからしょうがない。


「で、どうだったの結果は?」

「うっ……」


 プレアの質問に絶句したエドの反応が、すべてを物語っていた。


「勉強時間が足りなかったんだからさ、しょうがないだろう……!」

「つまり、微妙だったのね?」

「あー……! ちきしょう!」


 頭をかきむしりながらエドが上げた悲鳴に、図書館の中に笑い声が満ちた。


「でも、もうひとつの案件ならいい結果になったぞ。改めてお礼をさせてくれ。本当にありがとうな」

「ということは、リアンダー先生も晴れて無罪放免か!」

「ああ」


 シェルドの声に、エドが笑って頷いた。

 騒ぎの連絡を受けたことで学園長が予定を繰り上げて戻ってこられて、査察部から情報を聞いてすべての裁決が下された。全責任はモンテ導師の側にあるとして、リアンダー先生は無罪になったのだという。これで、先生の導師としての立場も、エドの今後も安泰というわけだ。


「まあ、当然の結果ね」


 モンテ導師が使っていた実験棟から魔族が出現したのもさることながら、私が査察部に提示した二冊目の禁断の魔法書が動かぬ証拠になった。追及されると、最初の事件についてもモンテ導師が関与を自白したわけだ。モンテ導師が何を目論んでいたかはわからない。娘を蘇らせたかったのか、騒ぎを起こすことでカレッジの信用を失墜させたかったのか。過去にカレッジがしたことにも後ろ暗さがある案件だし、公表されることはないのだろうが。

 それでいいのだと思う。知りたいとは思わないし、知らないでおいたほうがいいこともあるのだ。

 ちなみに、あのとき魔族が出現してしまったのは、エドが封印の壺を落として割ったせいだった。

 彼に落ち度があったわけじゃない。モンテ導師が『眠り』の魔法をかけたことによって、眠ってしまったエドが持っていた壺を落としたことで割れたのだ。ある種、導師の自業自得だ。

「ねえ、エド」と私はエドに訊ねた。


「うん? どうした?」

「リアンダー先生、今どこにいるかな?」

「兄貴か? ……さあな。どうせいつものように事務室にでもこもっているんじゃないかな? 休んでいる間にたまっていた仕事を方付けなくちゃと、張り切っていたからな」

「仕事が溜まったのは自分のせいではないでしょうに。真面目なのね」


 プレアの微笑に、「そうだな」とエドは頷いた。


「ごめん。ちょっとだけリアンダー先生のところに行ってくるね。じゃあ、お先ー」


 ああ、とシェルドの声が返ってきた。


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